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他人の意見を受け止められる人でありたい。

何が”大人”なのか、未だに分からない。

 第一生命が学生を対象に毎年行っている、「大人になったらなりたいもの」ランキングで、「会社員」が3年連続トップとなったことから、「夢がない」などの意見がSNS上で散見された。

 これに対するモヤモヤを言語化できずにいたところ、アベプラでこの話題が取り上げられ、田村淳さんが「子どもに夢聞いておいて、会社員って答えたら夢がないなって言う大人にはなりたくない」と、私が言いたかったことを端的に話してくれてスッキリした衝動から、本記事を記している。

 そもそも、子どもが夢や希望を持てず保守的になるのは、我々大人たちが何色にも染まっていない子どもたちを、そうさせてしまうような社会システムを構築してしまっている可能性が高く、責任すら感じる身として、夢を聞いておいて夢がないと返答する無神経さは持ち合わせていない。

 「千と千尋の神隠し」にて、湯婆婆の息子である坊は、少女の千尋よりも大きな赤ちゃんとして描かれているが、これが現代社会における「子どものままに大きくなってしまった大人」への暗喩であることは、あまり知られていない。

 先述のモヤモヤの正体はこれに起因するもので、大人が子どもに対して夢を聞き、子どもはその質問に対して正面から向き合い、会社員と答えている。それにも関わらず、受け取り手側の大人が夢がないと、正面から向き合わず否定する。この対応だけ見ると、どちらが大人だか分からない。

 穿った見方をすれば、資本主義社会の縮図で、これまで賃金労働者の枠組みよりも上の世界に昇れず、今後、一生かけても這い上がることなく人生を終えるであろう弱い者が、自分よりも弱い存在を安全圏から袋叩きにしているだけのようにも映る。

 もしくは社会システムの枠組みに嵌り、何者になれなかった大人が、何にでもなれる可能性のある子どもたちが、その可能性を信じずに端から会社員を選ぶ姿に嫉妬して、見せかけの正義を背に、刃を振り翳しているようにしか見えない。

 この世の中に「大人」など居ないのだとつくづく思う。私も大人に分類される年齢になったものの、未だに何が「大人」なのか、分からずにいる。

 周囲を見渡しても、やっていることは子どもと何ら変わらず、大人ごっこをしているだけの、子どものままに大きくなってしまった人が、偉そうなことを言って、自分が気持ちよくなるだけの自慰行為をしている以上でも以下でもない。

 見るからに滑稽だが、当事者は何の疑問を持っていないどころか、むしろ良かれとすら思っている辺りに、無自覚の恐ろしさが垣間見える。その点、私は端から子どものまま大きくなっている自覚があり、他人を捕まえて説教をたらさず、読むも読まないも勝手なnoteに思考を垂れ流している分、多少はマシなのかも知れない。

結果に至るまでの過程を想像するクセ。

 話をなりたいものランキングに戻すと、夢がないの返答には、希望がないとも言い換えられる。

 ロスジェネ以前とロスジェネ以降で価値観が大きく異なる傾向にあり、現在の日本経済は、人口の過半数を占める50歳以上の、ロスジェネ以前がマジョリティとして舵取りを行っているため、なりたいもの「会社員」の捉え方にギャップが生じている。

 このギャップをロスジェネ以降の我々に言わせると、現代の若者は、バブルに踊らされていた世代と違い、現実的かつ保守的に物事を考える傾向が強い。と言うよりも、社会の仕組みがそうさせている。

 ロスジェネ以降の世代は、生まれてから今に至るまで、一度たりとも好景気を経験したがなく、日本社会の未来が明るいと思えた試しがない。だから希望がないと言い換えられる。

 希望がないと思ってしまうのは、努力しても報われないことが潜在意識に埋め込まれているからだろう。

 賃金労働者を量産するために、9年間もの歳月をかけて義務教育を施され、賃金労働者の枠組みの中から、やりたいことを探すよう植え付けられる。自営業者、経営者(起業)、投資家の世界を知らなければ、想像すらできないのだから当然ではある。

 そして賃金労働者の世界には、新卒一括採用が蔓延っており、不幸にもその枠組みから漏れると、ほぼほぼ挽回できない様な、よそ者に排他的な村社会的なシステムが多数派であることは、就職氷河期世代の状況を見ても明らかだろう。

 だから保護者は、最初から社会システムの枠組みに嵌らない個人事業、起業、投資などの危ない道を渡らせようとはしない。結果としてドリームキラーとして機能し、子どもたちのチャレンジ精神は削がれ、やがて希望を失う。そうして、なりたいもの「会社員」が完成しているのではないだろうか。

無理ゲー社会に、希望を持てる訳がない。

 だがしかし、大学を出てレールの上の人生を歩もうとしたところで、学歴至上主義が蔓延り、大卒というだけで、高収入の職に就ける訳でもなくなった。それだけはでなく、大企業ですら終身雇用がいつまで持つか分からない局面となっている。

 人口減少社会で経済規模が縮小しているから、何もしなければ業績は落ちて当たり前。努力して横ばい。では上昇させるには?労働者に更なる負荷が掛かり、割に合わなくなるのは想像に難くない。運が悪いと私みたいに、いつか潰れてしまう。

 身を粉にして働いたところで報われないどころか、社会全体が縮小しているのに、高齢化で支えなければならない人の数が、どんどん増え、少子化で支える側が減っている。

 それにより、業務量は増大しているのに、賃金は大差なく、むしろ税金や社会保険料は増加して可処分所得は減少。こんな罰ゲーム以外の何者でもない無理ゲー社会に、希望など持てるはずがない。

 そうして夢も希望もなくなった大人たちが、社会を知らない子どもたちに対して、「なりたいものが会社員なんて夢がない」と説教を垂らす滑稽な状況が、今の日本社会である。

 こんな世紀末感が今後加速しないためにも、ひとりひとりが大人になれなくても、せめて、他人の意見を受け止められる人になると、風向きが変わるのではないだろうか。

 その前哨戦として、金融資産所得を有しながら、分離課税を駆使して表向きは低所得者を装い、住民税は非課税、国民年金は全額免除、国民健康保険は7割減免と、合法的に税金や社会保険料を最下限に留める一方で、公共施設などの便益ばかりを受けるつもりで、早期退職に踏み切った畜生な私の存在を受容してみては如何だろうか。


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