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ゼロイチの前にイチゼロ。

何かを始めるなら、何かを辞める。

 何もないところ(ゼロ)から何か(イチ)を生み出すことをゼロイチと言ったりする。日本人の多くはトヨタの「カイゼン」にもあるように、あるものを改良することは得意だが、米国のスタートアップ企業のような、何もないところからイチを生み出すことを苦手とする。というよりも、村社会特有の同調圧力から、ひとり勝ちしようものなら、周囲が徹底して叩き潰すと言うべきだろうか。出る杭は打たれると言う奴である。

 これに関して記し始めると話が逸れて収拾がつかなくなるため、本題に戻るとして、企業にしても、個人にしても、何かを生み出したり、新しいことを始めるためには、時間、お金、労力と言った有限のリソースを導入する必要がある。

 GAFAの一角である超巨大帝国Amazonでさえ、無限に設備投資をすることはできない。赤字となることもあるが、基本的には利益を食い潰す額が上限となる。規模が大きすぎて無限にあるかのように感じられるかも知れないが、規模の大小が異なるだけで、何事も有限であることは変わらない。

 つまり、新しく何かを始める場合、起業とか新規事業とか壮大なプロジェクトに留まらず、筋トレやダイエットなど、身近なものでも同じことが言えると思うが、新しく何かを始める前に、既存の何かを辞める選択を取らなければ、いつかは飽和状態となってしまう。

 そんな形で、無意識的に惰性でやっている無駄な習慣があまりにも多く、意識的に辞める決断を行わなければ、歳を重ねるにつれて、指数関数的に割とどうでも良いタスクに埋もれて身動きが取れなくなり、新しいことを始めるだけの可処分時間を失ってしまう。

本当に必要かを自問自答。

 私は疫病禍となったタイミングで、通信制の大学に入学した。かつて転職活動を行なった際に、高卒と言うだけで選択肢が異様に狭いと感じて、一度は社会に出たものの、やはり大卒資格は必要だと考えていたためだ。

 しかし、周囲が10代の最後から20代の前半にかけて、専業で4年間もの時間を要して取得する学士を、社会人として働きながら取得することへのハードルを少なからず感じていた。そうして尻込みしていた矢先に疫病禍となった。状況が酷似していると判断した香港風邪の過去を参考に、最低でも2年以上は、これまでの生活とは違ったものとなると推察し、ようやく清水の舞台から飛び降りる覚悟ができたのである。

 当時は直感的に、今やらなければ一生やらないと自分に言い聞かせたが、なぜ直感で今しかないと感じたのかを分析してみると、疫病のお陰で無用な職場付き合いがゼロになったこと。近所の図書館が閉館して、気軽に本を読み漁れる場所が無くなってしまったこと。転職活動をしたところで、高卒で就けるリモートとは無縁なブルーカラー系の職種は、業績悪化懸念から採用が厳しくなり、無駄骨となる可能性が高いと思ったことの3点だと振り返る。

 状況が著しく変わったことにより、人付き合いや読書、転職活動を行う必要性が薄れ、これらを本当に維持する意義があるかを自問自答し、バッサリ辞めたことにより捻出したリソースを、通信制大学に充てたのである。

 2年先がどうなっているのか、2020年当時は想像も付かなかったため、最短2年で卒業できる短大で学び、2年後に編入するか、短大卒でピリオドを打つかを、その時の状況に応じて選べる形を取ったが、結局前者を選択する運びとなった。

やることより、やらないことを重視。

 私は誰よりも普遍性を嫌う性格のため、新年の抱負など設定しないが、一般的には新しく始めることに重きを置いている印象がある。そうして四半期が経過したことには、結局始めていないか、三日坊主で終わっており、また昨年と似たような一年を繰り返して老いていくのである。

 しかし、新年の抱負で「やること」ばかりを設定しているが、「やらないこと」を設定しても良いのではないかと思う。

 時間軸がブレブレで申し訳ないが、私は年末の大掃除をやらないようにしている。別にゴミ屋敷に住んでいると言う訳ではなく、ルンバの走行環境を第一に考え、床には極力物を置かない生活を心がけ、掃除はルンバとブラーバを基本に、床以外は重曹やクエン酸で月イチペースでこまめに汚れを落としているため、年末に奮闘する必要がないのである。

 不用品も年間100品程度はフリマアプリやリサイクルショップで売却して、持ち物の総量を徐々にコンパクトにしているため、まとめて捨てるほどの不用品は溜まらない。処分ゴミ回収の業者さんからしても、年末に一斉に大掃除されるより、日頃からゴミを出して貰った方が助かることだろう。

 他にも、自炊はホットクック任せで加熱に火を使うことも、火加減を調整することもやらなくなった。冷蔵庫はペルチェ式のポータブル仕様を夏場限定で、食べ残しの食中毒防止と、缶ビールを冷やす観点から必要な時だけ稼働させ、基本的に電源接続していない。冷蔵庫を使わないことで、食材の管理をやらないことを徹底しているのだ。しかし、これは最後に処分する際に、通常の冷蔵庫と同額のリサイクル料金を取られるため、保冷バッグ+スーパーの無料氷の方が理にかなっていると感じる。

 賃貸も風呂なし物件&銭湯通いにしたことで、風呂掃除から解放され、副産物的にガスを契約する必要がなくなった。当たり前だと思って、常識に囚われて、自分の頭で考えずに何となく受け入れている、別にやらなくても困らないことは思いの外多い。ゼロイチで何か新しいことを始めようとする前に、今やっていることが本当に必要なのか、振り返ってみてはいかがだろうか。


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