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人生は諦めの連続だが...

諦めきれないものだけが残った状態が今。

 よく、幼少期は無限の可能性を秘めていると、年長者は尤もらしく言うが、遺伝や生活環境の要素によって特性が偏り、それが時間経過と共に得手不得手として潜在化するだけであり、ある程度の方向性は決まっている様に思う。

 煎じ詰めれば、誰のもとで生まれ、どのような環境で育ったのかによって、ざっくりとした運命、少なくとも人生で想定されるピークや天井は、起業で大きく当てるとかでもない限り、ほぼほぼ決まるに等しいのだから、親ガチャの類の言葉がしばしば用いられるのも理解できる。

 成長するとともに、現実が次第に浮き彫りになっていく。二兎を追って二兎を得ている大谷選手に憧れたところで、99%超の野球少年は、一兎を追っても一兎も得られない。

 そうして野球で食っていく道はどこかで諦め、多くは取るに足らない賃金労働者として、家庭を築いて種の存続の過程そのものに価値を見出そうとする方向にシフトする。これは花形職業全般に当てはまることだろう。

 それらを受け入れられずに逃避し続けた状態が、青い鳥症候群だとか、ピーターパン症候群と、通俗心理学で名称が付き、現実を甘んじて受け入れている状態が、「諦めが肝心」のことわざにもあるような、世俗的な姿なのだろう。

 しかし、人は夢や希望を持たなければ、生きづらさを感じる矛盾を抱えた生き物でもある。だからこそ、スケールの大小こそ異なるものの、誰しも諦めの連続の過程で、未だ諦めきれていない「何か」を胸に秘めて生きている筈である。

人生こそ非効率の極致。

 これらは心の遥か奥底にしまい込んでいるものだから、日常に忙殺されると引き出す機会がない。ましてや情報社会で日頃から情報の洪水に溺れそうになっているものだから、尚のことささやかな希望を思い返す機会を失う。

 旧友が私の隠居生活を視察する足で、近くのファミレスで空腹を満たしながら、株で食いつなぐ現状に綻びが生じた際には、固定費用が低廉で、潰れようがない個人事業でも開業する気でいる話をしたところ、「考える時間があって羨ましい」と、日常に忙殺されている様子だった。

 効率を求めた社会の枠組みにハマる生き方の成れの果てが、思考停止状態のまま死んだ魚の目をして満員電車で通勤し、ひたすら滑車を回し続けている都市部の社畜である。

 成田先生の言葉を借りれば「コスパ良くしたいなら死ねば良い」し、オブラートに包むなら、養老先生の「生まれてすぐお墓に行くのが一番効率的」の表現がそっくりそのまま当てはまる。

 人生こそ非効率の極致なのだから、相反する効率化の波に飲まれて、生きる理由すら考える機会を失ってしまうと、理想と現実とのギャップから、現状を変えようとする意欲すら湧き立たなくなってしまう。

 そうして、いつからか自分の本心を知ることに恐れ、気付かないフリをして自分を欺き続けると晩年に後悔するが、気付いた時にはやり直すだけの時間と体力が残されておらず、墓場に持って行けないお金だけが遺る。

 これは決して空想ではなく、私の実体験に基づくものであり、警告でもある。かつてコスパ良く生きて来たものの、20代半ばで死亡確率の方が高い大病を患い、一時はもうダメかも知れないと諦めた時に本心を悟り、これまで生きた四半世紀を激しく後悔した。

 臨界点を突破して、すり減った身体が、そっくりそのまま元通りにはならないものの、幸いにして、やり直せるであろう幾ばくかの猶予を得られ、金銭的なリソースに不足はないため、迷うことなく早期退職を選んだ。

 自分が大事にしている、ささやかな「何か」は、何がなんでも死守しなければならない。

空白を埋めず、積極的に”何もしない”。

 もし、日常に忙殺されていて、自分が大事にしている、ささやかな「何か」が、分からなくなりつつあると感じる様であれば、空白を捻出するために、会社員として今よりも良い生活を送りたいと言った願望を、真っ先に諦めると時間的空白を捻出できる。

 何も私みたく早期退職をせずとも、「そもそも労使対等って労働法に明記されている」「むしろ雇われてやってる」「長居するつもりなどない」「社内で偉そうなオッサンも、外に出ればみそっかす」「井の中の蛙大海を知らず」程度の感覚で組織に所属していると、上役に対する忖度も、泣き寝入りもなくなり、同僚よりは好き勝手に労働できる筈である。

 賃金労働者の生涯賃金を大局的に捉えると、正規雇用で上層部に媚を売り、同僚を蹴落とし、部下に嫌われて精神を擦り減らす道を選べば3億円に届くかどうか。解雇規制を盾にぶら下がる気満々で居れば2億円前後。非正規で責任を負わず、のらりくらりしても1億円前後。

 中央値(正規雇用2億円コース)から、どちらに転んでも1億円近い差が出るが、ここから税金と社会保険料で少なくとも2割は徴収されるため、差分は実質8,000万円。

 都内ならマンション一室程の差である。定年まで続ける前提で、何に重きを置くかは人それぞれだが、私はお金よりも時間を優先したいため、少なくとも3億円コースは選ばない。

 このように俯瞰して考えるだけでも、自分が取るべきアプローチが浮き彫りになる筈である。そうして得た時間やお金などのリソースの何割かを、空白を捻出するために使い、その空白を埋めたくなるツァイガルニク効果に抗い、積極的に何もしない空白を味わうと、内に秘める心の声が顔を覗かせるかも知れない。


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