生涯困らないお金について考える'e
お金を増やす行為には際限がない
我々は日頃から、お金はいくらでも欲しい。あればあるほど良いと言った思い込みに毒されている。しかし、故スティーブ・ジョブズ氏の最後の言葉には、「生涯で困らないだけのお金を手にした後は、お金以外の何かを追求した方が良い。」の一文がある。
実家のガレージでApple Iから始まり、一度は自分が創った会社を追い出されたものの、業績低迷期に暫定CEOとして返り咲き、今をときめくGAFAにまで成長させたAppleの共同創設者が、お金儲けには際限がないだけでなく、人を歪ませてしまうと言ったことに重みを感じる。
私はこれまで、長期に渡って質素倹約な生活を送り、まずはアッパーマス層(純金融資産3,000万円超)を目指して蓄財に励んでいた。アインシュタイン博士が人類最大の発明と評した、複利の力を利用することにより、確かに資産は最高効率で形成できていた。
しかし、その道中に病に倒れたことで、このまま節約しただけの人生で終われば、後悔すると確信し、お金を増やすことを追求したところで終わりがない核心にも気付いた。だからこそ、彼の最後の言葉はご尤もで、反論の余地もない。
しかし、具体的にどれほどのお金があれば十分なのか、自分自身も死を意識する事態に直面するまでピンと来なかった。漠然と考えていたのは、トリニティスタディに倣った年間生活費の25倍が最低ラインと言うことだけ。
一体いくらあると生涯困らないのか?
トリニティスタディの4%ルールで取り崩す前提の場合、資産1,000万円なら3.3万円/月、2,000万円なら6.6万円/月、3,000万円なら10万円/月となっている。3,000万円貯めても、毎月使えるお金はたったの10万円と思うかも知れない。
厳密には日本株配当なら配当控除後の税金で7.2%、それ以外のREITや投信、ETF、外国株は20.315%の課税があるから、税引き後を考えると年間81.6万円を4%ルールで得るには、2,500万円くらいは必要になるだろう。
それでも、話題となった老後資金不足問題の試算額である、2,000万円を4%ルールで取り崩す前提ならば、国民年金満額の年間81.6万円、ひと月6.8万円に匹敵する収入を金融資産所得として得ることが可能だと考えると、資産を適切に運用するスキルさえ身に付いていれば、2,000万円でも国民年金と同程度のインパクトがある自分年金と捉えられるが、いかがだろうか。
何歳まで生きるつもりなのか
いやいや、生涯困らないお金が2,000万円で、そこまで貯めたら後は好き勝手生きたら良いというのは、いくら何でも少額過ぎて心許ないのではないか。と思う方が大多数ではないかと思う。
しばしば、日本人は死ぬ瞬間が一番の金持ちだと揶揄される。現に総務省の「家計調査報告」によると、60代の純金融資産保有額(平均)は2,231万円、70歳以上は2,425万円であることが読み取れる。
https://www.stat.go.jp/data/sav/sokuhou/nen/pdf/2023_yoyaku.pdf
そして、MUFG資産形成研究所の「退職前後世代が経験した資産承継に関する実態調査」では、現金と有価証券から、借入金を差し引いた純金融資産保有額(平均)が1,486万円と、老後資金を半分以上溜め込んだ状態で、最期を迎えている現状がある。
https://www.tr.mufg.jp/shisan-ken/pdf/kinnyuu_literacy_11.pdf
その1,486万円のいくらかを、現役時代に使えていたら、人生により彩りをもたらした可能性を考えると、もったいないと思うのは私だけではないだろう。
とはいえ、これは平均のマジックで、一部の超がつくほどの富裕層が、貯蓄ゼロ世帯を諸共せず、平均を押し上げている可能性も否めないため、平均という尺度で見ると、そのような傾向にあると捉えるのが妥当であり、実態とは異なる可能性もゼロではない。
平均値を前提に話を進めると、日本人の平均寿命は84.45歳で、年金の受給開始が65歳が標準だから、20年間で1,000万円、つまりは年間50万円程度しか取り崩していない計算となる。
ここで先ほど計算した4%ルールを、2,000万円に当てはめると月6.6万円。税引きを考慮しても、月5万円程度は手元に残る計算で、やはり適切な運用スキルさえ身に付いていれば、老後は2,000万円あれば十分そうだ。
トリニティスタディがあくまでも老後資金に関する研究のため、早期リタイアを前提にはしていない点に留意する必要はあるが、運用しながら取り崩す場合、30年後にも95%の確率で資産が残っているどころか、中央値のシナリオでは資産が当初の5倍に成長するとのことで、仮に30歳でリタイアした場合、4%定額で取り崩しても、30年後の60歳時点で資産が残っている可能性が高い。
仮に取り崩しにより、30年経過後の資産が早期リタイア時の半分しか残っていないような、研究の最低値よりも悲観シナリオを想定しても、現行の年金制度が維持されるのであれば、65歳から受給開始となるため、65歳までにゼロにする勢いで元本を取り崩しても、5年で1,000万円程度は使える上、60歳から繰り上げ受給する選択肢もある。
ただし、最も払い損にならないとされている国民年金ですら、Z世代が受給する頃には、悲観シナリオで月あたり3万円台、楽観シナリオでも月5万円程度に減額されている未来を覚悟するべきである。
とはいえ、30~40年後の物価や世界情勢、自身の置かれた状況なんて予想するだけ無駄骨で、到来するかも定かではない未来に備えるために、今を犠牲にして漠然と5,000万円じゃ足りない。せめて1億円は欲しいと思っている人たちが、一体何歳まで生きるつもりなのかとつくづく思う。
[増補]お金の不安をお金で解決する矛盾
「生涯困らないお金について考える」と題しておきながら、セルフ脱構築を行うが、そもそも、お金の不安をお金で解決しようとする、その魂胆が矛盾していないだろうか。
お金がなくなったら生活が立ち行かなくなるのではないか…という漠然とした恐怖感から逃れるために、お金を貯めましょうなんて、もはやギャグとかコントの領域だろう。
当たり前だが、お金は使ったら減るため、溜め込む額が多少多かった所で、いつか使い切ってしまうのではないか的な不安からは、アラブの石油王でもない限り逃れられないと思うのは私だけだろうか。
本質的にお金の不安をなくすためには、別に多額のお金なんかなくても、生きていけるという実感、つまりはお金に頼らず生きる力で、要となるのが自炊を中心とした何でも自分でやる家事スキル、延いては自給自足スキルだと考える。
煎じ詰めれば、「生きる」とは、労働の対価として賃金を得て、その中からあれこれ買って生活することの繰り返しなんかではなく、三大欲求である食欲、睡眠欲、性欲を満たす点に尽きる。
つまり、これらの欲求を満たす経済的負担が楽になれば、自ずと生きることも楽になる訳で、最もウェイトが大きいのは「食」であり、自炊スキルにつながる。
何事も外注すると、商品価格に人件費が上乗せされるが、自身の労力を割けば人件費はゼロな分、コスト的には安く済む筈である。
そうして、自分でできることの幅を増やしていくと、散髪もセルフカット、自転車のパンク修理もセルフ、ちょっとした家具はDIYみたいな形で、材料と小道具さえあれば割合暮らせる状態になると、最低限生きていくためのコストは月10万円に満たないだろう。
その感覚が腹落ちすると、最低でも生活費に月20万円、いや30万円みたいな都会のロジックがいかに馬鹿げていて、コスパ・タイパ重視と謳っては、資本家の手のひらで転がされているに過ぎないか、実感する筈である。