就職氷河期世代を見捨てることは、将来世代を見捨てることと同義
若者は賃上げ、ロスジェネは…
昨今の物価高や、この国の人口動態的に若者というだけで希少性を持つフェーズに移行しつつあり、若年層を中心とした賃上げが活発化している。とはいえ、これらはあくまでも正規雇用に限った話であることや、若手ばかり手厚くしたことによって、中堅以降にそのしわ寄せが来ている側面があるのも事実だ。
特に、新卒時に不運にも経済状況が悪く、採用抑制の煽りをもろに受けて、周辺的正社員や非正規雇用で妥協する他なかった世代からすれば、新卒一括採用が排除の仕組みとして機能する。
年功序列が前提のキャリアシステム故に、その後の挽回も無理ゲーと、若い時に冷や飯食いだったにも関わらず、壮年に差し掛かったら、今度は若者厚遇の原資をよこせと言わんばかりのサンドバッグ状態は、社会から見捨てられた感を持つのも無理はない。
ここで敢えて”就職氷河期世代”と括らなかったのは、ラベリングすると、却って同じ問題を抱えている他の世代が埋没化し、問題意識すら持たれず、公的支援策の対象から除外される恐れがあるためだ。
社会科学が専門の近藤絢子氏が定義する、93〜98年卒を氷河期前期世代、99〜04年卒を氷河期後期世代、05〜09年卒をポスト氷河期世代、10〜13年卒をリーマン震災世代に則ってデータを読み解くと、この手の話題で注目されないリーマン震災世代も、就活が最も厳しかった氷河期後期世代のどん底と大差ない。
つまり、社会全体で就職氷河期とされる”ロスジェネ世代”を事実上見捨てることを容認してしまうと、今から十数年後にリーマン震災世代も見捨てられ、二十年後にはコロナ禍で昨今の第二新卒枠からも抜け漏れた世代も見捨てられる可能性があることを意味する。
マクロで考えたら、日本社会が運悪くキャリア形成の初期段階で躓いた将来世代を見捨てることと同義だと思い、個人的には決して見捨ててはならず、固定観念に捉われない形で、社会に居場所を創るべきだと考えるが、いかがだろうか。
非大卒ブルーカラーは、身体を壊すと一瞬で詰む
私も直撃ではないものの、リーマン震災世代の余波が残る時期に社会に出たため、正規雇用ではあったものの、ブラックでお馴染みな鉄道業界故に、雇用条件は13連勤手取り14万電鉄と大差なく、「自己責任」「嫌なら辞めろ」「代わりはいくらでも居る」を言われて育った意味で”使い捨て世代”の一員だ。
置かれている状況は氷河期のどん底ほど酷くないにしても、工業高卒人材が「金の卵」と持て囃されている現状を見て、私が工業高卒だった頃との扱いのギャップに温度差を感じるのは、氷河期世代に通じるものがあり、ロスジェネ世代には同情しかない。
それに加えて、私は身体が資本のブルーカラーで身体を壊し、執筆時点ではまだ20代であるものの健康体ではないことで採用側にリスクがあり、若いからポテンシャルを見込んで採用という流れにならない意味で、人的資本が毀損しており、詰みポイントとして一役買っている。
工業高卒(非大卒)ブルーカラーで社会に出た場合、学歴もなければ、単純作業故に職務経歴もホワイトカラーで評価されるスキルもなく、それで歳だけ重ねていて若くもないと、労働市場で誰も欲しがらない人材となる意味で、身体を壊すと一瞬で詰みになるのが、この社会の残酷な事実だ。
雇われるために実務経験が必要だが、実務経験を積むためには雇われなければならない
私はリスキリングの先駆けで、コロナ禍の初期から在職中に通信制大学で学歴を大卒にアップデートしたことで、大卒以上が条件の求人に応募できるようになったものの、今度はスキルがないことを理由に、職歴に空白期間がないにも関わらず、書類で撥ねられる体たらく。
その後、スキルを証明する日商簿記やFP(いずれも2級)、Google Career Certificatesといった、数日の講習でサクッと取得とはいかない類の資格も多数取得したが、今度は実務経験がないことを理由に書類で撥ねられ、結局、面接まで進めない体たらく。
仮に面接まで進んでも、実務経験がないことで即戦力は期待できず、新人と馴染めるほど若くもなく、エントリーの試行回数は悠に100を超えるが、お祈りされた試ししかない。無論、年収は気にせず300万円でも応募しているため、高望みとも思えない。
雇われるために実務経験が必要だが、実務経験を積むためには雇われなければならないという、クソみたいな因果性のジレンマに付き合わされる現実に直面したことで、雇用の流動性がなければ、リスキリングなんて絵に描いた餅でしかなく、政治家の私服を肥やす利権でしかないことを悟った。
焦って実務経験を積もうとすれば、派遣などで一旦人的資本を安売りする他なく、一度安売りすると、その経歴を理由に安く買い叩かれる負のループが始まるのは目に見えており、労働市場の需給が逼迫するまで、働かないアリとして引きこもっていた方が健全とすら思う。
自助努力でやれることは一通りやってきた上で、労働市場から必要とされていないこの体たらくを、バブル期より上の世代から努力や根性が足りないとか言われようものなら、筋違いも甚だしく”テメェ何様のつもりだ”と敵意を剥き出しに心の底から軽蔑しながら呆れる他なく、こうして社会の分断が生まれる。
どう考えてもおかしいのは氷河期世代で表面化した、新卒一括採用から抜け漏れた者に対して冷酷な、不可逆的かつ一方通行なキャリアシステムをはじめ、解雇規制によって雇用の流動性が皆無で歪な労働市場と、それを前提とした社会構造の方だろう。
既にこの歪んだ仕組みの弊害で、ブルーカラーは慢性的な人手不足で崩壊寸前となっているが、就職氷河期世代以降の不遇な世代を見捨てて来たツケを支払わされているに過ぎず、社会が我々を見捨てるなら、我々もこの社会を見捨てるまでで、それこそ因果応報であり自業自得だろう。