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たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える'e
4年前に植えた苗木の現在
タイトルはドイツの宗教改革者であり、私がことある毎にこき下ろすプロテスタントを成立させたルターの名言でもある。労働を美徳とする思想は、社会不適合者かつ怠惰な私には相容れないものがあるが、この名言は結構好きだ。
どれほど我々が生きる日本社会が低迷していて、何よりもシルバー民主主義がクソで、将来性のカケラもなく、閉塞感ばかり募るとしても、未来への希望を捨てずに、今できることを直向きに実行していく時に、この言葉が思い浮かぶ。
かつて、GAFAの一角である某企業のCEOは、決算説明で新規事業への投資に対して、「数十年後に振り返れば、重要な仕事だったと分かるはずだ」と説明したが、投資家には受け入れられず、決算説明会中の時間外取引だけで、日本円にして10兆円規模の時価総額が吹き飛んだ。
それほど長期的に見てプラスになるであろう取り組みというのは、往々にして目先の利益や損得勘定とは相反する性質から、他人からは理解されづらい傾向にある。
しかし、目先の利益ばかりを追い求めていった成れの果てが、失われた30年の日本社会と、政治不信であり、バラマキや私服を肥やす利権に一喜一憂してしまい、国全体で成長することが出来なくなってしまう、今だけ、金だけ、自分だけの現状維持と言う名の縮小再生産と問題の先送りが、いかに真綿で首を絞める行為なのか、若い世代ほどよく分かっている筈である。
私は先日、大学から学位を授与したことで、晴れて大卒の仲間入りを果たした。リカレント教育やリスキリングが注目されそうな気配が漂っている昨今ではあるが、社会人と並行して自学自習の通信制教育で、通学部と同じ4年間で卒業単位を修得して、卒業するのが決して楽な道でないことは確かである。
殆どの人はそんなことはやりたがらず、たとえ非大卒で社会から不遇な扱いを受けていても、社会人と大学生を並行することを諦めてしまい、現状を甘んじて受け入れてしまう。果たしてそこに成長はあるのだろうか。
知的好奇心が強いと、判断を間違えにくい
2020年を振り返ると、世の中は疫病による自粛ムードが漂っており、この先どうなるかは検討もつかなかった。そんな中、通信制大学で働きながら学士を取得しようと考えたのは、休日の在宅時間の増加や、職場の煩わしい付き合いが自粛でゼロになったことで時間的猶予が生まれたこと。
疫病の歴史を振り返り、香港風邪と状況が酷似していることから、この事態が収束するのは最低でも2年要すると判断したことを鑑みて、若年男性なのに非大卒という学歴の弱みを補う機会は今しかないと直感した。
結果として、コロナ禍という不確かな状況で思い切った判断をしたからこそ、周囲がリカレント教育やリスキリングと言い出し始めたタイミングで、既に成果にして、先を行っている状態となった。
手前味噌だが、知的好奇心の強さから、たとえ今までの人生で経験したことのないような状況であっても、累積した知識の中から応用できそうな材料をいくつか引き出してみて、多角的かつ合理的に判断する能力が、他人よりも高いものと推察している。
だからこそ、他人との接触を極力避けなければならない時期に、愚策とも言える外食産業や旅行業の支援が行われて、疫病を抑え込みたいのか、広げて医療逼迫したいのか、本音と建前が一致しないカオスな状況下でも、学士を手に入れることを目標に淡々と学習した。
普段であれば、実利が得られるなら血税を少しでも取り戻そうと、たとえ愚策であっても乗っただろうが、この時だけは微塵にも思わなかった。振り返れば、経済的には非合理的な判断だったかも知れないが、状況からして人目に触れずコソコソ旅行するのも違うため、少なくとも間違った判断ではない。
知的好奇心が強いと、専門家ですら読み違えるような不確かな状況下であっても、多面的な視点で総合的に判断するため、行動を間違えにくく、後から振り返って見た時に、軌道修正すら不可能な過ちを犯すことは滅多にない。
最初に点を沢山作ると、後に線で繋がる
スティーブ・ジョブズ氏がスタンフォード大学の卒業式で、伝説となったスピーチの名言「Connecting the dots」は有名である。動画が公開されているため、興味のある方は調べて観てみることを勧めるが、この場で要点を抑えると、将来を予測して知識や経験という点を繋げて線にすることはできないが、今やっていることが、将来には線で繋がると信じて取り組むことが重要だといった趣旨の言葉だ。
実体験として、自身がリード大学時代に受講したカリグラフィの授業は、当時は何の役に立つかも定かではなかったが、後にApple社の主軸製品となるMacintoshが、多様なフォントを揃えるようになったことに繋がっている。
誰もがこんなサクセスストーリーに仕上げるのは現実的ではないが、どうせ役に立たないからやらないよりは、何の役に立つか分からないが、まずはやってみる姿勢で居た方が、短期的には小さな差で意義を感じられないかも知れないが、後者はトライアンドエラーを繰り返して可能性が広がる分、長期的には目に見えるほど差が開く可能性がある。
だからこそ、どんな状況でも今日、リンゴの木を植えるのだ。多くは果実まで育たないかも知れないが、その経験も含めて行動し続けることが自身の成長に繋がり、後々大きな意味を持つのである。
投資の世界でも、若くて少額なうちに、致命傷にならない失敗を何度も経験して、その度に学ぶことで失敗するパターンを知り、そのパターンに抵触しない手法を編み出すことで、負けない投資が実践できるようになり、晩年に大きな資産を築くことに繋がると思っている。
だからこそ色々と挑戦してみて、成果が出れば御の字。失敗しても後に笑い話のネタになる位の気楽さで、まずは苗木を植えて、次に水をやることが、人生で一番若い今この瞬間に出来る最前のアクションであり、私も20代のうちにひとつずつ点を増やしている最中である。
[増補]利己的な目的が、命を支える原動力となる
コロナ禍以降、学生時代によく聴いていたボーカリストが、20〜30代という若さで1〜2年に1人のペースで亡くなっては、全盛期を青春期にリアタイで経験した一介のファンとして、名状し難い喪失感や虚無感の類に苛まれる。
無論、若くして亡くなるのは不慮の事故や重い病気でもない限り、公になるかは別にしても自決が相場だ。当事者の胸中を知ることはできないものの、命を絶つレベルの絶望感に支配されていたと思うと、胸が締め付けられる。
というのも、私も20代半ばで身体を壊して入院、手術と、労働者として脂が乗り始める、まさにキャリアがこれから加速する時期に、身体が資本な労働者として詰み、中央値的な20代ならまず経験しないであろう、自分では如何ともし難い事由でキャリアを断たれる挫折感を味わった経験から、共感を通り越して同調するためだ。
人生100年時代とか言われるご時世に、その1/4中継地点で身体を壊したことで、体力や気力面での人生のピークが、既に過ぎ去ってしまった残酷さに、入院中のフランスベッド上で気付いてしまった。
これから先は消化試合となる現実を前にしても、絶望するどころか心理的に吹っ切れて、余生を楽しむフェーズだと思いドロップアウトに踏み切ることができたのは、組織人としてキャリアアップしていく以外の引き出しがあったからだろう。
労働はクソだと常々思いながら、将来働かずに暮らすための金融資産を、社畜時代に一定程度築いたことで、今現在、社会に労働力を供給することなく暮らせている。
そして現状、金融資産所得の範囲内での隠居生活が、理論上、持続可能なのは住む分には長閑で良いが、働き口に困るような田舎に限定され、当初のリタイアメントプランの移住候補地であった札幌のような地方都市を望む場合、今の金融資産では心許ない。
だからこそ、札幌移住の機運が醸成される時を見越して、資産運用に精を出しては、運用益の一部を、雪国の使用に耐え得るアウトドアウェアに買い替えるなど、持ち物を順次更新している。
諸々の事情から今すぐ持続可能な形で望みを叶えるのは難しいが、ひとつひとつリスク要因を直実に排除していき、近い将来に必ず叶えたい利己的な目的こそが、20代で大病を患ったことで、いつ終わるかも分からない命を支える原動力となっているのは確かだ。
現状は某北海道ローカル移動番組のサイコロ旅のように、目的地である札幌とは逆方向で右往左往しているが、この寄り道もまたdotsであり、伏線だと考えれば、それが繋がったり、伏線回収する未来まで死ねない。
リンゴの木を植える(将来に繋がる可能性のある)行動は、絶望的な状況が生み出すであろう、希死念慮を先送りする観点でも有効であり、その一瞬一瞬を積み重ねることで、未来が変わる可能性がある。
そう思えると、丁寧な暮らしとは逆行する、いい加減でグダグダな生き様も乙なもので、あれこれ悩むのもアホくさいと適当に受け流せる温度感が、現代社会を生きる上では何だかんだで丁度良いのかも知れない。
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