労働におけるアイデンティティ形成の根深さ
さも当然の如く、共食い整備したが…
「あっ…」ある晩、洗面台に2灯ある電球のひとつが切れた。賃貸物件で備え付けの照明器具(=残置物ではない)が寿命を迎えるのは初めてだ。
不動産屋に良いイメージが皆無なため、自衛も兼ねて設備に付随する電球の交換費用は大家持ちなのか、自分持ちなのかググったが、共用部分ならともかく、専有部分の消耗品交換費用は自分持ちらしい。
というか、歴代の40年50年選手な居住物件の中では、群を抜いて築浅の物件なのに、今時、白熱球かよ。とツッコミを入れながら、これはもしやLED電球を買えば、省エネ家電の助成金が出る奴では?と名推理をした。
東京都ではコロナ禍に白熱球を指定の電気屋に持ち込めば、無料でLED電球に交換するバラマキ政策があり、安い白熱球を買い漁っては、LED電球に交換する転売ヤーの餌食になったのは記憶に新しい。
流石に無料とはいかなくとも、半額くらいの助成金があったら良いなと思って調べたところ、昨年度の物価高騰対策予算で行われていたが、既に終了していた。世の中そんなものだ。
仮に当時それを知っていたとしても、今使えているものをわざわざ省エネなものに買い替える性格でもないため、どのみち使えない助成金だったと思って諦めがついた。
さて、そんな時代遅れの白熱球をLED電球に変えようかとECサイトを検索していたところ、まとめ買いすると安くなる代物を見つけ、そもそもこの物件に白熱球があと何個あるのか調べる運びとなった。
洗面台に2つ、トイレに1つ、キッチンに1つ。4つもあった。しかも全て同じ規格ではないか。そこで閃いた。キッチンのペンダントライトを、転居時から使わずに眠っている手持ちのLEDシーリングライトに換装すれば、ペンダントライトの白熱球を洗面台に移設できると。
私は電気工事士の有資格者であるため、引っ掛けシーリングの取り替えなど朝飯前で、翌日、朝飯を食った後に取り替えた。そうして共食い整備する形で洗面台の白熱球も元通りとなり、ペンダントライトのケーブルと傘だけが物置き送りとなった。
転居時にペンダントライトを原状回復する手間はあるものの、よく伸びをして手がライトの傘にぶつかっていたこと。また費用頻度と電気代の観点からも、LEDシーリングライトの方が都合が良かった。一件落着である。
鬼畜ロボ風に記せば、「最初からそうすれば良かったのに…」となるが、ものぐさな性分故に、面倒ごとが発生しない限り、今あるものでなんとかしよう的な発想に至らない。
枯れた技術の方が却って長持ちする皮肉
そうして落ち着いた時に、共食い整備という発想そのものが、古巣の鉄道業界の影響をモロに受けているではないかと、ふと思った。
元来、この発想は空軍に根強く、戦闘機の修理部品の入手が困難となった際に、複数の故障した機体の、壊れていない部品をかき集める形で完動品に仕立てるのが本来の共食い整備だが、鉄道業界でも車両の保守で似たような状況に陥っている。
というのも、半世紀以上前までは、オームの法則に倣う形での速度制御(抵抗制御)しかしておらず、起動から低速域までの電流の多くは抵抗器に流れ、熱として捨てていた。
しかし、1970年代からパワーエレクトロニクスが進歩したことで、半導体を用いた速度制御が可能となり、当時は省エネ化を謳っていたが、令和の時代に、昭和から平成の初期にかけて製造された鉄道車両用の日の丸半導体は廃盤。保守用部品の供給はとうの昔に途絶え、その維持に苦慮しているのが現状だ。
そこで制御機器更新や廃車を行い、元々備わっていた半導体をもぎ取る形で、70年代〜90年代に製造された車両が、大規模に修繕されることなく現役で使われている側面が、資金力の乏しい会社ほど多い。
中には同業他社から部品を融通して貰ったり、枯れた技術である抵抗制御車の方が、半導体を用いた電車よりも却って長持ちする。
これは鉄道車両に限らず、乗用車でも旧車はアナログ制御であるが故にレストア可能だが、80〜90年代の車は初期の電子制御が搭載されているが故に、レストアが絶望的な点に通じるものがあり、ハイテクよりも枯れた技術の方が却って長持ちするのは、何とも皮肉である。
自由の身になっても、職業人時代と似たようなことをやりかねない
上記のような、業界人からすれば取るに足らない知識や経験が、自己のアイデンティティを形作り、無意識的にその業種・業界の特性が、日常生活の消費性向や行動パターンとして滲み出てしまう辺りに、労働におけるアイデンティティ形成の根深さを痛感する。
想像するに就労することが、自己のアイデンティティ形成に及ぼす影響は、比較対象のない一社目が最も大きく、転職を繰り返すことで偏りが小さくなると同時に、影響も逓減していくものと思われる。
その証拠に、と記すための根拠としては乏しいが、定年まで一社で勤め上げた、これまで人生仕事一筋だった人が、リタイアと共にボケ一直線となるのも、おそらくは自己のアイデンティティ形成のほぼ全てが、ひとつの組織に集約されている影響だろう。
40年以上もの間、自分の役割、存在意義、目標を使用者から与えられる立場だったが故に、これらを主体的に見出す能力が退化した状態で、定年制度という枠組みによって、これまで自分のアイデンティティを築き上げた環境から、強制的に排除されることでアイデンティティ・クライシスに陥る。
長期間、動物園の檻の中で育った動物が今更、野に放たれたところで、自活(狩りを)する能力など失われているに等しいのだから、弱肉強食の世界で食い物にされるだけなのは火を見るよりも明らかだろう。
会社組織という檻の中で、安心、安全、安定した文明社会の生活を営んでいる期間が長ければ長いほど、そこから解放されて、何をするのも自由の身になっても、職業人時代と似たようなことをやりかねない自戒の念を込めて、筆を置かせていただく。
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