手先を動かす楽しさを取り戻しつつある。
いくら熟考しても、経験には敵わない。
先日、地方移住して三週間足らずで、自転車(トレンクル)のチューブに穴が空いたものの、修理屋さんがどこにあるかも定かではなく、ママチャリに毛が生えた品揃えのホームセンターでは、14インチのタイヤやチューブなど、まず取り扱っていないため、仕方なくAmazonで最も廉価な物を注文して、自力で交換する羽目になった。
一般論では難しいと言われている小径車輪のタイヤ交換。クイックハブではなくボルト留めのスポーク取り付けも、後輪でチェーンの調整も、全て初めてだったが、分解しながら構造を確認して、分からない部分はググって、難なく仕上げてしまった。
今のところ不具合はなく、歯車を痛めないために、チェーンオイルを注文したが、それを待たずに乗っている。
自己効力感皆無な性格と、知らないものに対する恐怖感が強いことから、自分ならできるなどの、根拠のない自信が皆無であることから、自分自身の能力を過小評価し過ぎている嫌いがある。
とはいえ、いざやってみると大したことがないのがお決まりのパターンで、例に漏れず、タイヤ、チューブの交換も、案ずるより産むが易しだった。
一度経験してしまうと、工賃を支払ってまで外注する必要性を感じなくなっただけでなく、構造がわかってしまったものだから、カスタムやメンテナンスにこだわる領域まで、視野が広がってしまい、人はこうして沼っていくのだとつくづく思う。
工業高校出身で、工具の使い方も、一般的な部品の役割や作用を実習を通じて学び、部活動でバッテリーカーまで製作し、在学中に溶接や電気工事士の資格を取得しているくらいだから、手先を動かすのが嫌いな訳がない。
たとえ同じ素人のDIYだとしても、多少の知識や技能は有している訳で、明らかな欠陥工事は、やろうと思っても拒絶反応を起こすくらいだ。
しかし社会に出る際に諸々の待遇を鑑みて、町工場ではなく鉄道会社に、それも駅係員と、これまでの知識や技能が活かされることなど、皆無な職種に就いてしまったものだから、培ってきたであろう能力を使わないまま、長い月日が経過していた。
そのため、手先を動かす楽しさをいつの間にか忘れていた。このことをいくら思考を巡らせたところで気付けなかったのは、社会に出てから今に至るまでを振り返れば明白で、やはり、五感を通じて経験したものには敵わないのだと、改めて思い知らされる。
こだわりが強い性vsクセの強い車種。
そんなこんなで、走行させる際に出てくる不満を、これまでなら修理屋で工賃を支払わなければ解消できないと思い込み、費用面で先送りしていたものが、パーツ代さえ支払えば、自分の裁量で出来ることを確信してしまったものだから、どうせ改良するなら、高性能かつ軽量化したくなるのが、こだわりの強い人間の性である。
とはいえ、サイクルパーツの知識は皆無で、どのパーツが適合するかはおろか、今の装備の型番や仕様すら分かっていない。設計が独特なミニベロ故に、この無知は危険である。
折りたたむために余計な機構があるにも関わらず、フレームがチタン製であることから、発売から四半世紀以上経過している今でも現役な、耐久性お化けな車種なだけあって、この手の情報はググれば物好きな方が記してくれていて、ありがたい限りである。
しかし、ロングセラー?(息は長かったが、高価で売れてはいない)で、後継機が出るたびに細かな設計変更が行われているものだから、同じパーツでもモデルによって適合の有無が分かれるクセの強めな仕様でもある。
所有している私と同世代の初期モデル(黒帯)は、最終モデルと設計が最も乖離しているだろうから、同じ部品をポン付けが通用しないのが、難しさでもあり、奥ゆかしさでもある。
心、身体、頭をバランス良く使う大切さ。
真っ先に改良しなければならないのはフロント、リアにそれぞれ搭載されているブレーキキャリパーだ。シングルピボットと、支点1つで両側(2箇所)でブレーキシューを押し当てなければならない構造上、力が分散されてしまうのか、恐ろしいほど制動力がない。
下り坂だと勾配によっては、握力測定でもしているかの勢いで握らなければ減速できない。屈強はフレームとは打って変わって、キャリパーは華奢だから、ブレーキシューだけ高性能なものに変えても、剛性不足で大差ないことくらい想像に難くなく、念のためググったが同じ結果が出た。
やはり剛性の高いもので、かつ支点と作用点がそれぞれ独立しているデュアルピボットに変更する他なさそうで、この結論までは直感的に辿り着いたものの、問題はどの部品が適合するか分からない程度に無知であることだ。
最終モデルに搭載されているキャリパーと同一設計の、後継部品が使えるのがベストだが、フォークの設計が違うから全くもってアテにならないらしいが、そもそもフォークが何かすら分からない。少なくともスプーンとセットではないのは確かだ。
調べるうちに、どうやらディメンションの項目が重要らしく、固定するセンターボルトから、ブレーキシューまでの距離を表すらしい。買おうとしている部品のミリ数は記載されているが、標準搭載されている最弱ブレーキの規格が分からない。
これもまた、軽量化に命を賭けている熱心な方が、パーツ毎に重量の増減を記してくれているがために、それらしい型番が特定でき、超がつくロングアーチであることが発覚し、検討していたシマノは全滅。
悪名高きテクトロか、同じダイアコンペのデュアルモデル以外の候補が見当たらず、恐らくポン付け出来るであろう後者を、適合しなかった時や、思うような制動が得られなかった時の損失を最小限に抑えるために、ビビりながらフロントだけ注文した次第である。
晴耕雨読ではないが、晴れの日はサイクリングで身体を動かし、雨の日は自宅で手先を動かして整備ないし改良する生活だと、心と身体と頭をバランス良く使えそうな気がする。
それと同時に、多くの社会人が頭脳ばかり酷使しているバランスの悪さから、現代的な病気や病体を患うリスクが高くなっているのではないかと、そこから離れてみて気付かされた。何事も経験してみないと分からないものである。