免許返納に逆行する上限年齢引き上げ...
判断できなくなってからでは遅い。
「また信号無視か…」歩行者信号が青になったため、左右を確認して渡ろうとしたところ、左側からアクセルベタ踏みの軽乗用車が、停まる気配がないため渡らずやり過ごした。車には四葉のマークが貼られていた。
国交省が過疎地の移動手段を確保することを理由に、個人タクシー運転手の年齢上限を、現行の75歳から80歳まで引き上げる方針が物議を醸している。
なぜ物議を醸すかといえば、つい最近は埼玉県所沢市や、群馬県館林市にて、高齢ドライバーの車が、グランド・セフト・オートを彷彿とさせる暴走劇を繰り広げている様子が撮影され、SNS上で拡散。ワイドショーでも取り上げられる程度に、高齢者の運転、免許返納に対する関心が高いと言える。
そもそも一般論として、加齢に伴い身体能力や、認知・判断能力は低下する訳で、行政機関が70歳を目安に自主返納を求める動きと、今回の年齢上限引き上げは逆行している。
私は運転が嫌いだ。鉄道会社に就いて、電車の運転を生業にした経験があるからこそ、他者の命を預かる重責と、待遇が見合っていないことに憤り、いくら自分がルールを守ったところで、相手がアタオカなら貰い事故に至る理不尽さ。
そうした点から、リスクに見合わない行為と強く感じて、元々あまり好きではなかった運転が、より一層嫌いになったと表現した方が適切かも知れない。
免許という時は免じて許すと書く。資格発行者である国が、一定の基準に満たしていることで、初めて1トン超の鉄の塊を運転することが許されている訳で、ハンドルを握る以上、他者の生命を脅かさない責任が生じる。
しかし老衰に伴い、自分が運転への適性がないことを自覚して、免許を返納する判断そのものができなくなってしまうと、所沢や館林のような、暴走車を生み出すことに繋がりかねない。
昨今の事例は、運よく死傷者が出ていないだけで、一歩間違えれば東池袋のような、余命幾許もない高齢者が、未来ある若者の命を奪う、痛ましい事故が起きかねない。凶器にもなり得る物体を操作する以上、加齢で判断ができなくなってからでは何もかも遅い。
乗用車の運転は案外、難易度高い。
乗用車を運転した経験がある人はごまんと居るが、鉄道車両を運転した経験がある人は限られる。事実上、鉄道会社に入らなければ、動力車操縦者という運転免許が取得できないからだ。
動力車操縦者は、取りたいと思って取れるような資格ではない。鉄道会社に入社するにも就活で勝ち抜く必要がある。入社後に駅係員などで一定の経年を積み、社内の資格試験を突破して、初めて自動車でいうところの教習所に入ることができる。
教習所に入る時点である程度の適性は見極められているため、最終的に取得出来ない人は極稀だが、そこに至るまでが狭き門だし、土俵に立ってからも半年以上に渡り、学科や実技教習と、試験をパスしなければ国交省から免許が交付されることはない。
そんな航空パイロットに負けず劣らずの花形職種のイメージだが、運転操作自体はブレーキを除けば乗用車よりも簡単である。
毎日同じ区間を往復するため、走行条件が事前に分かっている。基本的には踏切と閉塞で安全が担保された軌道敷を走行し、進路はポイントで切り替えるため、レバーで加減速操作をするだけと単純だ。
それに対して乗用車は、初めての道で標識を認識。安全は目視・ミラーで確認し、進路はハンドル操作、ペダルで加減速。それも他車の動向に応じた操作が要求されるマルチタスクで、どう考えても乗用車の方が運転の難易度は高い。
因みに動力車操縦者は免許更新の概念がなく一生モノの資格だが、3年に1度のクレペリン検査と、半年毎の健康診断(特に視力)の結果が良好でなければ、免許があっても事業者側で乗務不能と判断される。
その上、定年退職があるから、現時点では事実上65歳が上限となっているが、そもそも変則的な泊まり勤務で、65歳まで身体が持たないため、ヨボヨボの超おじいさんが運転することはない。仮に操作をミスしても、鉄道なら保安装置が働くため、責任事故に至ることも稀である。
意外な形で自動運転にパラダイムシフト?
養老孟司さんは講演で、豪に1年居た時に車6台壊したから(運転)やめたと言った。その時に聴衆は笑ったが、私は適性がないと自覚している人が運転しないのは英断だと考える。
かくいう私も一点に集中すると周りが見えなくなる、ADHD気質(注意欠如)な側面を自覚しているため、運転免許はあるものの、Kindle Paperwhiteならぬ、Handle Papergoldである。
端から取るつもりなどなかったのだが、高卒で社会に出るタイミングで、保護者に運転免許だけは取っておけと、田舎臭い価値観から無理やり教習所にぶち込まれた手前、20代で自主返納するのはばつが悪いため、Handle Papergoldで静かなる反抗をしている。
結局、早生まれが仇となり、在学中に仮免許までしか進めず、その価値観を押し付けるなら、早生まれに生むなよと思いながら、新社会人と教習所の第2段階とペーパーを並行する地獄を味わったことが、運転嫌いの元凶になった感は強い。
養老先生や私のような、適性がないことを自覚し、運転するリスクと得られるリターンが釣り合わないと判断して、自制している人間は問題ない。
しかし、過疎地で生活の足として運転し続けて、自分は大丈夫だと過信している人間は晩年に事故って禁固刑みたいな事態になりかねないが、今の日本社会は後者が多数派だろう。
現段階では自動運転なんて眉唾もので、機械に身を委ねるなんて的な価値観が根強いが、2025年に団塊世代全員が後期高齢者入りを果たし、全国各地で暴走車の発生が常態化すると、何するか分からない老人にハンドル握らせる位なら、却って機械の方が安全だとパラダイムシフトが起きて、自動運転が普及する展開を予想している。
しかし、過疎地となるとコストをかけて自動運転に対応する、経済的メリットがないため、そうもいかないのが現実だろう。
そこで思うのは移動手段の確保で、待遇を改善せず、成り手も居ないからと、タクシードライバーの上限年齢を引き上げ、今就いている人を5年間延長するだけなら小学生でもできることだ。
そうではなく、若い世代が就きたいと思える程度に、個人タクシーが生業として魅力的に映るような産業構造にしたり、既に飽和状態の女性や高齢者で労働力を補うだけでなく、大した就労支援もない若年男性失業者を活用するのが、国交省の仕事ではないだろうか。