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若い時のお金、どう使うべきか?
投資先は人的資本?社会資本?金融資本?
若い時のお金は自己投資や経験に使え。資産運用なんてしみったれたことはするな。いやいや、複利運用の力は偉大なのだから、若い時ほど資産形成に励み、ある程度の資産が形成できてから経験に使っても遅くはない。
同じ成功者やインフルエンサーでも、宵越しの銭なんて残すな派と、転ばぬ先の杖派で真逆のことを主張していることは往々にしてある。そして、スマホネイティブ世代の若年層ほど、両方の情報に触れて、結局のところどちらを信じれば良いのかわからず、これまで通りの日常を繰り返しているのが大多数ではないだろうか。
若い時のお金をどう使うべきかは、人生設計を考える上で重要な道標となるだろうから、いつ考えても早すぎることはない。
とはいえ、人生設計は千差万別。性格やリスク許容度による方針の違いもあるだろうから、学校教育のような画一的な正解というものはない。正解がないからこそ、自分の価値観に照らし合わせて、納得感があり、心地よいと思えるお金の使い方が重要と思われる。
参考になるのは橘玲さんの「幸福の資本論」で、知識や技能など、本人の稼ぐ力とも言われる人的資本。他者とのつながりを重視する社会資本。そして人生の選択肢を増やせるカネもとい金融資本に大別されている。
人的資本と社会資本が宵越しの銭なんて残すな派で、金融資本が転ばぬ先の杖派だと考えれば、どちらが正しくて、どちらが間違っている類の主張ではないことは確かで、どこまで行っても本人のバランス感覚の問題でしかなく、過激な主張はそれぞれの資本一点を追求した極論だと受け取る程度で良いと思う。
人生設計とやりたいことリストの重要性。
そもそも私が考える投資とは、今よりも未来が良くなることに賭けて、金銭、時間、労力といった、自分が持ち合わせているリソースを費やす行為である。
つまり、金銭、時間、労力を費やしてでも得たいと願う「未来」を思い描かなければ、投資すべきかの答えは出ない。
例えば、投資経験皆無なサラリーマンが、定年退職でまとまったお金を得たことから、老後資金を増やそうと投資に興味を持つと、大概は失敗に終わるのは、なんとなくで老後資金を増やそうと、明確な「未来」を思い描かずに投資するからではないだろうか。
必要なのはまず、今できてはいないが、いつかはやりたいことをリストアップする。それにはどれ位のお金が必要となるのか概算する。優先順位も付けておくと良いかもしれない。
そのリストを一旦棚上げして、現実世界に戻り、自分の生活費用が年間でいくら位か。主となる収入源でどれくらい賄えるのか。賄いきれないのであれば、持ち合わせている資産で事足りるのか。
それを判断するためには、何歳まで生きるかも考えなければならない。平均寿命で計算するのか、100歳まで生きるつもりで計算するか。これにより答えも自ずと異なるだろう。
そうして弾き出した余剰資金の範囲内で、先ほどのやりたいことリストで優先順位の高いものを優先的にピックアップしてみて、それらが叶えば良い人生だったと思える範疇なら、無理に資産運用する必要はない。
願いを叶えるには余剰資金が足りないと思うなら、金銭だけでなく時間と労力も費やして、生涯現役で働くなり資産運用で増やすオプションが浮上する。だからこそ、なんとなくで老後資金を増やそうと、明確な「未来」を思い描かずに投資すると、道標がないため大概は失敗に終わる。
もし今日が人生最後の日だとしたら…
さて、上記の考え方を定年退職時から、現役世代であれば今現時点までスライドしてみれば、膨大な変数はあるものの、大枠そのものは大して変わらないことに気付くだろう。
若い時ほど、自分がいつか死ぬ実感が湧かず、真剣に考えられない嫌いがあるが、ジョブズ氏の「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしたことを本当にやりたいだろうか」と自問自答する。
私は20代半ばで大病を患い入院した際に、癌まで疑われたこともあり、それを否定する検査結果が出るまでの数日間、文字通り生きた心地がしなかった。
もしこのまま抗がん剤治療みたいな話になって、退院もできずに人生が終わるとしたら…とネガティブ思考に陥り、こんな事になる位なら、未来のことなど考えず、あれこれやっておけばよかったと、倹約と投資に心血を注ぎ、楽しみを先送りしていた節約人生に後悔した。
多くの若年層が、ここまで鮮烈な経験をすることはないと思うが、これこそが、もし今日が人生最後の日だとしたら思考の究極だろう。死に直面すると、どんな能力があるかとか、人脈が広いとか、お金持ちかどうかは重要指標ではなくなる。
だからこそ幼い頃や親になって聞いたであろう、やなせたかし作品の某マーチにある「何のために生まれて、何をして生きるのか」を真剣に考え、目的を実現するためには何が必要なのか。
今の自分では何かが足らず、できない様であれば、それを補うための手段として、人的資本なり、社会資本なり、金融資本なりに投資する必要性が浮上する。投資はより良い人生を叶えるためのいち手段であって、それが目的化してはいけない。
つまり、若い時のお金を何に使うべきかは、自分で何をして生きるのか考えた上で、それを実現する確率を上げてくれそうなものに使うべきという、答えは自分の中にある的な結論になり、こんな毒にも薬にもならない記事を読まされた時間を返せと言われてしまえばぐうの音も出ない。ぐぅ〜