時勢で就活難易度が変動する社会
地方公務員の担い手不足
N○K対策で受信機を有していない私だが、何かの拍子に民放の「堀潤激論サミット」を見た際に、若者の公務員退職増もとい、地方公務員の担い手不足が特集されていた。
就職氷河期世代ほど露骨ではないにしても、これでも一応、自分自身の進路たるものを意識しなければならない、多感な年頃にリーマンショックが発生し、その煽りを受けて日本航空が経営破綻した時代の就職難を、自身では直接経験していないにしても、当時の雰囲気をマスメディアを通じて見聞きしていた身としては、時代が変わったのだとつくづく思う。
先日、公僕の友人と飲んだ際にも、特に地方は少子化、人口減少を加味しても、有意差と言って差し支えないレベルで、求人倍率の低下が顕著に表れていて、人材も質より量感が年々強くなっている肌感覚があると愚痴をこぼしていた。
平成が失われた30年で、日本にとってはバブル崩壊後から大きな変化がない、デフレの時代だと仮定すると、令和は既に疫病と戦争という、平成の30年間で、人類が克服できたものと思い込んでいた有事が再び起きており、副産物的に日本でもインフレが生じている新時代とも捉えられる。
とはいえ実態としては、名目値からインフレ率を差し引いた、実質賃金が24ヶ月連続で減少しているスタグフレーションに他ならず、物価は上がるものの、賃上げがその伸びに追いついていない意味で、個人の懐事情は厳しい現状となっている。
その中で、公務員の給与形態は、民間(いわゆる大企業)の給与統計を元に、増減率を決定する意味で、後追い(遅行指数)であることが、ここ最近のインフレを、賃上げでは対処できない一因であり、そのうえ典型的な年功序列制で、若い時に安くこき使われる構造と相まって、待遇面で見劣りして映るのが就活生の本音であり、担い手不足に直面しているのだろう。
就(転)職はタイミングと環境と運でほぼ決まる
私は高卒で社会に出て、その4年後に転職したことから、事実上、高卒時と大卒時の就活市況を擬似的ではあるものの、体感していることになる。
この頃は、アベノミクス下で異次元金融緩和の影響も少なからずあってか、長年横ばいだったGDPが、若干上がり始め、ガースーが良い仕事をした結果、インバウンドにより、局所的ではあるが景気が上向いている実感が出始めた時期だった。
これが何を意味したか。高卒の就活よりも、その4年後の転職活動の方が容易だった体感から、時勢によって就活難易度が変動する、ある種の理不尽さを持ち合わせた社会であることを、まざまざと実感した瞬間だった。
事あるごとに記しているように、日本社会は新卒一括採用、年功序列、終身雇用の3点セットがぶっ壊せていない弊害で、新卒採用時に市況が悪く、出足を挫かれると、キャリアの再形成が本人の努力では如何様にもし難く、一気に無理ゲー化する構造上の欠陥を抱えている。
しかし、景気は循環する。自分らが就活する際に景気が良いか悪いかは、蓋を開けてみなければ分からない意味で、ある種のガチャに近い、運ゲーとも捉えられる。
大学を卒業する時期に運悪く、バブル崩壊、リーマンショック、コロナ禍を迎えた世代は、例えどれほど優秀でも採用が抑制されて、労働力が安く買い叩かれる。
逆に、コロナ禍で採用抑制をしたツケで、経済活動が正常化した今、人員不足に拍車が掛かっている業界では、猫の手も借りたい状態であり、誰でも良いから数合わせで来て貰うために、大して優秀でなくても、その労働力が高く評価されたりする。
結局のところ、就活市況が良い時期に、稼げる業界のポストに就くことが、自身の労働力を安売りしないための重要な要素になるという、個々人の努力など、大した影響はなく、タイミングと環境と運で、結果の大枠が左右されるという、身も蓋もない結論が待ち構えている。
コロニーを存続する上では余剰が必要
しかし、新卒で社会に出る時期は選べない。何なら私の親世代は、高卒はバブル真っ只中で勝ち組、大卒はバブル崩壊後で氷河期みたいな、高学歴の方が報われない結末を迎えているからだ。
とはいえ、高卒の段階で、4年後に景気が悪くなることを見越して就職できるほど、地頭が良くて機転の利いた高校生が、経済的合理性をもとに敢えて大学に行かない選択をさせてしまうのも、社会にとって大きな損失だと思う。
だからこそ、時勢が悪い時に無理矢理社会に出ては、労働力を安く買い叩かれてブラック企業で疲弊する道ではなく、大学を出た後も、しばらく適当にフラフラした後、今だと思ったタイミングで社会に出ても、白い目で見られない社会を、どう構築していくかが重要に思える。
働きアリの法則で、全体の2割くらいが怠惰なのは、コロニーを存続する上では余剰が必要だからだ。そう考えると、新卒一括採用、年功序列、終身雇用の3点セットは害悪でしかない。
新卒カードが第二新卒枠含め、卒業から3年以内にしか切れないことで、否応にも働く前提となるうえ、時の運に左右される。年功序列制だと長く居る奴が偉くて高給取り的な風潮となり、優秀な人から離れていく。そして終身雇用の裏返しでレイオフできないから、その皺寄せが新卒にいく負のループ。
VUCAの時代となったことで、日系企業の象徴とも言える温情経営が逆効果となっているのが現代に他ならない。結果として、若手と優秀な人から順に居なくなり、組織に残るのは、ぶら下がっている働かないおじさんもといフリーライダーばかり。これで生産性が上がるわけがない。
少なくとも今の日本社会では、労働市場での余剰をいかに活用するかしか考えておらず、余剰のまま温存する視点が欠けている。そうして余剰は、ニートとか引きこもりとラベリングして、社会参画のハードルを無意味に上げているが、余剰を許さない風潮を保持した結果、コロニーが滅びるという手痛いしっぺ返しを食らわない限り、この考えは変わらないのかも知れない。
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