科研費の増額で大学の状況が改善されない理由
はじめに
「学会連合の有志連合」という団体が科研費の増額についてオンライン署名を始めています。
現時点(2024/7/3 13時ごろ)で5000名少々の署名となっており、これが多いのか少ないのかはよくわからないですが、Xにいる研究者でも賛否が分かれているところを見るとあまり支持を集めていないように思いますし、実際、現時点で私も署名していません。実際、研究者から見たらこの署名の内容には同意できないことが多いのです。
しかし、そんな事情を知らない研究者外の人がこの署名を見たときに「大学の支援は支持者が少ないんだな」と思われるのは大変心苦しく思っています。なので、大学の事情をご存知ない一般の方向けに、大学で研究教育に携わっている立場から、この署名がなぜ問題があるのかをなるべく簡単にまとめたいと思います。
科研費とは
まず、署名で増額を訴えている「科研費(正式名称:科学研究費助成)」とはなんなのかを簡単に説明したいと思います。問題点だけを見たい場合は飛ばしていただいても構いません。
科研費は”研究者”に国が助成する
科研費Q&Aにあるように、科研費は大学や研究機関の所属する”研究者”に資金を援助する仕組みです。幅広い研究に対してお金を支援することによって、研究者の自由な発想を促して、その中で高い注目度を得る研究が生まれてきました。「がんの治療薬オプジーボ、iPS細胞による再生医療、高画質薄型テレビ(有機EL)、LED照明に用いられる青色発光ダイオード、携帯タッチパネルに使われている導電性ポリマーの開発」などが前述の署名でも科研費から生まれた功績として紹介されています。
お金が与えられる研究課題は研究者が決める
このような性質から、研究者はこぞって科研費を応募するわけですが、応募した課題全てに与えられるわけでは当然ありません。採択率は科研費の管理組織である日本学術振興会(JSPS)のウェブサイト上で公開されており、最新の結果では、若手研究など若手向けのもので40%程度のものもありますが、多くは10~20%程度の採択率になっています。
では、採択する研究をどのように決めているかですが、これは研究者が評価しています。JSPSでは評価する研究者をデータベース化しており、研究分野ごとに分けてそれぞれを専門とする研究者が評価する(ピアレビュー)仕組みを作っています。
お金の管理は所属機関がおこない、研究課題に関連した支出をする
実際に採択されたお金は、所属機関の財務管理下に入ります。間違っても研究者のお財布には入りません。所属機関の財務に研究者が研究課題に関連した物品購入などを依頼して、購入手続きが進められるという方針を取ります。なので、もし研究者が変なものを買おうとしても大学の財務で止められます。
また、お金を管理する際に、所属機関は研究費の管理よび執行のための費用として”間接経費”という名目で研究費の30%程度を取ります。つまり研究者が使える研究費(”直接経費”)は全研究費の70%ということになります。
科研費増額だけで大学の状況がよくならない理由
研究者への投資であって研究機関への投資ではない
科研費の最初の説明にもあった通り、科研費は”研究者”への投資であって、その研究者が所属する研究機関への投資ではありません。もし科研費が与えられたとしても、その研究者の研究活動へのお金として使うことはできるものの、その研究を下支えする環境(光熱費、論文購読、事務職員の人件費等)にお金を使うことはほとんどできません。研究機関は間接経費として30%予算を得ることはできますが、これは研究機関全体の採択数によって予算が上下することであり、安定な財源とは言えず、前述のような研究を下支えする環境の維持には使えません。
このままでは「科研費を取って研究するお金はあるけど研究する環境はどんどん悪化する」という状況が生まれてしまい、科研費を取った人も満足に研究ができなくなってしまいます。
この問題は研究環境だけではなく、研究者自身にも降り掛かります。研究機関とりわけ国公立大学は運営費交付金の削減によって十分な予算がなく、研究者の雇用人件費すら安定して捻出できない状況になりつつあります。国公立大学では、退官した教授の補充がされず、研究室の数が減少したり、任期付の雇用が増えたりしており、研究者を取り巻く雇用環境は悪化しています。科研費の増額は、このような研究者自身の雇用安定にも全く役に立ちません。科研費が取れても任期が切れたら無職ですから。
選択と集中が加速し、研究教育格差が拡大する
科研費は研究者のピアレビューによって採択課題が10〜40%程度の採択率で選ばれています。逆に言えば、60〜90%の研究者は科研費を得られないということになります。ゼロです。それで最低限の研究ができるように研究機関から研究費が与えられるのであればまだいいですが、研究機関とりわけ国公立大学は運営費交付金の削減によって十分な予算がなく、年間で10万円行かないというところすらあります。この状態では自由な発想の研究どころか、最低限の研究活動すらままならなくなってしまいます。なので、採択率が劇的に増加限り、科研費増額は採択されないマジョリティ研究者の活動を犠牲に、採択された研究者の研究を促進させるだけで、結果的には研究教育格差が広がるだけとなります。
この問題は研究室内の研究教育にも影響を与えます。当然です。科研費取らなくては研究ができなくなり、他の競争的資金状況によって学生の教育状況が同じ大学にも関わらず変わってしまうということにもつながります。
リターンが社会に直結していない
私が個人的に一番署名に納得していないのがこの部分です。これについてはXで私も言及しています。
署名の説明スライドを見ればわかりますが、一発目に出てくるのが、論文数と引用数トップ10%論文数です。研究者がよく言われるフレーズをあえて言いましょう。それが社会にとって何の役に立つのでしょうか。確かに科研費によって芽が出た研究もありますし、それが社会実装につながったものもあるでしょう。引用数トップ10%になるようなインパクトのある研究が出るかもしれません。しかし、論文は所詮論文で、それをありがたがってるのはごく一部の研究者だけです。すごく引用された論文が出ても研究に関わらない人にとっては完全に無縁の話です。本当に社会を説得する気があるのでしょうか。本当に研究に対する危機感を伝えるなら、研究機関・特に大学そのものが研究機関どころか教育機関としても機能しなくなりつつあることを伝えるべきです。教員数の減少、電気代の逼迫、購読できる論文数の減少、学生実験などに使う共通設備の更新の停滞、あらゆるところで大学の維持に限界がきていることが伝えられています。
このままでは、大学アカデミアどころか産官で高度な知識・技術を活かして活動できる人材を世に送り出すこともままならなくなります。工学系なので、いろんな企業と話をする機会がありますが、どこもかしこも人材不足と言われ、危機感を覚えます。これは論文数とか引用数トップ10%論文数とか以上に社会に直結する課題のはずです。それに対する言及が全く見られず、研究という点ばかりに集中して主張されている署名に強く違和感を覚えます(主体が学会であり、所属が大学ばかりでないからという背景はあるでしょうが)。
どうして欲しいか
国が大学に投資するお金(運営費交付金および私立大学等経常費補助金)の増額を望みます。少なくとも、法人化の名目で削減し続けた運営費交付金を元に戻して欲しいです。そうしないとハイインパクトな研究どころか、研究そのものが困難になりますし、満足な教育を学生に与えることも難しくなります。そのためには、大学の研究者は研究ばかりを考えるのではなく、教育による社会的な貢献についても深く考えるべきだと思います。