当時はPTSDというものすら知られてなく、鬱に対する偏見、直属の隊長は消防学校時代の教官、次休んだら許さん!と言われ
その隊長は家まで朝迎えに来てくれて、一緒に出勤するという方法をとってくれたが、精神的に拒否してるから続かない、休みたい、体温がさがり身体がみぶるいする。
傷病休暇とか知らなかったし、
受理してくれなかっただろう。
そんなひと昔まえの時代だ。
いまでは当たり前に優しく接してくれるだろうが、30年も前は違う。
結局、辞職し、民間でとりあえず働いたが、ある朝のニュースで消防士4人が死亡というアナウンサーの声が耳に入った。
テレビをみていると、写真がでて、名前も読まれていた
その中に友達であり仲間であり消防学校では隣りのベッドだった彼の写真が写し出されて、血の気が引いた、まさか、
信じたくなかった。
彼は、自分のなりたい救助隊の隊長になっていた。
葬儀に出席したが、棺の中の彼の顔を見た途端にひざまづいて泣きまくって、片隅に彼の最後に着ていた、救助服と防火着が、吊るされていて、その装備品は真っ黒になっていた。
人命検索の為屋内進入している時に建物が倒壊し、下敷きになり隊長として、最後の気力を振り絞って、無線で声も途切れ途切れに仲間を助けてと、現場指揮に無線を送ったそうです。
彼には当時、生まれて間もない赤ちゃんと、奥さんがいて、
僕の涙は止まらない、棺の前にしばらくいました。
彼は消防士として、救助隊隊長として、命をかけて、任務を果たし殉職した。
それに引き換え僕は自分に負けた。
今でも思うが、あの大災害の時、何回も危ない状況があったが、あの時に死んでいれば30年余り苦しい気持ちに精神が壊れずによかったのに、と思っています。死ぬまでひきづって自己嫌悪に苦しむんだろうな。
長くなりすいません
また、続きは今度