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【短編小説】ジャムおじさんのその後

 ジャムおじさんの話を聞いてみないか。職場の先輩から言われたとき、僕は戸惑いを隠せなかった。

 ジャムおじさん。ここ日本において知らない人はほとんどいないだろう有名人だが、僕はアンパンマンの顔を作っている人という印象以上のものを持ち合わせていなかった。今、ジャムおじさんの話を聞いて何になるのだろうか。そうした思いをよそに話は進められ、面談の日時が決まってしまった。

 そのとき、僕は仕事でスランプに陥っていた。銀行に勤めて10年。仕事には慣れたものの、日々のノルマに追われ、無茶な営業を続けていた。融資実績を作るために顧客企業に無理を言い、他行からの借入を0.1%低い金利で借換してもらう。その後、また0.1%低い金利の他行の融資で借り換えされてしまう。僕がやっていることは世の中の役に立っているのか。心はどんどん磨耗していった。

 そんな中、急遽ジャムおじさんの話を聞くことになった。よくわからないものの、お世話になっている先輩の提案を無下にすることもできない。パンを焼く人の話を聞いて何になるのだろうかーそう思いながら、待ち合わせ場所の喫茶店でジャムおじさんと対面した。



「思えば遠くへ来たものです」

 ジャムおじさんは自らの人生を振り返り、こう語り始めた。

「私が今していることを理解してもらうには、まずは私の生い立ちからお話しする必要があります。あなたが持つジャムおじさんのイメージとは異なることをしているのかもしれませんが、最初からご説明すれば、なんとかご理解いただけるのではないかと思います。

 私はバブル景気の真っ只中に、ジャム製造会社の一人息子として生まれました。

 父の会社は果実をそのまま使用した高級ジャムを得意としており、当時はとても景気が良かったため、父の会社が製造するジャムは飛ぶように売れていたそうです。もっとも、私が小学校に入る頃にはバブル景気は終わっており、高級ジャムは一気に下火となっていました。旺盛な需要に応えるべく導入した製造設備は銀行借入に頼っており、売上が低迷するなか返済負担が重くのしかかり、資金繰りはかなり厳しい状況にありました。

 父は経営を立て直すために人員削減を行いました。あらためて言うことでもないですが、事業の収支を改善するには売上を上げるか費用を下げるしかありません。高級ジャムの需要増加が当面見込まれないなか、取りうる手段は費用削減しかありませんでした。ただし、人員削減をおこなった分は現場に負担がかかります。そこで両親も現場に入るなどして回していたのですが、経営と製造の両方を担い続けるのは現実的ではありませんでした。そこで、中学を卒業したタイミングで、私が現場に入ることになったのです」

 店員がコーヒーを運んできたため言葉を切る。運ばれてきたコーヒーを慎重にすすり、また話し始める。


「私を高校に行かせられないことが、両親にはとても心苦しい様子でした。

 それでも幸か不幸か、私は勉強がそれほど得意ではなかったため、工場でジャムの製造プロセスに関わっているほうが気楽でした。幼い頃からジャムというものに慣れ親しんでいたこともあり、ひとつひとつの機械の動かし方を覚え、工場の皆さんの役に立つことにやりがいを感じていました。毎月末にもらえる給料も、今振り返ればかなり少ない額ではありましたが、とても楽しみにしていました。

 その頃私は経営のことはまるでわかりませんでしたが、私が入って数年後には、人員削減の効果もあり大分持ち直していたそうです。

 私がちょうど二十歳になったとき、転機が訪れます。バイキンマンの襲来です。ジャムの販売先である街の治安は急速に悪化し、人々は外出を控えるようになり、父の会社が作る果実入りジャムのような贅沢品の需要は蒸発してしまいました。ジャム自体は加工品なのでそう簡単には蒸発しないのですけどね」

 あまり上手とはいえない冗談を交えながら、ジャムおじさんは続けた。


「もちろんこちらも手をこまねいている訳にはいけません。バイキンマンに対抗するための何かが必要でした。バイキンに対抗するにはどうしたらいいか。地元の製造業者と毎日話し合いを重ねた結果、菌には菌で対抗するしかないという結論になりました。取引先のパン製造業者から酵母を分けてもらい、研究を重ね生み出したもの、それがみなさんご存知のアンパンマンなのです。

 アンパンマンはとても優秀でした。バイキンマンと戦う勇気と実力を兼ね備えていて、バイキンマンの襲来時に果敢に立ち向かうため、街の治安は保たれるようになりました。街のみなさんはアンパンマンの活躍に喝采しました。

 いつの頃からか、アンパンマンとバイキンマンの戦いを動画に撮る人が出てきました。みんなの見られる動画サイトに投稿され、瞬く間に情報が拡散され、アンパンマンは一躍街のヒーローになりました。

 ところで、アンパンマンは顔が濡れると戦えないという弱点を持っています。バイキンマンを倒し続けるには、アンパンマンの顔の量産体制を確立する必要がありました。今ならクラウドファンディングというのでしょうか、私は街のみなさんから寄付を募り、パン工場を新設することになりました。異業種への進出です。

 最初は失敗続きでしたが、もともと食品製造に携わっていたこともあり、品質が安定するのにそれほど時間はかかりませんでした。むしろ大変だったのがパン工場の経営です。アンパンマンの顔を作る費用はみなさんの寄付で賄われているのですが、バイキンマンを倒してくれる状況が続くと、それを当然の状況と考えたのか、みなさんからの寄付がどんどん減っていきました。

 バイキンマンを倒すことは公益に叶うことなので、税金の投入を要請することも頭をよぎりましたが、私はできるだけ民間の力で完結する仕組みを作りたいと思っていました。ビジネスモデルの転換が必要とされていました」

 一気に語りすぎたのだろう、冷めてきたコーヒーをすすり、ジャムおじさんは一息つく。少し時間を置いて、また話し始める。


「よく状況を見渡してみると、アンパンマンがバイキンマンを倒すことは当たり前ととられるようになってしまったものの、その様子を撮った動画は根強い人気を持っていました。そこで、アンパンマンと一番身近にいる私が動画を制作した場合、より良い物語を生み出せるのではないか、その動画を販売してはどうかと思いついたのです。

 さっそく、アンパンマンとバイキンマンの戦いを趣味で撮っている方々に撮影の依頼をかけてみました。趣味が仕事にできるのだから嫌なはずはありません、彼らは快諾してくれました。そうして私の監修の元で出来上がった動画が、みなさんも見たことがあるアンパンマンなのです。アンパンマンの放送収入により、アンパンマンの顔の製造を継続できるようになったのです。

 ジャム製造、パン工場経営、映像監督。様々な仕事を行なってきて感じたのは、何であれ事業を続けることはとても難しいこと、思いもよらないところに状況打開のヒントがあること、そのヒントの実現にはみんなで力を合わせて考えないと辿り着けないことです。

 それで冒頭の話に戻るのですが、私は今、事業再生コンサルタントをしています。

 事業を続けるには様々な困難があり、その状況打開のために私は様々な方から助けていただきました。大げさな言い方になりますが、街のみなさんにその恩返しがしたいのです。

 パン工場ではいつも、生きてるパンを作ろうと話をしていました。生きてるパンを作ること、すなわちしっかりしたものを作ることはとても重要なことです。ただし、それだけでは事業は継続できません。どのようにして消費者に価値を見出してもらうか、その価値に見合った価格で販売できるかーそれらも等しく重要なのです。

 私は製造プロセス、経営プロセスの両方に携わり、場合によっては抜本的な財務改善を提案することで、顧客の事業再生を全力で支援しています」

 そう語るジャムおじさんの目は、自信に満ち溢れていた。

 会社の先輩が僕をジャムおじさんに会わせた理由がわかった気がした。ジャムおじさんみたいになりたいー僕の新しい目標ができた瞬間だった。

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