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夏、おまえを好きになってしまう

夏は、嫌いだった。

暑いし、汗をかくし、道端にはいつか鳴き出しそうな蝉の死骸がたくさん落っこちている。植物は干からびて皆下を向き、コンクリートだらけの都会はいつもに増して渇いて見える。夏で良いことなどひとつもない。しいて言えば、洗濯物がよく乾くことくらいだ。

私にとっての夏は、プールでも海でもスイカでもなく、永遠に続くと思われた退屈な記憶で埋め尽くされている。
中高で所属していたオーケストラの部活はそれなりに厳しく、毎日練習があった。にもかかわらず自分にはメリハリも目標もなにもなく、だらだらと、涼しい音楽室で練習をしながら「時間をつぶしていた」という感覚しか残っていない。そして家に帰ると大量の宿題。あの宿題をどうやってこなしていたんだろう。ひと夏で変わることと言えば、肌の色と課題への書き込みくらい。暑さもやることも、全てがコピーペーストしたような日々だった。

大学時代もそうだ。晴れて宿題の地獄から解放されても派手に遊ぶことはなかった。人生で一番長い夏休みを、手持ち無沙汰のまま過ごしていた。良い思い出が全くないのだ。夏の過ごし方というのを、私は知らないのかもしれない。

だから6月の梅雨がはじまる頃には、全てが憂鬱になる。気温が上がって蝉が鳴き始めると、ついに体がその気だるさを思い出してしまう。
また退屈な夏がやってきしてしまった、と。

それなのに、どういうわけかこの夏は。
夏、お前のことを好きになりかけている。

高校野球のおかげで。

きっかけは帰省で広島へ向かう道すがら、スマホでなんとなく見始めた試合だった。

ちょうど1週間前、8月12日は地元である広島県代表の名門・広陵高校の初戦だった。最近カープがなんとか首位をキープしている。
「カープと広陵がそれぞれ1位になったら、おもろいだろうなぁ」と気軽に見始めたのが最後だった。

どっぷり、ハマってしまった。

というのも、広陵高校が初戦から手に汗を握るような展開をしていたのだ。
最後の9回では2-1で広陵がリードしていたものの、1アウト2,3塁でランナーを貯めてしまう。タイムリーヒットでも決まれば一気に逆転サヨナラ負けもありえる状態。しかし広陵のエースが最後に渾身のストレートでストライクアウト。なんとか勝利に漕ぎ着けたのだった。

そのヒリヒリする展開に、高校野球のおもしろさを知った。ふだん見ているプロ野球の試合とは、いろんな点でちがう。プロではなかなかない、高校生だからこそ起きてしまう守備のミス、最後まで諦めない粘り強さ、それがもたらす奇跡、アルプス(応援席)の大合唱、悔し涙、勝利チームの晴れやかな顔、酷暑で足を攣ってしまった相手チームに、すかさず手を差し伸べるスポーツマンシップ。これが野球だったのか、と思った。
今までは全く興味がなかったのに。

その日は新幹線の3列窓側の席、真ん中には外国人の小さな女の子がひとりで座っていた。怖がらせないよう、なるべく冷静に見るように努めたつもりだ。それでもエラー(プロ野球ではほとんど見ることのない、ひどい凡ミスも)をするたびにため息をついてしまうし、ストライクをとると思わず体が動いてしまった。勝利が決まった時は、シートベルトのない新幹線で前に投げ出されるように喜んだ。結局、その女の子はお母さんと同じ広島で下車したのだが。

広島駅に着いた後、実家の最寄りまで向かうJR、車でも、とにかく配信に齧り付いた。どの試合も接戦で、どの試合の選手も真剣で、どの選手の顔も素晴らしいものだった。

特に今年の高三は、ちょうど私の末の弟と同い年。
彼らが生まれた年のこと、そのとき流行っていた音楽、一緒に育っていった記憶、弟が歩き出したとき、その全てを思い出しながら見ている。私が中学生のとき、彼らはまだ幼稚園生だった。夏の部活を終えて中学校から帰ってくると、彼らはまだミニカーで遊んでいた世代だ。早い子はすでにバットを振っていたかもしれない。あれもこれも全部、覚えている。私が受験勉強をしていた夏、大学生になった春、コロナで全てが中止になった夏、大学を卒業したとき、社会人になった春も会社を辞めた春も、高校球児たちはずっと練習をしていたのだろう。時にはマスクを着けながら。

そんな彼らが大きくなり、この夏、誰もが知る野球の晴れ舞台で一生懸命に汗を流している。そう考えるとどんな試合でも無条件に涙腺が緩んでしまう。私のあの日もこの日も、彼らは手にグローブをはめ、バットを握り、グラウンドを駆け巡っていた——そんなリアルな感覚とともに甲子園を見られるのは、末の弟が高校3年生である今年だけだと思う。

それからのお盆休みというもの、ほとんど朝から夕方まで高校野球を見ていた。そして夜はカープ観戦。文字どおり野球漬けの1週間になった。広陵が負けても、勝って欲しい、推しのチームは見れば見るほどたくさん出てくる。情けが移るのだ。甲子園の出場経験が片手に収まるほどの高校、公立で、練習時間2時間だけで勝ち上がってきた高校、2年生バッテリーで超強豪校を負かした高校——実績のないチームほど応援してしまいたくなるのは、母性だろうか。それとも情けか。

プロ野球は負けても明日があるけれど、夏の高校球児たちにそれはない。今日負けたら、3年生はユニフォームを脱ぐ。ユニフォームだけではなく、この試合でバットを置く選手だっているだろう。放送席の解説者が「また3年生との試合を続けるために」と仕切りに話す。そうか、この子たちは今日勝たないと、このメンバーではもう2度と野球をすることはないのか、と思い、ハッとする。

どれだけ努力をしてきたことか。どれだけの苦しみと、痛みと、悔しさと、辛さを噛み締めてきたことか。この年齢になると、背後に選手たちの両親や関係者たちの姿が霞のように立ち昇ってくる。親元を離れ、野球のために寮生活を送る生徒も多いと聞く。ふだんは離れて暮らす子どもを、親は毎日どんな思いで遠くから見守ってきたのだろう。

さらに大人になったことにより、彼らの宿泊先やドロドロになったユニフォームの行方まで気になるようになった。調べてみると宿泊先は主催者によって振り分けられるそうだが、担当のホテルの中には結婚式でよくあるウェルカムボードのように、入り口に同じ宿泊者やホテル従業員からのメッセージボードを置いているホテルもあるようだ。メッセージはもちろん、球児たちへの応援の言葉。硬式ボールのデザインが施された寄せ書きには、彼らを応援する人たちの言葉がみっちりと書き込まれていた。
ユニフォームは大阪のクリーニング屋さんが担当することもあるらしい。翌日に試合があっても、24時までには洗って直接ホテルへ届けると。
街の人も含め、どれだけの祈りと念が夏の甲子園に向けられているか。大人になったからこそ見えてくるもので、また涙腺がゆるむ。

この1週間。たったの1週間のうちに、応援していた高校はほとんど全てのチームが敗れ、泣きながら地元に帰っていった。まだ大会は続いているのに、もうロスが起きている。あの先発、あのキャッチャーは今どんな思いでどんな顔をして何をしているのだろう——たのしかった旅の終わりに後ろ髪を引きずられる思いで帰路に着くときと全く同じ気持ちだ。さみしくて、悲しくて、名残惜しい。

毎日何が起こるかわからない夏の甲子園というギャンブルに刺激を求めているだけなのでは? 退屈だった自分の夏の部活の思い出と重ねて、エモーショナルな気分にひたりたいだけなのでは?

そう聞かれたら、はいそうです、とあっさり私は頷くだろう。
そうです、でも観てます。

今日も先ほどまで、島根県代表でベスト8唯一の公立校、大社高校と鹿児島県代表の神村学園の試合を見ていた。カープに神村学園出身の選手がいるから、という単純な理由で神村学園を応援していたけれど、会場の大社高校に向けられる声援はすさまじいものだった。解説の声も聞こえにいレベル。結果はその熱気にも負けず神村学園が8-2で勝ち、これで中四国勢はすべて敗退した。

この甲子園で活躍した選手の名前を、今度は秋のドラフトでまた聞けるかもしれない。今年2年生だった選手たちと、また来年この場所で会えるかもしれない。地方大会のうちからウォッチしているマニアの気持ちもよくわかる。

こんな大会が、毎年開かれていたとは。
全く知らなかった。

今年負けた高校にも、また来年、彼らに会える。
今年出てきた子達の思いを引き継ぐ2年生たち、悔しさを噛み締めて頑張っている高校球児たちが、また集まる。

夏という季節に。
夏になったらまた会える。まるで七夕の織姫と彦星のようだ。

夏というものを、少しずつ好きになりはじめている。
紛れもない、高校球児たちのおかげで。
















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差詰レオニー
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