生きてるしょーこ

とにかくしんどい年末年始だった。

寝ても寝ても疲れがとれない。もともと約束していた親戚や旧友との集まり、どこかへ出かける予定、ハガキを書く。毎日ちゃんと寝て起きる、食べる。風呂に入る。髪を乾かす。そんな生活さえも「やるべきこと」のように思えてしまい、毎日何かしら追われているような気分になる。

親戚が集まる毎年恒例の新年会では、昨年の春生まれたばかりのはとこがその場をかっさらっていた。その後は米寿を迎えた祖父をみんなで祝う。信じられないくらい幸せな空間だった。幸せすぎて自分からは遠いものに感じてしまう。自分を育ててくれた人たちのようには生きられないかもしれない。ちゃんと働く。ちゃんと家をもつ。ちゃんと車をもつ。遅くないうちに親戚に好かれるような相応の人と結婚して、旦那が稼ぎ、元気な子どもが生まれて、みんなハッピー。あまりにも眩しすぎる。

それに加えて年始早々の辛いニュース。
テレビをつけてもSNSをみても、気持ちが真っ暗になる。情報が多すぎる。
バラエティを見ても友人と楽しくお酒を飲んでも、所詮その場しのぎの快楽でしかない。

自分ではどうにもできない大きな力によって一瞬にして日常が壊れる恐怖。いずれ壊れてしまうのならば、もう生きる意味などないんじゃないかとさえ思った。

***

2年間、弟と暮らしていた。

弟は2歳下。彼が大学3年生になった春から大学を卒業する春までの2年間、家賃を抑えるために一緒に住んでいたのだ。

はたから見れば仲睦まじい兄弟に写るかもしれない。いや、実際には数ヶ月に1度ご飯に行くほど仲は良い。けれど2人の趣味や性格は真逆で、弟のことは時にうらやましく、時にうとましく思うこともある。

弟は小さい頃から私の苦手なものが全部得意だった。算数(数学)もスポーツも、集団でうまく生きていくことも。
性格の良いジャイアン的な性格で先生や友達に頼られるタイプで、学級委員長や部活の部長、大学に入ってからはバスケットボールサークルの幹事長を任されていた。もちろんキッチリ就活をし、新卒で大企業に入って今は社会人を謳歌している。就活を放棄してフラフラと生きている私とは真逆で、どうやら生きるのが器用な人らしい。

これだけ真反対な性格を持っているのに、ひとつ同じ屋根の下に住んでもほとんど喧嘩をしなかった——というのは私の傲慢だと思う。弟の懐の大きさに私が助けられていただけだ。台所の食器洗いをしばらく放置したり、取り込んだ洗濯物を出しっぱなしにしたり、他にも書くことさえ憚られるほど杜撰なことをたくさんしてきた。もちろん彼は生活のことも私と真逆の性格をしているので、毎日ちゃんと洗濯をするし、掃除もする。洗剤やら掃除道具はすべて彼が買ってきてくれて、後日折半という形をとっていた。そんなきっちりしている弟に全力で甘えた生活を送っていたので、何かにつけて「お前、ホンマないわぁ」と心の底から呆れられるのが弟の口癖だった。これがもし血のつながらない他人だったら、シェアハウスの存続に関わっていたと思う。感謝しかない。

うちのジャイアンはもうひとつ、私にできないことができる。
それはコツコツと何かに取り組み続けることだ。誰かに言われずとも、自制心だけでちゃんと物事を続けられる才能を持っている(私はこれを「才能」と言いたい)。

弟と一緒に住む前、彼が大学2年生になった春に新型コロナウイルスが蔓延した。大学の講義がすべてリモートになり、私たち兄弟は広島の実家に戻ることになったのだ。気軽に散歩へも出られないほど緊張感のあったその春、弟は退屈しのぎに筋トレを始めた。玄関前の、3畳ほどしかない狭い空間で。

まずは家の周りをランニングし、帰ってきたら通販で購入したダンベルを持ち上げる。腹筋。それから家のどこから見つけけてきたストレッチ用のゴムをドアにひっかけ、腕を前後に動かしながら力こぶのあたりを鍛える。

やると決めたその日から、このルーティンをほぼ毎日必ず続けていた。小さなメモ帳にその日のトレーニング内容と時間を書き込む。筋トレのオフ日である「チートデイ」は1,2ヶ月に1日しかとらない。過食の免罪符としてではなく、ちゃんと意味通りに使う人を初めてみた。基本的には毎日トレーニング。空いている時間に、理想の筋肉を持つトレーナーの動画を見る。

そんな生活を1年以上続ければさすがに筋肉も育つ。シェアハウスをする頃には腕も足も、全てが前より1.5倍ほど大きくなっていた。もちろん今も筋トレは続けている。

ここまでの筋トレガチ勢になると、食べるものも変わるらしい。東京で一緒に住み始めてから、毎日何かしらのチキンとブロッコリーを食べているところしか見たことがない。近所の業務系スーパーで毎回大量のチキンと冷凍のブロッコリー(1kg)を購入してきては、塩茹でしてブラックペッパーなどで食べていた。毎日肉とブロッコリー。昼もタッパーにご飯とそれらを詰め込み、いつでもどこでも持ち歩いていた。チートデイにはさぞかし狂った食事をするのかと思いきや、バーガーキングで購入したチキンバーガーとポテトのみ。UberEatsを使って配達してもらい、家でアニメをみながらゆっくり食べていた。

弟が筋トレを始めてから3年が経つが、今も相変わらずとにかくデカい。この年末年始にあった時も、顔や首や腕、身体のあらゆるパーツが食パン2枚分ほどの幅になっていた。人間はここまで大きくなるのかと、シンプルに感動する。弟は筋トレを始めてからというもの、自信がついたのか、いわゆる「脳筋」になった。ピンチにも動じず、元々おおらかな性格だったのがますます穏やかになったようにも思う。

そんなやさしいジャイアン的な弟と一緒に住んでいるとき、弟にめずらしく大きなニキビができたことがあった。毎日ちゃんと規則正しい生活を送り、食べ物も質素なものを食べている彼が吹き出物とはめずらしい。タンクトップで太い腕を剥き出しにしていた彼にすれちがいざま、「ニキビできとるね」と私が言うと、ゆっくりと口角だけをあげながら「生きてるしょーこ」とだけ言って自室へ帰っていったことがある。これに私は妙に感動してしまった。「そうか。吹き出物もストレスも、『生きてる証拠』なのか」と。当時は学生で弟以上にニキビを繰り返し、自分を受け入れることに苦しんでいた私にとっては、まさにパラダイムシフトのような魔法の言葉だった。

私がくよくよしている時、体調を崩した時も、何かにつけて「筋トレすれば?」と真顔で言ってくる弟。私はスポーツもコツコツを何かを続けることも嫌いだ。もちろん「するわけないじゃん」と答えてきた。圧倒的文化部をなめるなよ、と。

でもこの「生きてる証拠」という言葉だけは、お守りのように大事にとっている。当の本人はきっと覚えていないだろうが、あのとき確実に、私の心はふっと軽くなった気がするのだ。それだけでも、「弟と一緒に暮らせてよかった」と思える。

あれから3年ほど経ち、お互いに社会人として帰省したこの年末年始。
家族でまったりとカープの新春特番を見ていたその時、急にテレビの画面がきりかわった。

「石川で地震 津波!逃げて!」

***

社会で何かが起きると、いつも感情の渦に巻き込まれる。全部無意味に思えてしまうのだ。生活に支障が出てしまうレベルなので、自分である程度切りかえなければいけない。
今回の年末年始も、それはそれはズタボロだった。1年分の疲れを引きずったまま年始に突入して今に至る。

このnoteはライターの講座「バトンズの学校」の同期で 1月3日に投稿する約束をしていたものだった。

知人との約束も守れず、わけもなくSNSを徘徊して深夜まで起き、おそろしい情報に長時間触れる自傷行為のようなことをしていた。何が間違っていて、何が間違っていないのか、何が確かで、何が確かじゃないのかがわからない。何もわからない。見なければいいのに、と思う。それでも見てしまう。いずれ必ず訪れる死のことをぐるぐると考える。

憂鬱にのたうちまわっていたとき、ふと弟の「生きてるしょーこ」を思い出した。いろんなことが怖いままだけど、とりあえず今はあたたかい場所にいて、物を食べられている。とりあえず「生きてるしょーこ」をかき集めることしかできない。

今年はリラックスして生きていきたい。なにより生活を頑張りたい。生きることを感じながら生きたい。

本年もよろしくお願いします。

最後まで読んでくださりありがとうございます。 いいね、とってもとっても嬉しいです!