後輩力

「れおにーちゃんは後輩感がないから、『後輩力』をつけたほうがいいよ」と言われることがよくある。

社会人になってから度々言われてきたこの「後輩力」という言葉の意味が、いまだにわからない。何を意味する言葉なのだろう?  何ができたら「後輩力が高い」となるのだろう?

いずれにせよ、あまり好きではない言葉だ。

最初は、というか今でも、後輩力がないのは自分の容姿のせいだと思っている。むしろ容姿のせいにしたいのかもしれない。

腰まで伸びた長い黒髪。
有名大学卒。
前髪のないコンサバスタイル。
凛々しい一本眉。
日本人男性の平均身長を超える高身長女子。

そんな属性はモデルの菜々緒に代表されるように、常に世間では「近寄りがたい・怖い」というレッテルを貼られてきた。
もしかすると、かくいう私もはびこる偏見に加担してきたのかもしれない。 黒髪ロングは美容室に行くのが面倒で放置していただけだけど、眉は自分の体でもお気に入りのパーツだけれど、勉強ができない自分が悔しくて高めた学力だったけれど、心のどこかで「そんな属性に自然に行き着いた自分がちょっとかっこいい」と思っていた気がする。
だからといって高圧的な態度を「演じて」きたつもりはないのだけれど、きっと世間の反応や偏見に応えるように、そんなキャラを積極的に自ら取り込んでいっていたのかもしれない。

思春期真っ盛りの私であれば、このような容姿に想起されるイメージは日々の暮らしにとてつもない影を落としていただろう。けれど私はもう大人になった。容姿のせいではなく、もっと根本的なところから私の「後輩力のなさ」を考えないといけない。

話がそれた。

「後輩力の意味がわからない」と真剣に打ち明けるとすぐに、「じゃあ、年上のことをなんだと思ってんの?」とか「え、目上の人を敬わないワケ?」とか言われるのだが、決してそうじゃない。

年齢や性別や肩書きにこだわる前に、私とあなたはひとりの人間だ。対峙すべきは属性ではなく、その人の中身そのものでありたい。私はあなたのことをひとりの人間として見ているし、私もひとりの人間(生き物)として見られたい。ひとりの人間同士、敬いあって、尊重しあって、傷ついたり喜んだりしたいだけなのだ。

たったそれだけのことなのに、このスタンスは万人に受け入れられるものではないらしい。もしくはうまく伝わっていないのだろう。隠そうとしても隠しきれない、その人がただ生きているだけでも漏れてしまうものだけを尊重しあって生きていくことは、そんなにハードな理想なのだろうか。

私の観測上では、許容範囲の落ち目があり、いつもニコニコとし、ちょっと手を差し伸べたくなるような「年下」が可愛がられる。そうさせるような能力を世では「後輩力」という。仕事のできる・できないはここにあまり関係ない。もっと得体のしれない何かだ。


根無し草のようにフラフラとひとりでリベラルな学生生活を過ごし、人手の足りてないベンチャーでインターンをしてきた私にとって、この「後輩力」は日本にいながら感じるカルチャーショックのようなものだった。

仕事はできるならできた方がいい、なんでもそつなくこなした方が気持ちよい、そんな成果主義で育った私にとって、「かわいくないからあんまり頑張りすぎるな」「もっと丸くなれ」という圧をかけられるのはかなり屈辱的なことだった。(実際にはそんなこと言われていないけど、社交場の雰囲気はそんな感じ)がんばって結果を出して成長をすることこそが私が生きる楽しみであったし、究極的には「結果を出しておけばあとはなんでもいい」環境がふつうだったからだ。基準や評価が明確になっていない「後輩力」はとても理不尽なものに思える。

ものすごく真剣に一生懸命生きているのに、「生意気」だと言われるのが本当に悔しくてならない。私は私という人間と人生をがむしゃらに生きているのに、私なりの精一杯の誠意をつくしているのに、笑うときには笑うのに、なぜ私のことをよく知らない人間に生意気だと言われなければならないのだろう。なぜちょっと遅く生まれただけで何をするにも「かわいさ」を求められるのだろう。そもそも「かわいい」とは何なのか。

もちろん、そのちからが人間関係や社会で生きていくことの潤滑油であることは重々承知だ。いわゆる「成功」している人には必ず「後輩力」があるし、この発想がすでに若気の至りであることもわかっている。

それでも素直に従えない。従ってしまえば、せっかく社会から取り戻した自分が好きな自分がまた死んでしまう。それによって手っ取り早く誰かに好かれることはできないかもしれないけれど、暗い・怖いと言われ続けるかもしれないけれど、めげずに私は静かに探し続ける。その時を待つ。

繰り返すが、年上をばかにしているわけでは全くない。逆に言えば、年下だからといって誰かをナメたり見下したりした覚えも一切ない。年齢に限らずただの人間として好きになり、敬い、礼儀をつくす、どうしても好きになれないのであれば何も言わず離れる。そのシンプルさがなぜこんなにも通じないものなのか、私は不思議でたまらない。自分や周りに正直に生きることがこんなにも大変だとは思いもしなかった。





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差詰レオニー
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