コンパッション(Compassion)のワークショップを受けてみた②共感疲労から真の共感へ
ハリファックス老師から「コンパッションにおける共感とは、自分の主観を広げることであり、その中に他者を招き入れること」さらにいうと「主観すら自分のものではない」ということを学びました。
私にとって、主観すら自分のものではないという考え方は衝撃でした。
ということで、第2回はコンパッションのひとつの要素であるの「共感」についてまとめていきたいと思います。第1回は利他性について記載してますのでご興味ある方はご覧ください。
共感-Empathy-とは何か?
対人関係における共感は、私たちのほとんどが備えている能力と言われており、他者を自らの中に取り込み、それによって他者が身体的、情動的、認知的に経験するであろうこと感じ取る力とされています。
もう少しみていきましょう。
身体的共感とは、他者の肉体的な感覚と強く共鳴し合うことです。
壁に小指をぶつけている人を見たら自分も同じ痛いような気がする感覚を味わったことはありませんか?これは「ミラータッチ共感覚」と言われており、他者の身体が経験していることを感じることができる力です。
情動的共感とは、他の人が感じていることを客観視するのではなく、自らに取り込む力になり、最も身近な共感のあり方かもしれません。ただし、情動的共感はうまく調整できないと、共感疲労やバーンアウトの原因となります。
認知的共感とは、他者視点取得、あるいは読心術としても知られ、他者の視点を通じてものごとを見て、他者の立場に立って考えることができる能力とされています。ただし、こちらはどこまで考えたとしても想像の域をでない、他者にはなれないのだと他者と区別することも求められます。
また、共感と似たような言葉として、同情があると思いますが、共感と同情はどのように違うのでしょうか。
ブレネー・ブラウンによる3分ほどの動画をご覧いただくのが良いかと思います。
どうでしょうか?自身がやってしまっていたり、周りの人がやってしまっているなと思い当たる方もいらっしゃるのではないかと思います。
ここまでで、共感に関する解像度が少し上がってきたのではないでしょうか?
共感から共感疲労へ
では、共感することが全てプラスに働くかとそうではありません。共感の先には懸念点も示されています。
この行き過ぎた共感の共感疲労を防ぐための考え方も示されています。
なぜ共感が必要なのか?
では、そもそもなぜ共感が必要なのかをケースを通じて解説していきます。
ここは著書Conpassionではなくハーバード・ビジネス・レビュー(HBR)「共感力」を出典に記載していきます。
実は、私の今後のキャリアビジョンにおいて共感力は最も身につけていたい素養だと考えています。なぜか。
このように、結果が求められるリーダーに、共感は必要だというのは想像に難くないでしょう。ただ、私がショックだったのは以下のようなケースです。
前職で役員をさせていただいた際のことを思い出すと、思い当たる節がありますし、今は起業し経営者になっている身としては、意図的に注意を払って共感をしていかないと(自然体でいる限りは)共感が薄れていくリスクがあることがわかりました。
共感の育み方
それでは、共感を育み、維持していくためにはどのようなことを行なっていく必要があるのでしょうか?
著書Conpassionでは欠かせない、4つの実践があるとしています。
ここから少し難しくなってくるかもしれませんが、私の理解はこうです。
まず、マインドフルになり、自らに対しても他人に対しても意識的になる土壌を作ります。その上で興味・好奇心をもって相手の話に耳を傾けます。
ここで共感を呼び起こすには、2種類の注意を働かせる必要があります。一つは相手の感情や発言に対する自分の反応に意識的に注意を向けること、もう一つは、表情や声の調子などから相手の感情や発言を幅広く読み取り共有領域を広げるということです。ただし、相手の感情や発言を幅広く読み取った際には自分と他人を区別し、自分が他者にはなれないことを認識することも必要となります。
多方面的に意識を向ける必要があり、一つ一つの要素を分解してみると矛盾しているようにも感じると思います。僕も多少ロジカル寄りなので結構混乱しました。(相手に注意を向けるのか、自分に向けるのか。他者と自分を区別しないのか、するのか等)
現状の私の着地点としては、「矛盾は矛盾のまま受け入れる」「Don't think feel」なのかなと考えています。
そんな中でも、取り組みやすい共感力を育むための考え方として「私たちが他者の内側へと入り込むことの度合いは、自分が他者を受け入れる度合いを超えることはない」ということです。私の中で即座に事象をジャッジせずに他者を受け入れることに取り組んでいこうかと思っています。
共感とコンパッションの違い
最後に、共感とコンパッションの違いについてです。
共感疲労を防ぐために共感を調整することが、コンパッションなのかというと、そうではありません。もちろん、意図を持って共感を調整することで共感疲労へと陥るリスクを低減することにはつながります。ただ、共感はコンパッションの一部ではありますが、コンパッションではないとされています。著書Conpassionでは以下のように言及されています。
更にこれらは神経科学の観点からも違いを説明が可能です。
ここで改めて老師のコメントを確認してみると「コンパッションにおける共感とは、自分の主観を広げることであり、その中に他者を招き入れること」さらにいうと「主観すら自分のものではない」というのは、feeling into another(他者の内面を感じる:共感)なのかfeeling for another(他者のために感じる:コンパッション)なのかの違いのようにも感じます。
共感自体もいくつかのレベル感があり、それ自体も鍛錬が必要だと思いますが、コンパッションとの対比で更に違いが見えてきます。
コンパッションにおける共感は成人発達理論でいうと第5段階の自己変容型知性(全人口の1%未満)とも重なる部分があるのでは無いかと思いますので、容易に体得できる物では無いでしょう。
難しい表現が多かったかもしれませんが、今回を機に意識的に共感を育んでみてはいかがでしょうか?
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