自己肯定感÷自己責任=自殺
私は自己肯定感という言葉が嫌いだ。というか、正直意味がわからない。
私はノーテンキな性格なので、自分を肯定しまくっている。他人がどう思おうと関係ない。私は私が大好きだ。
一方で自己満足という言葉がある。
例えばファッション。私は着たい服を身に纏っている。トレンドとかは少しは気にするけど、基本自分が好きな色の服を着て、自分が好きなスタイルの洋服を選んで購入している。これは自己満足して自分を肯定するという過程だ。
残念ながら、社会人なので自分がしたい髪型にはなかなかできない。本当はスキンヘッドにしてみたい。尼様とかかっこいいし、ちょっと禁欲的なところが惹かれる。逆にアフロヘアーとかにも憧れる。どちらもそうしたら会社をクビになりそうな髪型だ。もし私がどちらかの髪型で出社して上司にいい加減にしろと言われて、同僚からもハブられて孤独になっても人は自己責任だというだろう。
表現の自由を行使しても社会はそれを認めない。わからないけど、アメリカだったら逆にCoolと言われて自己肯定感爆上げになるかも。
自己肯定感を追求し、それが少しでも失敗すると自己責任論が持ち上がる。
自己肯定感を追い求める人々は可哀想で仕方ない。インスタのキラキラ投稿を見てイライラしたり、自分の立ち位置と比べて落ち込んだり。とか。
ネット社会になってもうずいぶん経つ。
誹謗中傷問題。その根底にあるのは自己肯定感というくだらない言葉の誕生だ思う。私は家族、親族を含めると何人もの死に直面してきた。自殺。自死。
愛した人も海に入ってしまった。
大切な人が自ら死を選んだので、それ自体をどうしても否定できない日々が続いた。でもやはり自死はよくない。本人は良いけれど、残された人は本当につらいから。そういう私も自殺を考えたことがある。精神的に追い詰められて、今死んだら愛した人や母にもまた会える気がした。でも私はやらなかった。
私は私が大好きだから。
神様から頂いた命。ボロボロになっても生に執着し、100歳まで生きてやる。
皆さんに穏やかな時間が流れますように祈ります。
I wish everybody MERRY CHRISTMAS