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diversity
ユーコープに買い物に行ったら、「多様化へ」というポスターが貼ってあった。
ユーコープはあまり安くないので、他のスーパーを利用することが多いが、家から一番近いのはユーコープなので休日家でゴロゴロしている日は利用することがある。
レジはおばちゃんがほとんどだが、1年くらい前に髪を金髪に染めた若い女の子が入ってきた。見た目がコープにそぐわない気がして、どうせ長続きしないだろうと思っていた。でもいつ行っても彼女はレジに立っている。
容姿は私的には80点くらいで夜職でも稼げそうだ。
私は夜職はしたことないので、大変さはわからないけど、スーパーで働くよりはずっと稼げるだろう。
でも今日も彼女は淡々とレジを打っていた。応援したい。
私の住むエリアのコンビニは夕方働いているのは異国の人か、真面目そうな若者ばかりだ。でも駅の構内にあるファミマはたまに金髪の若者が働いている。決まってその人たちの名札には【ハケン】と書いてある。タイミーとかなんだろうか?初めて【ハケン】と書かれた名札を眼にした時は珍しい名前だなあと勘違いしていたが、違う人も【ハケン】という名札をしていることに気付き、「あ、あ、そういうのことね」と理解した。
ユーコープって昔からあるし、生協と聞くと固いイメージがあった。
ヘアカラー、ヘアスタイル、ピアス、アクセサリーはいいかなと思うが、髭はいかがなものかと個人的には感じる。
イケメンで整った髭でその人に似合っていれば良いけど、無精髭とかサンタさんみたいな髭でもOKなのだろうか?
爪も気になった。常識的なネイル(何が常識的かはわからないが)なら許せるけど、派手なつけ爪(まさに夜職のお姉さんがするようなやつ)をするのも許すのだろうか?
多様性という言葉はみんなが使うようになったから、当たり前のことになりつつあるけど、解釈は難しいと思う。
様々なあり方を否定しない。
それが多様性だとしたら、逆を返せば「何でもあり」になりはしないだろうか?
今読んでいる本の一節に刺さる言葉があった。部下に仕事の仕方を教えた課長が新人部下からパワハラ宣言される。
舞台は警察公安である。
そのチームは総理大臣暗殺計画を阻止するために結成されていた。人の命がかかっている仕事だ。ましてやターゲットは総理大臣だ。
新人のせいで容疑者を取り逃してしまった。新人公安警察官は自分のミスを反省する様子はなかった。先走りばかりする部下に課長は捜査のイロハを教える。でもそれがパワハラだと上層部に訴えた。
課長は部下を呼び、話し始める。「お前が至らない部分を指導するにはどう伝えればいい?」部下はその言葉に対して「指導する前にもっと自主性と能力を評価して下さい」と返答する。課長は言う。
「評価している。だから私の手元に置いている」
その恩情ある言葉に対して
「でも、上手くやっても褒められないのに、上手くいかなければ叱責されます」と言い返す。課長は苛立ちを隠して
「お前には期待している。満足するレベルに達するまでに時間がかかることも覚悟している。ところが、お前は早急な評価を求める」と諭す。
それでもなお部下は続ける。
「私にも自身の希望を主張する権利はあるはずです」
権利を主張する者に限って責任には言及しない。
権利ばかり主張する風潮に私は納得いかないことが多い。
ハラスメントだらけの世の中になったのは皆が権利ばかり主張するからだ。
何故そのハラスメントが起きたかという物事の背景には一切眼を向けず、自身の利益ばかり考えている。
行き過ぎた指導や不条理な命令などはもちろんパワハラで訴えていいと思う。
でも部下を育てたいと思う気持ちから出た言動は有り難く頂戴する必要があるはずだ。
多様性を重んずる今どきだから、どんな考え方も肯定し、受容しなければならないというのか?
多様性という聞こえが良い言葉の裏には「わがままも認めろ」という同調圧力がありやしないかと危惧している。