教育とは…??
はじめに
そもそも「教育」とは、何なのだろう…。
様々な観点から教育についてnoteで語っているが、私が伝えたい「教育」とは何なのか…をここで定義したい。
定義
「無知の知」の自覚を説き「汝自身を知れ」「徳は知なり」と語ったソクラテス。
大人があれこれ教えるよりも、子どもたちが自発的に行動し、大人はあくまでもそれを援助する存在であるべきだという「消極的教育」という考え方のルソー。
教育を単に知識の教授に限定せず,子どもの性格に根ざし,子どもを主体的な生活者に育てようとする教育思想を持ったペスタロッチ
など、教育史などで出てくる話にも様々な考えがある。
教育史や法規・辞典などから言葉の定義を上げてみたが、
教育とはこうだ!という正答があるわけではない。
ただし、広辞苑「教育」の定義にもある通り、教育という言葉を読み砕いてみると…
「教え」「育む」と読むことができる。
「教える」は日本の学校にいた経験がある人ならだれも分かるとおり
「育む」とは、望む/なりたい…体質や習慣ではないだろうか。
この意味をここではフォーカスしていく。
さらに「学校」とは何なのだろう。
つまり、それぞれの学校が設定している教育目標達成に向けて、教師が生徒たちを組織的・計画的に教育する、つまり成長させることが、学校の役割であると読み取れる。
ここまでで重要なのは、望む/なりたい人間像のための体質や習慣が何か?である。もちろんそれは、人それぞれ違う。
異性にモテるようになりたいのか…
有名大学に入学できるような試験に強い学力を手に入れたい!なのか…
国際社会で活躍できるリーダーになる資質が欲しいのか…
スポーツのセカイで戦い続けられる身体と心が必要なのか…
女性(男性)が女性(男性)としての生き様を得たいのか…
多種多様にわたって考えられるであろう。
れんれんが定義する「教育」+「学校」が持つ意味として
望む/なりたい人物像に近づくために、各学校が設定した目標を組織的・計画的にあの手この手で育むべく促しと教え(教育)があるのが、本来望ましい「学校」という組織であると考える。
例えば…
近年流行っている「国際」≒「グローバル教育」を例に挙げる。
文部科学省が定義しているのは、
しかし、学校教育の中で大きく本質を見失っている学校は多いのではないだろうか。国際教育=英語力→ALT(Assistant Language Teacher)が多くいる。英語に触れる機会が多い。これだけが「国際教育」ではないはずだ。
英語を使えることはとても重要ではあるが、
地球的視野は?
主体的に行動するための態度・能力の育成は?
ここを置き去りにしてしまっては、「国際」というキーワードを持った目標が真の意味で達成はできないのではないか。
では、「国際教育」はどのような促しと教えが必要なのか…については、重要な一部分を「アントレプレナーシップ」として、別章にて書き記していく。
問題提起:学校教育とは??
「学校」+「教育」が持つ意味として
望む/なりたい人物像に近づくために、各学校が設定した目標を組織的・計画的にあの手この手で育むべく促しと教え(教育)があるのが、本来望ましい「学校」という組織であると考える。と定義した。
このような考えのもと学校教育を学校でカタチにできているところが果たしてどのくらいあるであろう。
立派な教育理念やコンセプトを掲げても現場は、他と大して変わらない授業・ホームルーム・特別活動。
教育理念を無視した、大学進学のためだけの先生。
模試・偏差値・進学実績という数値目標だけに目を向け、塾/予備校みたいな場所と学校を勘違いしてしまう関係者。
これらのように、望む/なりたい人物に近づくため、学校が設定した目標をもとに入学を決めたが、実態は全く違ったものだと…入ってから生徒も保護者も気づく。
しかし、「学校とは、そんなものだ…」と諦めてしまったり、入学してしまったのだからそう簡単に変えられない。
こんな問題が蔓延っている現代なのではないか。と私立公立で働いてきた経験から見える。
れんれんが伝えたい「教育」とは
結論は、教育理念/コンセプトの一環とGOALの明確化である。
☆有名大学進学のためだけの学校があってもいい。(だったら塾/予備校でいいじゃん!とは思うが…)
☆甲子園を目指すためだけの学校があってもいい。
☆国際社会で活躍できるリーダーになるための学校があってもいい。
☆PBL(Project Based Learning)で課題解決能力に特化した学校があってもいい。
☆テクノロジーと起業家精神でスタートアップ人材を生み出す学校があってもいい。
つまり
自分自身が望む/なりたい人物像に近づくための、設定された目標をブレずに組織的・計画的にあの手この手で育むべく促しと教え(教育)があるのが、本来望ましい「学校教育」であり、「教育」の真意ではないかと考える。
ゆえに、日本全国の学校を「令和の松下村塾」にするのではなく、「令和の松下村塾」を体現した学校を創る。そこは、日本を大きく前進させる強く聡い人材(自分自身が望む/なりたい)を輩出すべく促しと教えを実現していきたい。
これが私が考える「教育」である。
補足:世界の学校教育は…
アメリカ・イギリス・ドイツetc…と日本の違いは、地域や教育機関によってカリキュラムが異なり、幅広い選択科目が提供され、自分の習熟度にあったレベルの授業を取るようになっている。
例えば、アメリカといえばハイテックハイ(High Tech High)という学校やPBLという先進的な教育スタイルが注目されているが、これもアメリカ全土ではない。カルフォルニア州サンディエゴと限定された地域での一部の教育機関により成功したとされる代表例だ。
北欧フィンランドやノルウェーの学力が高い!教育レベルが高いともされているが、これは偏差が小さいことが一番の要因である。
つまり、勉強ができる ⇔ できない の差がないのだ。
義務教育+高校+大学までの修学率(進学率)が高く、国全体で『平等に教育を受けられる』環境が整っているのである。
OECDの「PISA(学習到達度調査)」上位にいるが、国民みんな優等生というわけではなく、落ちこぼれが少ないことやみんなに勉強できる環境がある!ということではないか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?