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IgA腎症再燃⑤

前回の入院の期間は1カ月以上でたくさんの方が来てくれた(同僚や卒業生、バンド仲間がたくさん来てくれた)のでどれだけ辛くとも乗り越えることができましたが、今回の入院はコロナでお見舞い禁止のため、孤独との闘いだったように思います、どうもRです。

といっても、そんな大袈裟なものじゃないんですけどね。

ただ、腎生検後24時間は同じ姿勢(仰向け)でずっといなければいけなかったので、ナースコールが鳴り止まぬ中、背中の筋肉の痺れと闘いながら

「何故こんなことになったんだろうか」とか、

祖母が長年寝たきりだったので「おばあちゃん、寝返りも打てず辛かっただろうなぁ」とか、

「元slothベーシストの清水は入院中に看護師さんを口説き落としたけど、どうやったんだろうか」とか色々考えていました。

Rは小中高で学校を休んだことはなく、12年間無欠席無遅刻の皆勤で健康優良児の鑑でした。

更には中高の部活(テニス部)では、部長を務め、中学で全国大会に出場したこともあり、体力にはかなりの自信があったんですよね。

また、その頃から多少の熱が出たり、腹痛があったりする程度では学校を休まず、学校にいる友達に会いたくて、毎日学校に行っていました(今ならコロナのこともあるし、迷惑な生徒でしょうね)。

痛みには敏感なんですけど、熱などの辛さには意外と鈍感で(我慢強いというか)、大人になって働いてからも大抵の辛さには耐えてきました。

学校の先生になって、最初の4,5年は土日も無く睡眠時間を削って(1日3,4時間とかで)エナジードリンクや栄養ドリンクを毎日飲んで、働いていたんですけど、その内、腎臓を悪くしてしまい、後遺症が残ってしまいました(まぁその後も同じような生活をして脳腫瘍になるわけですから、何の反省もしておりません、馬鹿者です)。

あの4,5年の経験のおかげで今の自分があるので決して後悔はしていませんが(あの頃に出会った生徒とはいまだに連絡を取り合います)、今回の入院のように本来であれば使わなくてもよい時間やお金をかけていると、なんだか複雑な気持ちになります(あっ、関係ない話ですが、適用額認定証が病院に掛け合って間に合いましてね、負担額7万円ぐらいになるそうです、やった~)。

また、どうしても病気になると自己肯定感が下がってしまいます。

特に前回の脳腫瘍のように不可逆的な後遺症などが残ってしまうと、昔の自分と比べて今の自分が不良品にでもなってしまったような気持ちになってしまいます。

ただ、そもそも老いる(年を重ねる)というのはそういうことなのかもしれません。

若さの象徴でもある美貌、体力や集中力が衰えるだけでなく、目が見えなくなり、耳が聞こえづらくなり、足が思うように動かなくなり、ご飯が口から食べられなくなり、うまくしゃべれなくなる(寝たきりの祖母がそうでした)。

ただし、歳を重ねることで、精神的に安定してバランスを取れるようになったり、人の痛みがわかるようになって優しくなったり、知識や経験が増え広い視点を持ち適切な判断ができるようになったりします。

そして、こんな情けない欠陥だらけの自分でも価値があるんだと思える日がくると信じています(それも立派な能力だと思います)。

闘病というのは、病気と闘うということだけでもなく、メンタル的に病気になった自分自身と闘う(そして赦す)ことでもあるように思います。

もちろん、努力無しでただ歳を重ねるだけで報われるとは決して思っていません。

ここからまた食事に気をつけて、運動もして、睡眠時間を確保して、そして時には情けない自分を赦し(受け入れ)、一歩ずつ前に進んでいけたらと思います。

これを読んでいる方が少しでも前向きな気持ちになれますように。共に頑張りましょう。

ではでは、Rでした。

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