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「お金のむこうに人がいる」がとても楽しみな理由

今野良介さんのこのツイートがタイムラインに流れてきてすぐに予約しました。

理由はとても簡単、シンプルで、以前につくった僕の記事に通じるところがあると思ったので。

さっき、noteに公開された”はじめに”を拝読して僕のその理由は正しいものだと分かりました。

金融・経済のプロであるはずのヘッジファンドが「政府の借金の謎」を解けなかったのは、「働く人」の存在を無視して、お金だけを見ていたからだった。
 経済の主役は、言うまでもなく人だ。誰が働いているのか、そして誰が幸せになっているのか。

#青天を衝け  で強く印象に残っている場面があります。

第4回の「栄一、怒る」の一シーンです。

藍玉農家の宴会での席順を年功ではなくて、知恵を使って、創意工夫をして、収穫できた量や質の順にしたというお話。そうした知恵や工夫、あるいは、その栽培や加工にかける想いや労力、そうしたものが価値創造に非常に大切だなことだと感じました。また、仲間、チームで切磋琢磨することも。

事業には元手となる資金、「お金」が確かに必要です。しかし、それだけでは価値あるものが創出されない。

この第4回では代官に大いに怒る場面が一番力を入れて描かれていましたが、僕にはこの宴会の席順のお話の方がずっと強く印象に残りました。

この回について詳しく書かれている記事がありました。

藍玉製造農家の番付表である、「武州自慢鑑 藍玉力競」です。
現在【渋沢栄一記念館】に展示されている『武州自慢鑑 藍玉力競』を見ると良さそうです。
地域全体の藍の品質を向上させるために「番付表」というアイデアを思いついたようです。
ここでも、渋沢栄一の「みんなが豊かになる仕組みづくり」という思考が見て取れます。

もう一つ感じるのは、結局のところ、元手となるお金が仮に調達できたとしても、それをどう活用するか、割り当てて投下するか、そこで大きな差がつくということです。お金を活かすための知恵や工夫、それらは目的・パーパスのようなものであったり、律するためのルールのようなものであったりするわけですけれど、それらをつくるのも決めるのも実践するのも「人」なんですよね。戦後の復興を支えたのには、元手となる資本が物足りなくても、それを補ってあまりある知恵や創意工夫といった資本が事業に投じられたからではないか、そんな風に推測されます。

日本がこの30年以上どうにも上手くいかなったのは、何十年(何百年かもしれない)にもわたって自らが積み上げてきた、蓄えてきた富を上手く使う知恵が不十分だったのでは。不十分というよりは、知恵や創意工夫、アイデアを少し疎かにして「お金」に偏り過ぎていた、それがなかなか軌道修正されないまま時間が過ぎてしまってきたってことのように思えます。

ようやくでしょうか、お金をどう使うかの知恵、工夫、「人が働くこと」の重要性がより強く認識され始めているのではないか、と感じます。

青天を衝け 第27回「篤太夫、駿府で励む」では”合本”という言葉が出て来ました。

ググってみたところこんなページが見つかりました。

渋沢の論考や講演を基にして考えると、「合本主義」とは、「公益を追求するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させるという考え方」を意味するといえます。
渋沢の唱えた「合本組織」は、現在の資本主義社会での株式会社や株主の行動とはかなり違う面がみられます。まず渋沢が設立に関与した会社は、株式会社だけではなく、匿名会社、合資会社も含まれています。それは渋沢の合本主義が、3つの要素、つまりア)使命(ミッション)イ)人材とそのネットワーク、ウ)資本から成り立っているからです。

ここからも「人」やその「人」が抱く想いの重要性を感じます。

そんなことを色々と考えていると「お金のむこうに人がいる」を読むのが益々待ち遠しくなってきます。楽しみや。

ーーーー追記ーーーー

本の著者、田内学さんがツイートでご紹介してくださった記事からです。


お金を儲けるという行為には他の人を出し抜く要素も含まれています。そんなつまらないことを目的にするのではなく、投資を含めた金融という仕組みによって、共に働き生きていく社会が成り立っていることに気づかせる方がよほど重要です。
金融教育において、「お金ではなく人々を主役に置く」という視点を常に子供たちに与えることが大切だと思っています。

その通り!と感じました。

「人」を横に置いてしまった金融教育はダメ、ぜったい だと思います。

田内さんの記事、ぜひご覧ください。


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renny | 投資家
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