「たいせつなことは、目では見えない……」
昨夜のイベントでご登壇してくださったShimoyamaさんのツイート。
イベントでは、Shimoyamaさんの #コツコツ投資 のこれまでの道程をお話していただきました。僕自身もまあまあの振れ幅で、コツコツ投資の実践が変化してきたような自覚はあります。が、Shimoyamaさんの振れ幅は、もうちょっと(いや、かなり?)大きいのかな、と感じました。
”紆余曲折” とおっしゃるのも頷けました。
僕自身も、紆余曲折を経ているわけですが、そういうことが実は「たいせつなこと」なのではないか、と最近、感じています。そんなふうに感じられるのは、株高によって資産の評価が増えていることも影響しているのだろう、とは思います。でも、逆にそれだけに、余計に「目では見えないもの」の重要性を感じるんです。
投資信託等の資産を保有していると、日々、評価、時価は目に見えます。増えたり、減ったりします。派手な動きをする日もあります。ただ、長い目で見ると、そうやって見えているものより、ずっと大事なことがあるように思えてきます。
先週の鎌倉投信さんのメルマガ、鎌田さんのメッセージ、何回も何回も読み直している箇所があります。
投資観とは、「自分の大切なお金を、どのような資産に替えて保有するか」という考え方で、決して難しい話ではありません。おそらく、自分のお金を大切に思わない人は誰もいないでしょう。そうであれば、投資を通じてお金の代替として保有する資産もまた「大切だと感じるもの」であることが自然ではないでしょうか。そこに、自分自身の価値観が反映され、継続する力にもつながるのです。
投資信託を買うと、そのお金は多くの場合、「どこか」の会社の株式に替わります。その「どこか」に関心を持つか。僕は強い関心を持ちます。自分と関係を持っているわけですから。
いや、よく考えると「どこか」っていうのもおかしいんです。会社は「人」なんですよね。「どこか」じゃなくて「誰か」なんです。上場企業の場合、株価というものが日々付けられるわけで、その「誰か」の集合に値段が付けられるという宿命がありますし、投資、資産運用という目で見れば、これは避けることができません。でも、目に見える価格だけで、値段のみで、その「誰か」を測ろうとするのは違うんじゃないか。その「誰か」の「目に見えないもの」に、関心が高まる、理解したいと感じる、もっと知りたくなる。
こんな風に思わせてくれる投資信託がいいなあ、と。
会社にも人格があるし、投資信託にも人格があるような気がします。人が集まっているわけだから。投資先もそうだし、ファンドを運営している会社もそうだし、何よりお金を託している投資家もそうなんだし。
だから、これは当てはまっているんだろう、って思います。
「たいせつなことは、目では見えない……」
「目には見えない」ことを感じさせる、それを上手く伝えようとする、そんな会社や投資信託に、これから益々惹かれていきそうです。
Shimoyamaさんのご登壇してくださったイベントはこちらです。
ご参加してくださった皆様、Shimoyamaさん、ありがとうございました!
Shimoyamaさんがイベントの記事をつくってくださいました!
ぜひご覧ください。