梅雨そして夏へ
お疲れ様です。大伴旅人です。
新しい職場にも慣れてきて、自炊や家事洗濯にも慣れてきました。
何か新しい趣味でも探そうか、、、そんな今日この頃です。
今日は仕事のことではなく、日々の生活について少し考えてみようかと思います。
日々の生活を見直す
最近の生活は前職にいた頃とは違い、「明日が来なければいいのに」と思うことが減りました。大きな夢や希望が明日待っているわけではないのですが、ただ明日が怖くないことが気持ち良かったりする毎日です。
朝起きること、仕事に行くこと、誰かに仕事を振られること、疲労を背に帰ること、晩御飯をたくさん食べること、洗濯すること、気持ちよく眠りにつくこと、ただその繰り返しではあるけど充実しているなと思うことができる。これって素敵なことじゃないでしょうか。
ただ、人間とは恐ろしい生き物です。次第にそういった小さな喜びや気づきに慣れてきてしまうのです。これは僕以外の人間でも起こりうることでしょう。
では、どうしたらこのささやかな喜びや気づきを感じ続けられるのでしょうか。僕の出した答えは「おバカになること」と「とびきりの非日常に出会うこと」だと思っています。
1つ目の「おバカになること」とは羽目を外せというわけではありません。おバカ=無知の状態になるということです。例えば雨に濡れたら「雨って冷たい」と気づくこと、おいしいご飯を食べたら「こんな美味いものは初めて食べた!」と思うこと。どれもこれも人生で初めてであったかのように喜んだり、気づいたりするのです。まるで子供が新しいことを好奇心むき出しで学ぶように。大人になると「知っていて当たり前」のような態度を取ってしまいがちです。でも、当たり前の精神だと目の前の物事は既知の退屈なもの、繰り返すだけの学びの無いものになってしまうのです。私たちがこれから出会う物事全て、人生で初めて出会う一期一会の事象なのです。だったら、例え嘘になろうともおバカになったつもりで発見を喜び楽しみましょう。
2つ目の「とびきりの非日常に出会う」ですが、これは今までやったことの無いことを体験することにあたります。「おバカになること」は既知の事象からどのような新しい発見を生み出すかの方法でしたが、これはそもそも経験したことがないことに挑戦するので発見しかありません。例えば「朝から晩まで1日中歩くだけ」「3本連続で映画を見る」「野宿してみる」など、自分が全くやったことがないことをやってみるなどです。非日常的な体験をした時の気持ちは当事者にしか分かりません。なぜ、こういった非日常の体験を推奨するかというと、いかに自分の日常生活が豊かなものであるか、また当たり前だと思っていたことが実は違うということに気づいたりすることができるからです。例えば会社まで家から歩いて行ってみると電車や車のありがたみが分かるでしょう。3本連続で映画を見れば「目が疲れる」「娯楽も続くときつい」「3本見れば1本は良い作品に出会える」など何かしらの発見があるというものです。こういった発見こそが日々の日常の喜びや幸せに気づくきっかけとなるのではないでしょうか。
まとめ
タイトル回収。梅雨が始まって、この雨期が終わると一気に熱くなりますよね。雨期が終わると僕の人生もまた新しい局面を迎えることになります。それはポジティブな方への変化ですが、今の生活が終わるという点で少し哀愁が漂っています。
きっと僕はカタツムリのようにゆっくりとゆっくりとしか進めないが前に進んでいると思います。寂しい夜の乗り越え方、疲れた時のリフレッシュ方法、自分を許すということ、僕はこれからも生きていこうと思う。
生きているだけで私たちは強いんだから。
生きているだけで私たちは偉いんだから。
だから明日も生きていこうと思う。
それでは。
大伴旅人
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