ホロスコ星物語224
結論から言って、ランツィアの予感は完全に当たった、と言えました。
場所は龍頭山脈四つ目の山、コーニア山の半ば。
龍頭山脈の山の中でも特に背が高い山で、樹が少なくて見晴らしが良く、神域はこの山の中にあると言われているため、先行していた冒険者たちは、いずれにせよここには来るだろうと、ここを拠点にランツィアを迎え撃つつもりで、山を横切る山道を見下ろす、高台となる位置で二人を待ち構えていました。
勿論、ランツィアの側もそれは予想していて、この高台から死角となるよう、深い藪の中へと分け入り、そこから神域を目指そうと、先を行くコエリへと進言をしたのです。けれど、
「何故わざわざ避ける必要があるの? 正面から抜けた方が早いわ」
再び黒衣を纏った少女は、全く理解ができないというように首をかしげ、その忠告に一切耳を貸すことなく、全くの無防備に、本当に真正面から、高台に向かって山道を歩き出してしまって。
当然、木々が整備され、死角の少なくなった山道ほど目立つ場所もありませんから、高台で見張っていた冒険者たちからは一瞬で捕捉され、合図の鐘が盛大に打ち鳴らされることになりました。
こうなると、もはやランツィアにできることはありません。その状況でもお構いなしに歩みを続ける少女を止めることは勿論、人数にして数十を数え、高台から飛び降りて、嵩にかかって一斉に襲いかかってくる冒険者らの相手をしたとして、何秒ももたずに惨殺される未来しか見えません。
当然、今からでは逃げることすらもできない状況、、完全に絶望に沈んだランツィアに対して、コエリは、それを微笑みさえ浮かべて、悠然と眺めていて。
「やはりこちらが正解ね。ありがとう、仲間を呼んでくれて」
手間が省けるわ、と。
そう、ポツリと告げたと思うと、コエリは、大きく上空へと跳躍して。
「大丈夫よ、私も小恵理とは共通点があるから」
それは、自分の手で誰かを殺そうとは思わないことーーそう呟いた声が、聞こえたのかどうか。
コエリの抜き放った剣からは、魔王をも思わせるような、禍々しい闇の魔力が噴出していて。その闇の魔力を、コエリは剣を一閃させることで、前方の冒険者らへと撃ち放ちます。
「闇の魔力、、!?」
「報告の通りだ、怯むな!」
少ないとは言え、アラウダにも光魔術の使い手は在籍しています。一斉に駆けてくる冒険者らの中から、数人の魔術師が杖を構え、一斉に防御魔法を展開し、
「よし、防い、だ、、!?」
コエリの剣から放たれた闇魔術の波動が、正面からその防壁へと接触し、ーーけれど。
「愚かね、、お疲れ様」
その、防壁を張っていた魔術師たちの傍らを、涼やかな声と共に、一陣の黒い風が吹き抜けたーーアラウダの冒険者らが、そう認識した時には、既にコエリが、その冒険者らの間を、一瞬にして駆け抜けていて。
闇魔術は、確かに光魔術が絶対的な天敵であって、普通に正面からぶつかれば、いかに格下の魔術師相手でも、闇魔術の波動は止められていたと思います。けれど、その光魔術の使い手たちは、その瞬き一つの間で一斉に意識を失い、対闇魔術として張られていた防壁もまた、波動に対して、僅かな力の削減を行っただけで、あっさりと姿を薄れさせ、消滅してしまいます。
「なっ、、!?」
「嘘だろ!?」
「うわあぁ、、!!」
ーーあとに残るのは、頼みの防壁を見る間に失った冒険者たちと、邪魔な障害を取り払い、容赦なく生成された闇の魔力の塊が、今まさに冒険者らへと降り注ごうとしている、という現実だけで。
一瞬の後、盛大な悲鳴と阿鼻叫喚の惨状を呈しながら、冒険者の集団は、一斉にその身をどす黒い魔力へと撃ち抜かれ、猛烈な吐き気や悪寒、目眩に、意識という意識を打ち砕かれて、大地へと倒れ伏します。
「小恵理が昨夜、闇魔術で暴れてくれたお陰ね。対策がお粗末すぎて、何の意味もなかったけれど」
闇魔術に対抗するなら光魔術、、そんなセオリーは今更過ぎて、コエリから見れば、対策の対策をしてくれと言われているようなものです。
そこにいる魔術師が光魔術の使い手かどうかは、大まかに見ればわかるし、上空から仕掛ければ、当然上空へと防御魔法を展開する、、それはその間、地上の目を上空へと釘付けにすることができてしまう、ということでもあって。
その、僅かな時間で光魔術を扱う魔術師たちを、問答無用で物理的に無力化してしまえば、後はもう、闇魔術の餌食となる以外ありません。
昨日さんざん小恵理によって煮え湯を飲まされた、闇魔術、、その対策ができていると思っていたからこそ、冒険者たちも、一斉にこちらへと駆け出していたのだろうけれど。それが突破されてしまえば、一網打尽にされて終わるだけのことなのです。
「つまらない戦いだったわね、、あと相手をしなければならないのは、あの三人くらいかしら」
小恵理は彼らを、騎士団のように統制が取れた組織と高く評価していたし、事実コエリにも、今の一連の攻防だけでも、それは感じられたのだけれど、、その仲間への信頼がかえって仇になったわね、とコエリは冷静に、倒れた冒険者らを眺めやり、高台の上へと視線を向けます。
冒険者らの、一斉突撃を高台から眺め、自分達は一歩も動かなかった、二人の剣士と、一人の魔術師。コエリは周囲の気配に、既に無力化された冒険者しかいないこと、見上げた先にいる彼らの実力が、他より優れていることだけ見て取って、そういうこと、とその正体を看破します。
彼らは、最初に小恵理がランツィアと出会った時に山の先頭を進んでいた、冒険者の三人です。仲間が一斉に撃沈されたというのに、ほとんど動じることなく悠然とこちらを眺めている辺り、彼らがこの冒険者らのリーダー格、と考えて良いでしょう。
「ランツィア、ここにいなさい」
背後で、ほとんど腰を抜かして、かろうじて樹へと寄りかかっている青年へと言い放ち、コエリは一気に高台へと跳躍します。
三人との距離は、約30メートル、、一人は中年の剣士で、鍛え上げられたがっしりとした筋肉と、熊のような上背を持ち、その恵まれた体格は一見すると、レグルスとさえ渡り合えそうな雰囲気があります。虎を思わせる白金の髪と、歴戦の刻み込まれた険しい顔立ち、細くすぼめられた視線は鋭く、並みの剣士であれば、その眼力だけで圧倒され、身動きすら取れなくなるでしょう。
もう一人は、同じく長身で、やや細身で武道着のような着物めいた身軽な格好に、片刃の細く長い刀、線のように細い瞳は視線を読みにくく、策略家のような怪しげな雰囲気を醸し出しています。こちらは口許を緩く微笑ませていて、三人の中では一番余裕が見受けられます。
そして、最後の一人、、白いローブに身を包み、フードまで被って日差しを避ける彼は、まだランツィアと同等かそれ以下に思われるほど年若く、そのあどけない顔つきは、王都の学院生を思い起こさせます。
勿論、ここにいる以上は、それ相応の実力を持っているのだろうけれど、、緊張して杖と身体を震わせながらも、屹としてこちらを見つめる瞳は、ここから先は行かせないという、強い意思を宿しています。
「悪くない面構えね。それで、全員一緒にかかってきてくれるのよね?」
そうじゃないと、面白くないわ、と。コエリは当たり前のように呼び掛け、いらっしゃいな、と剣を軽く振って、格下の弟子に稽古をつけようとでもいうような、優しげな微笑みを向けます。
三人は、剣士の二人はそれぞれ無言で素早く剣を抜き放ち、魔術師の青年が、その二人に、気を付けてください、と呼び掛けます。
「たぶん、彼女が昨日闇魔法でギルドメンバーを痛め付けていた張本人です! 幻術や闇属性の炎、それに巨大な火炎弾を放ってきます!」
「マティルド君、それは我々もわかっているよ」
「もう少し有用な情報をくれるか? 奴の狙いは何だ? 我らアラウダのギルドとの敵対者に、このような輩はいなかったはずだが」
この大事なときに、何故我々がこんな輩に狙われ、ギルド壊滅の憂き目に遭っているのか、と。虎を思わせる剣士は地を響かせるような低く渋い声で答えると、憂鬱そうにため息をつき、マティルド、と呼ばれた青年へと問いを返します。
マティルドは、困ったように首を振り、僕にもわかりません、と答えます。
「彼女が優れた闇魔術の使い手である、ということは間違いありませんが、僕らと敵対する闇魔術師に、こんな少女がいるなんて、、少なくとも、ギルドの所属ではないと思います」
「ではまさか、帝国からの刺客か? もしそうなら、我々は内通を疑わなければならないが」
その問いは、マティルドだけでなく、コエリにも向けられていて、三人からは、一斉に誰何するような視線を投げかけられます。
勿論、コエリがそれに答える理由はありません。その疑念とは裏腹に、彼らは内通など微塵も疑っていない結束を醸し出していて、コエリは、悪いわね、と内心だけで謝罪を口にしておきます。
ここで彼らと相対しているのは、ランツィアという、たかだかプロトゲネイアの一兵士にすぎない青年を、たまたま見かけてしまった、口封じされそうになっていた現状から救いたいという、小恵理の思い一つから成り立っているに過ぎなくて。
もしほんのちょっとでも、小恵理の到着が遅ければ。あるいは、彼らがランツィアを取り逃がしていなければ、ガレネの同行が、エカルドの犠牲がなければ。小恵理より先に彼らがランツィアを発見していれば、このような状況には陥っていないのです。
それは、ただ運が、あるいは、巡り合わせが悪いとしか言いようがありません。それが仮にアラウダの自業自得であっても、彼らからすれば、通り魔に襲われたのと大差ないのだろうとは、コエリでさえ思うのです。それも、考えうる限り、最悪クラスに質の悪い。
ただ、運命などというものがもしあるとすれば、そんなものでしょうね、と。コエリ自身、無数の不運や行き違いによって失意の底を経験した身ですから、彼らへと同情する心は湧きません。
今回はただ、自分が天命の導きに従い、彼らに不運をもたらした側へと移行しただけのことだと。そう割りきって、コエリは彼らの希望を完全に打ち砕くべく、わずかに重心を落とします。
「それじゃ、お喋りは済んだかしらねーー」
「飛燕刃っ!!」
と。もう一人の、浪人めいた剣士が、唐突に剣を振りかぶり、横凪ぎに一閃させます。それも、
「えーー?」
対峙しているコエリにではなく、方向にして真横に近い、山道横の樹に、寄りかかるようにして立っていた、ランツィアへ向けて。
高台から、まさか狙われると思っていなかったランツィアは、自らに迫る風の刃を、ただ呆然と見上げていて。コエリは、けれどそれに構うことなく、浪人めいた剣士へと一瞬で肉薄し、剣を抜いたのかどうかすら認識する間もなく、その傍らを走り抜けます。
「うわぁーー!」
悲鳴は、高台の上下で同時に上がります。コエリはその、どちらの悲鳴にも忖度することなく、やや離れた位置に移った、虎の雰囲気を持った剣士へと目を向けます。
最初にいた位置からは、10メートル近くも動いたでしょうか。コエリの足元には、今の交差の一撃によって倒れ伏し、意識を失った浪人風の男がいて、その隣に立っていたはずのマティルドは、とっさに飛び退いた、虎の雰囲気を持った剣士の傍らで、尻餅を付いて転がっています。コエリが切り込むと同時に、この虎風の剣士の男がマティルドだけでもと腕を掴んで、強引に安全圏へと避難させたのです。
「、、なんということだ。貴様、どのような使い手だ?」
その、虎のような雰囲気の剣士は、眉を険しく寄せ、唸るように問いかけます。
この、浪人風の剣士が一瞬で倒されてしまったこと。それに加えて、
「っぶなかった、、!」
高台の下では、頬から血を流すランツィアが、倒れた樹の傍らで、今度こそ完全に腰を抜かして、冷や汗を流し、呼吸も荒く、へたり込んでいて。
風の刃は、肉眼では捕捉すら困難で、ランツィアの目で追えるような速度をしていませんでした。勿論、そんなものに反応して避けることなどできようはずもなく、何故無事なのかと言えばーー、あの風の刃が、自分で外れたのです。
正確に言えば、飛燕刃と呼ばれていた風刃は、元々ランツィアが立っていた樹ではなく、その隣の樹へと、放たれていて。
それでも、刃の範囲の思わぬ広さから、ギリギリ頬を掠める一撃であったこと、それによって斬り倒された樹が、目の前あと数センチ、鼻を掠めるようなところへと倒れてきたことで、九死に一生を得るに至ったわけです。
そしてその、ランツィアの無事を確認したからこそ、虎のような剣士は、一体どういう使い手だ、とコエリへと唸ったのです。
あの浪人風の剣士はーー、アラウダの副ギルドマスターである東洋の刀使いハバクは、勿論、とっさの一撃とはいえ、それも50メートルを超える距離があったとはいえ、立っているだけの狙いを外すような男ではありません。にもかかわらず、何故ランツィアの隣の樹などを狙ってしまったのかと言えば。
コエリは、涼しい顔で、どのような? と興味深く問いかけます。
「私は闇魔術の使い手であり、剣と友のために生きる者よ」
だから、覚えておきなさい、と。コエリは続けます。
「奇襲というのは、仕掛けた側にとっては、仕掛けた、それが成功したと思った瞬間にこそ、一番の油断、慢心があるのよ」
自分が仕掛けた側だからと。油断して、闇魔術の幻影によって作り出されただけの、いないはずの存在へと必殺の剣技を、放ってしまうくらいにはーー人の心は、隙が多いものよ、と。
身内の会話にも参加せず、こちらの隙を窺うような動きをしている相手が、何もしてこないと思うほど、コエリも無策に警戒を捨ててはいませんでした。だから、先にランツィアを狙われることを予期して、闇魔術のヴェールで、高台の下を覆っておいたのです。万が一ランツィアが狙われても、正確に撃ち倒すことなどできないように。
これが疑うことを知らない小恵理であれば、飛刃が舞った瞬間、慌ててランツィアを守るため高台から飛び降りて、ランツィアを庇いながら、相手からの追撃の、身動きもとれないくらいの大量の遠隔攻撃に晒されていたでしょうけれど、と。コエリは足元の剣士、ハバクを見下ろします。使い手としては、策士としては、悪くなかったけれど、と。
「ハバクを一刀に屠る腕に、奇襲を読み、先んじて幻覚を仕掛けた魔術と洞察、か、、恐ろしく油断ならん」
虎のような剣士は、その状況を正確に理解して、深々と憂鬱そうな溜め息をつき、改めて剣を構え直します。それでも引く気はないという、意思表示として。
コエリはそれに、悪いわね、と今度は声に出して謝罪を口にします。
「一つ訂正しておくと、屠ってはいないわ。柄で打ってちょっとの間眠ってもらっただけ」
「剣士が刃を振るわぬか、、不遜な。マティルド、奴の闇魔術、何故気付かなかった?」
虎のような剣士は、足元の真っ青な顔色の青年へと、責めている風でもなく、ただの事実確認として、問いを投げ掛けます。
それに、マティルドは地面の土を握りしめ、項垂れて顔色を白くしながら、申し訳ありません! と土下座でもしそうな勢いで謝罪します。
魔術師として、使用されている魔術の気配に気づかないなど、あってはならないことだったのにーーと。
「本当に、すいません、、! 僕らに向けられた魔術ではなく、しかもこの少女、魔術の気配を悟られないよう、入念に魔力を隠していまして、、!」
「つまり、マティルドに追えぬ相手か。話にならんな」
唾棄するように言い訳じみた説明を打ちきり、虎のような剣士は一つ軽く舌打ちをします。
口調は事務的で、一切の悪意や嫌味はなく、それだけに、マティルドの自尊心や自負心を打ち砕くには十分でした。
マティルドは、蒼白になって震えたまま、泣きそうな顔で地面に視線を落とし、それがいっそ打ち首でも望んでいるように見えてしまって、コエリは、微かに苦笑を送ります。
「そこまで言わなくても、いいのではないかしら? 私が優れた魔術師であり、剣士であることは、あなたの目から見ても感じることではないの?」
「無論。だがマティルドの力及ばぬ事実は覆らぬ」
「ーーー」
虎のような雰囲気、と思っていたけれど。内面はむしろ岩のように頑迷な男で、これ以上は話しても、このマティルド青年の心が折れるだけね、とコエリは、同情めいた目線を青年へと送り、いいわ、と言葉を返します。
元より、障害となる心づもりがあるのなら、排除するよりないのだから。
「あなたのような剣士は、一度実力で沈めてあげないとわからないようね。ーーお相手するわ」
来なさい、と。
コエリは、緑の薫る微風に前髪を揺らしながら、静かに、決戦開始の言葉を口にしました。