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ホロスコ星物語227

やや長めの黒髪の奥に、深淵の闇を感じさせる漆黒の瞳、転移魔法陣の上に立つ、黒衣の少年、、彼の纏う真っ黒な羽衣のような絹の衣裳は、滑らかさと美しさ、そしてしなやかさと強さをも同時に兼ね備えていて、コエリにとっても、この独特な格好の少年には、一人しか心当たりは該当しません。

どれだけ入念に作り上げたのか、一見すると、それがコエリにとっても浅からぬ因縁の相手、魔王カイロンのように見えるのは、幻覚を看破することに長けたコエリですら感じています。けれど、小恵理と記憶を共有する、優れた闇魔術の使い手であり、幻惑や催眠といった術に強い耐性を持ったコエリの目には、それが偽者の、魔王に似せただけの姿であることもまた、すでにわかっています。

霧を避けるように、上空から降りることなくこちらを見下ろす瞳は、冷たく、機械めいていて、これまで小恵理に向けてきた愛情溢れる眼とは、似ても似つきません。勿論、かつて王城でコエリに向けてきていた、何がなんでも小恵理を取り戻すという、殺意と狂意に満ちていた目とも異なります。

ーーとはいえ。露骨すぎないかしら、とコエリは一人ごちます。

わかりやすいのは、結構だけれど。闇魔術に頼るまでもなく、あれが、小恵理への情愛に満ちていない時点で、魔王カイロンなどではない、仮初めの姿を持った偽者だということは、わかりきっています。

何より、同じく小恵理へと深い情愛を向ける者として。いついかなる時でも、例え中身がコエリでも、小恵理でもあるこの身へ向けて、あんなただ殺意に染まっただけの瞳で見つめることはないと、コエリであるからこそ、それは断言することができます。

「あんまり出来が悪いと、本物から苦情をもらうわよ?」

コエリは、その姿を敢えて取っている理由を思って、苦笑を浮かべ、どこか愉快な気分で漆黒の剣を抜き放ちます。勿論、その正体を看破した上で、その姿にならざるを得ないことへの、同情めいた気分もあったから。

それから、上空のカイロンへとその切っ先を向けて、

「少し待ってなさい」

マティルドの耳元へとそっと、囁くように声をかけて。跳躍をした、と思ったら、その身は一瞬にして黒炎に包まれ、コエリの身体もまた、中空で炎熱にでも煽られているように留まります。

そうして、次はどうするの、と。首をかしげて呼びかけ、上空で対峙した少年と、コエリ、、カイロンを知らないマティルドの眼にも、上空の少年が、コエリと同様、強大な闇魔術の使い手であることは見てとれます。ーーその少年の魔力の質が、おぞましくさえ感じられてしまう程、邪悪に満ちていることも、対峙するコエリの魔力が、清々しくさえ感じられてしまうほど、澄んだ闇であることも。

先程コエリは、闇魔術にも種類があると言っていたけれど、こうして二人を並べられてしまえば、その違いは一目瞭然です。マティルドは、先程自分が偏見でものを語ってしまったことを深く恥じると同時に、コエリの持つ心と魔術の清冽さに、思わず魅入られてしまったようにその姿を見上げ、

「ーーっ!?」

神域の霧に包まれた、森の中から。
自分に向かって放たれる、二本のナイフーー!

決して、周囲の気配への洞察を疎かにしていたわけでは、ないけれど。上空を見上げていた分、放たれた銀刃へと反応するのは、数瞬程度遅れました。そして、その数瞬の間であっても、自分の心臓へ向けて、その切っ先が吸い込まれるには、十分すぎる時間で。

身体を捻る間すらなく、マティルド青年の胸元へと、ナイフが吸い込まれる、、その光景を見下ろしながら、コエリは動きません。それは勿論、マティルドを見捨てたわけでも、反応する時間がなかったわけでもなく、

「ーーぅはっ、、!」

過たず、マティルド青年の胸元はナイフによって貫かれ、青年は、後ろへと仰向けに倒れ込みます。遅れて、口元から溢れ出る朱色と、湿った草地に広がる、同色の液体、、その、青年の痙攣する身体を、コエリは動揺すらせず、中空から興味深げに見下ろします。

自分を見上げる瞳は、徐々に虚ろに変わっていき、口は何かを言葉にしようと、わずかに動くけれど、それが何か音声を形作ることはなく。やがて、全身から力という力が抜けていってーー

「、、大したものね。ここまでの幻は、私でも作れないわ」

さすがと言うべきなのかしら、と。コエリは、感慨深くそれを見下ろしながら、パチン、と。
指を、軽く鳴らしてーー

「ーーえ、、?」

マティルド青年は、まず自分が神域の霧の森で、変わらず立っているという事実に、眼を白黒させます。

今自分は、どこからか飛んできたナイフで、間違いなく絶命したと、、痛みすら認識できないままに、流れ出る紅の液体、冷えていく身体、それ以上に身体を抉る冷たい刃を、感じていて。

戦場では後衛を務めるマティルドも、怪我をした経験がないわけではありません。幸い致命的ではなかっただけで、放たれた矢や投具で腕や足を貫かれた経験は、過去にも数える程度ありました。そしてその、どの経験よりも、間違いなく致命傷だったと、、命に危機があったことは、間違いないと思うのに。

だというのに、何故か自分は今も変わらず、ナイフなどどこにもなかったように、ここまで踏みしめてきた草地の上に、立っていて。

何が起きたのかは、先程コエリと対戦したとき以上に、まるで把握できてはいません。倒れた感触も、身体に受けた衝撃もそのままに、何故か生きて、ここにいる、、その当のコエリは、何故か興味深そうに自分を見ていて、マティルド青年は、無意識のうちにコエリに問いかけようと、一歩前へと踏み出し、

「また、、!?」

再び、正面から閃く、ナイフが二本、、!

一度刃を身に受けた影響か、身体は緊張していて、今度は、避ける時間も若干ながらありました。けれど、今の幻術と呼んでいいのかすらわからない現象が、マティルド青年の判断力を、わずかながらに奪っていて。

これを、避けるべきなのか、どうかーーそんな、普段であれば愚にもつかないような疑問が、マティルドの反応を遅らせ、

「困った子、ね」

キイン、と。
今度は、軽い金属音と共に、二本の切っ先は呆気なく宙へと舞い飛びます。

目の前には、龍と蝶を意匠に象った黒のドレスを纏った少女が。手に持った黒き長剣を、軽く振るったような姿勢で、立っていて。

見上げる上空にコエリの姿はなく、先程まで上空にいたコエリが、今度はカイロンに背を向けてまで、自分を助けるために降りてきてくれたのだとわかります。自身がその隙に、カイロンからの致命傷を負うかもしれないのに。

けれどーーそれはつまり、

「本物、、!?」

草むらには、舞い飛んだナイフが二本、大地に突き刺さっていて、マティルド青年は、それに恐る恐る手を伸ばします。

さっきのナイフは、幻か何かだった、、コエリが助けに反応しなかったのは、おそらくはそれが理由で。けれど今度は。

標的に向けて確実な投擲をするべく、手持ちに巻かれた、ざらざらした皮の手触り、鋭く磨かれた金属光沢、やや軽いながら、命中制度を上げるべく、やや前方へと重心の寄せられた構造と、それがようやく、間違いのない、本物の投擲用ナイフだと察します。

そしてこの、どこかで見たような、それを投擲してきたのは、

「ガレネ、、!」

霧の中、正面からうっすらと姿を現したのは、口許を皮肉に歪めた、一見すると山賊のような風体の大男、、マティルドは、その先行して神域に入ったはずの男が、何故ここにいるのか、何故本来は味方であり、アラウダのギルドメンバーであるはずの自分に、こんな暴挙を行ったのかを問い質そうとして、

「、、?」

けれど、その大男の様子が、普段の飄々とした雰囲気がなく、まるで上空に浮く魔法陣の少年のように、普段とは全く別人の、悲哀に満ちた瞳でこちらを見ていることに違和感を覚えて、一度口を閉じます。

ガレネは、アラウダの中でももう古参に入るメンバーの一人で、副長であるハバクや、ギルドマスターであるテオバルダからの信頼も厚く、見た目に反して、根は存外に善人だったとも記憶しています。

確か、あの案内人の兵士、ランツィアやエカルドとは因縁があったようで、神域に先行させるに当たっても、その点だけ危惧されて、ベテランのレンジャーを共に付けられたはずだけれど、、少し前にコエリが指摘した通り、ガレネの近くに、その本来なら一緒にいたはずのレンジャーの姿はありません。

「ガレネ、、!? どうしたんだ、神域で何があった!?」

そう、マティルドが問いかけるけれど、ガレネは、無言を返し、新たなナイフを懐から更に取り出します。

どう見てもこのガレネは正気ではなく、けれど、これをまともに相手をしてもいいものか。普段から迷いが多く、重要な判断をテオバルダへと仰いでいたマティルドには、適切な判断が下せません。思わず、相変わらず動じる気配もないコエリへと弱った眼を向け、あの、と切り出します。

「ガレネは、一体どうしたって言うんですっ? あんなガレネ、僕は見たことがない、、!」
「、、あの彼がどうしたかは、私も確証はないけれど。あなたがどうすべきなのかは、あなたがどうしたいかによるわ」
「どうしたいか、、!? 一体、僕にどうできると」
「無力化したいの? それとも、殺してあげる?」
「、、!」

その、冷酷ですらある選択を挙げるコエリに、マティルドは愕然と息を呑み、反射的に反論しようと口を開き、

ーーけれど、その、ガレネを見るコエリのもの悲しげな視線に、思わず口をつぐみます。
そのコエリの目線は、あれはもう、元には戻らないとでも言わんばかりで。

「どういうことなんですか、、!? あの、ガレネに一体何が!」
「あなたは、、勿論、知っていたはずよね? 龍頭山脈で、願いを叶えるために必要なものが、一体何であったのか」
「っ、それは、、!」

縋り付くように、コエリの腕を掴んで問うマティルドに、コエリは、その手を優しくそっと取り払い、決して冷たくはない、むしろ哀れんでいるかのような瞳で、マティルドへと問い返します。

事実、コエリからすれば、この現状はアラウダの人間の自業自得でしかありません。何が、といっても、見ての通りよ、としか言いようがないのです。

、、小恵理は、ガレネについて、その持ち前の直感力で、本性もある程度看破していたようだけれど。長年付き合いがあり、信頼も信用も置いていたというのなら、アラウダの人間こそ、ガレネの本心を見ていなければならなかったはずです。

ーーガレネは、決してアラウダのためなどではなく、同郷であった、弟のように可愛がっていたランツィアのためにこそ、その願いを捧げるだろうことを。

そして、その払うべき最も重い代償として、自分の未来を、神域へと捧げるだろうことをーー

だからこそ。
小恵理の、偶然ガレネへと仕掛けたマーカーが、ガレネの神域への潜入を知らせ、他のメンバーが手前に残っていたことに気付いたからこそ、コエリは何ら焦ることもなく、アラウダのギルドの相手を、あの高台でしていたのです。

時間稼ぎに、意味はない、、ガレネが先行し、願いを叶える役割を引き受けた時点で、その心の内は、アラウダの失敗は、知れていたから。

その、具体的な願いは、山中でのガレネの振る舞い、エカルドを手にかけたとランツィアが怒り、同時に、ランツィアの手にかかって、ガレネが自らの命を散らせようとしたという事実から、コエリには想像ができています。

もし後で、本当に願いが叶うと言うのならーー、エカルドを手にかけたとて、それは何もマイナスにはなりません。後で彼を生き返らせることだって、ガレネにはできるだろうから。そしてランツィアへとガレネが自らの首を差し出した時、それによって、ランツィア、ピア、エカルドの三人にとって、前向きな結果が訪れるというのならーー

すなわち、ガレネの願いとは、少なくとも、自分が消えた世界で、ランツィアの今後の何か幸福を約束すること。エカルドの復活、帝都へ無事帰り、ピアとの幸福な日々を過ごすこと、そのために、自分の首を差し出すことが、有益な何かに繋がるとすれば。

勿論、何故そこまでしようと思ったのか、、ランツィアに、ガレネが本心でどのような思いを抱いていたのか、どのような考えを持っていたのかは、コエリであっても、わかってはいないけれど。

その類推は、同行していたレンジャーを手にかけ、邪魔者を排除したこと、すでに捧げたであろう願いによって、アラウダが、マティルド青年が今も何ら恩恵を受けていないこと、そして、

「すでに、あの身体は彼のものではないわ」

おそらくは、その願いを叶えた主、神域の支配者ともいうべき存在によって、正気を失った姿を、ここに晒していること、、それらの事実から、ほぼ間違いのないものだと判断することができます。

「問題は、ここからね」

コエリは、ポツリと呟き、いまだ上空に浮いて動かないカイロンの偽者と、一歩一歩こちらへ近づいてくる、ガレネを眺めながら、この状況をどうすべきなのかを考えます。

この神域に、独自の魔力が展開されていることは、コエリはすでに見抜いています。それによって、この空間での時間軸が、歪んでしまっていることを。

さっきマティルド青年が受けたナイフは、完全な幻というよりは、未来に起こるべき現象が現在に降りてきた、とでもいうべき珍奇な現象で、コエリはさっき、それが現実の時間軸と重なる前に、破幻術の要領で、その幻を打破しています。

この神域では、本来であれば未来に起こる現象が、先んじて起こっている、、と考えると、その歪みが分かりやすくなります。すなわち、ガレネのあの姿も、カイロンのあの姿も、未来のいつかに、彼らに起こる姿を表している、と言えるのです。

おそらくは、それが神域の正体、、時空の狭間とも言うべき、境界の領域。それ故の、超常現象であるなら。

「マティルド」

コエリは、唐突に傍らの青年へと呼び掛けます。
自分の予測が正しければ、この現状を打破するのは、恐らく彼の仕事になるはずだから。

マティルドは、緊張した様子で、強ばった表情で、コエリへ、なんですか? と応じます。無言でただ近づいてくるガレネに対して、一体どうすれば良いのかと、模索していながら、答えが見つからないというように。

コエリは、よく聞きなさい、と上空のカイロンを見つめながら、マティルドへと続けます。

「たぶん、あのカイロンとも、そろそろ戦いになると思うの。でもさすがの私も、カイロンと戦いながらあなたを守ることはできないわ」

いくらモドキの偽者とはいえ、その力が本物に匹敵するほど強大であることは、既に小恵理の記憶で明らかになっています。

今はまだ、向こうの都合で戦いは起きていないけれど、こちらの自分の予測も正しければ、アレもそろそろ動き出すはず、と。コエリは、手に持った漆黒の剣に、久しぶりの緊張を感じながら、慎重に手を添えます。

「だから、あのガレネの相手は、あなたがしなければならないわ」
「っ、そんな、、!」

マティルドは、思わず、不安げに表情を歪めます。
体格差は大人と子供ほどもあり、近接戦に持ち込まれてしまえば、まずマティルドに勝ち目はありません。そして、近接を許さずにガレネに勝利できるほどの技量が、自分にあるとも思えません。

コエリは、よく聞きなさい、ともう一度マティルドへ、叱咤するように声を強めます。それによって、自分自身をも鼓舞するように。

「私の見立てでも、あなたとあのガレネがまともに戦って、あなたが勝利できる確率は、正味のところ、一割もないわ」
「っ、、!」
「だからあなたは、ーーガレネを探しなさい、本物の」
「、、え?」

聞き返すマティルドに、コエリは答えることなく、再び黒き炎熱を纏って、上空へと浮かび上がります。
上空で待機していたカイロンが、転移魔法陣から、黒剣を取り出すのが見えたから。

どうやら、今回このカイロンは、厄介な策謀を弄するのではなく、剣で正面から挑んでくれようというみたいです。

それなら、そう簡単に負けるわけにはいかないわね、と。
コエリもまた、死を呼ぶ剣を構えながら、敢然と微笑みました。

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renkard
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