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明日を待つ
息をせずに生まれてきた。医者に両足をつかまれてさかさまに吊り下げられ、背中をピシャピシャと叩かれてようやく、不承不承のように、情けない産声をあげたそうだ。
(古井由吉「戦災下の幼年」(『半自叙伝』河出文庫所収・p.12)
明日11月19日は古井由吉(1937-2020)の誕生日です。あえて、前日である18日にこの記事を書くのにはわけがあります。明という、古井のよくもちいた文字からこの文章をはじめたかったからですが、その理由についても書きたいと思います。
言葉と言葉の身振り
それなのに、今では窓を残らず明けて、部屋の境いのドアも明けて、吹き抜けの中に横になっていても、肌がじっとり汗ばんでくる。
(古井由吉『杳子』(『杳子・妻隠』所収)新潮文庫・p.105)
寿夫は右へ一歩動いて老婆のために道を明けてやった。そして相変わらず渋面を守っていた。
(古井由吉『妻隠』(『杳子・妻隠』所収)新潮文庫・p.174)
クッキーの入っていた小さい円い空缶だ。(……)蓋に手をかけるとかなり熱くなっていた。一時間あまり前に、火ののこる灰をその中へ明けてしまったらしい。
(古井由吉「物に立たれて」(『仮往生伝試文』所収・講談社文芸文庫)p.283・丸括弧は引用者による)
*
古井由吉は、作家活動の初期から晩年にいたるまで、「開ける」と「空ける」を書き分ける現在の標準的な表記だけでなく、そのどちらの場合にも「明ける」をよくもちいていました(平仮名だけの「あける」もつかっていましたが)。こうした書き分けない表記は、かつては広く行われていた表記だったようです。
また、古井は「明・日・月・赤・白」という文字を、おそらく偏愛した書き手でもありました。
私はなぜかとは考えません。その表記を楽しむだけです。いまここでやっているように。
私にとって「古井由吉」は言葉であり言葉の身振りです。刺激的な細部に満ちた作品を、ストーリーや人生観や意図や文学観や恋愛観に置き換える気持ちはありません。
明けるのを待つ
古井由吉という書き手が、おそらくあえて書きつづけた「明ける」という文字(言葉というより文字です)の身振りは、その前提に闇・夜・黄泉がある気がします。
「明日」という文字が書かれても、その明日が来ないままでいる場合もよくあります。そんな場合には、「明ける」のを待つ身振りのために書かれた文字列だという感じがします。
杳子は深い谷底に一人で坐っていた。
十月もなかば近く、峰には明日にでも雪の来ようという時期だった。
(古井由吉『杳子』(『杳子・妻隠』所収)新潮文庫・p.8)
『杳子』の冒頭の二行ですが、この「明日」は書かれないままに、小説は進行します。
もちろん、例外もあり、「明日」という文字が書かれ、その「明日」が「翌日」と書かれて、明日が来る場合もあります。
杳子はしばらく考えこんでから言った。
「明日、おいで、三時頃。このままここで待っているから」
杳子の声を寝床から聞いていたのか、翌日、杳子の姉が彼の来訪を待ち構えていた。
(古井由吉『杳子』(『杳子・妻隠』所収)新潮文庫・p.143)
古井の全作品を熟読したわけではありませんが、このように「明日」がじっさいに書かれるのは珍しい気がします。
ここでも、「待っている」「待ち構えていた」という身振りが目につきます。
この小説の視点的人物である「彼」(S)と杳子は、「明日」が「翌日」になったその日に会い、作品は終わります。以下の引用文にある「明日」が書かれないままに『杳子』という小説が終わるのです。
「明日、病院に行きます。入院しなくても済みそう。そのつもりになれば、健康になるなんて簡単なことよ。でも、薬を呑まされるのは、口惜しいわ……」
(古井由吉『杳子』(『杳子・妻隠』所収)新潮文庫・p.169)
この後に「赤」がつづけて出てきます。
そう嘆いて、杳子は赤い光の中へ目を凝らした。彼はそばに行って右腕で杳子を包んで、杳子にならって表の景色を見つめた。家々の間をひとすじに遠ざかる細い道のむこうで、赤みをました秋の陽が痩せ細った樹の上へ沈もうとしているところだった。地に立つ物がすべて半面を赤く炙られて、濃い影を同じ方向にねっとりと流して、自然らしさと怪奇さの境い目に立って静まり返っていた。
「ああ、美しい。今があたしの頂点みたい」
(古井由吉『杳子』(『杳子・妻隠』所収)新潮文庫・pp.169-170・太文字は引用者による)
「明日」が、闇・夜・黄泉の世界で、明けるのをひたすら待つという身振りに見えます。
「あける・明ける」の語源の説明には、たとえば「アカ(明・赤)と同源で、明るくなる意)(広辞苑)とありますが、何度もうなずかずにはいられません。
やみ、よる、よみ
闇、夜、黄泉。
やみ、よる、よみ。
「そこ」では個人が多数の他者とつらなる。他者は多者でもある世界だと想像しています。
「そこ」では誰もが列をなしてつらなる。個人を縛る鎖が連鎖をなし、長い長い連なりを形づくっているかのようです。
*
連鎖、連座・連坐、蓮座・蓮坐。
連想が連想を呼びます。連想には逸脱が付きものです。たとえば、廉想、呆廉想、惚廉草という具合に。
連想には逸脱が付きものですが、憑くようにして付く場合もあります。
たとえば、連座と連坐と蓮座と蓮坐に、巫(かんなぎ)を見てもいいのではないでしょうか。
「そこ」では許される気がします。「そこ」には、さかい目がないのです。
つながっているようなのです。
よ、よる、夜、ヤ。やみ、闇、アン。闇夜、暗夜。暗、くらむ、暗む。眩む。暗い。昏い。杳い。闇い。冥い。冥界。
というか、私が勝手につなげているだけですけど。
坐、巫
杳子は深い谷底に一人で坐っていた。
(古井由吉『杳子』(『杳子・妻隠』所収)新潮文庫・p.8)
『杳子』の冒頭です。冒頭ですからルビが振られていてもいいわけですが、「坐」にはあえて振らなくても読者は読めるのではないかとも思います。
それはそれとして、この一文に、私は巫女や巫(かんなぎ)を感じてしまいます。とはいえ、読みすすむにつれて、杳子からは巫女や巫といった印象が薄れていきます。
*
「かんなぎ・巫」は、辞書に「古くはナムナキ。神なぎの意」(広辞苑)とあるように、和語であり、神道系の言葉のようです。「なぎ」は「なぐ・和ぐ・凪ぐ」とつながる感じもします。
「坐」は、「すわる」という和語に当てた漢字のようです。漢和辞典の解字の欄には、「人+人+土」(漢字源・学研)とわかりやすい説明があります。
古井は「坐る」のように、よくルビを振るのですが、ルビが振られているのを見るたびに、私は「この文字をよく見なさい」と言われているような気がして、じっと見ています。
すると、上で述べた巫のイメージと、人がすわっているさまが浮かびます。私は人の「すわる」姿に、仏画や仏像の座位・坐位を連想する癖があります。巫とは異なり、大陸からつたわった仏を感じるのです。
古井には、「北上の古き仏たち」(『山に行く心』所収・作品社)という仏像を訪ねた紀行文(エッセイ)があります。この文章について、いつか書きたいです。
坐る、腰をおろす、腰をかける
以下は、『杳子』といっしょに収められている『妻隠』(つまごみ)からの引用です。
『妻隠』の冒頭はp.172なのですが、話がそこそこ進んでから、はじめて「坐る」という身振りと「坐」という文字が出てくるのは――見落としがあったらごめんなさい――、意外と言えば意外に思われます。
「尻」くらい、読めますよ、古井先生――。そんな読者の声が聞こえてきそうです。古井先生が、あえてルビを振っているところには何かがある――。そんなふうに私は感じます。におうのです。ぜひ、お読みになってください。
ここでも「坐」にルビが振られていますね。「見て見て」と文字が言っているように私には思えます。
窓明かりに照らされて、少年の細い軀が窓のシキイを両手につかんで、ひきずり上げられまいと、尻から先に坐りこんでいるのが見えた。
(古井由吉『妻隠』(『杳子・妻隠』所収)新潮文庫・p.181)
このヒロシという少年に私は強烈な巫女と巫を感じます。男の子なのですが、その描かれ方から巫女の素質が、ぷんぷんにおうのです。
こうした私の読みは詮索とか妄想と取られかねないものですが、古井由吉は私の尊敬する数少ない書き手の一人です。表記やルビさえも、おろそかにせずに目を注いで読みたいとつねに思っています。
巫という私の私的な連想はさておき、「坐る」と「腰をおろす」と「腰をかける」は、古井由吉の文章では書き分けられている気がします。とはいうものの、作品の細部を見るとケースバイケースなのです。
小説は見立て(図式化された先入観)で読むものではないという教訓です。
すわる、巫
すわる、すえる、うえる。
坐る、座る、据わる、据える、植える。
辞書によると、「すえる・据える」は「うえる・植える」と同源らしく、「そこに根を下ろすようにしっかりと定着させる意」(広辞苑)とあります。
和語ではそうしたイメージがあるようです。
私なりのイメージだと、「土に根を張る」感じなのですが、これは坐という漢字で私が勝手にいだいている巫(かんなぎ)の意味とは異なります。「かんなぎ」は「神を凪ぐ」というように巫女の役割なのです。
そう考えると、『杳子』で平たい岩の上でうずくまっている杳子は「すわる」のイメージであり、『妻隠』で荒々しい男どもにむかって、とうとうと言葉を唱えるヒロシは「巫・かんなぎ」のイメージに感じられます。
*
個人的な印象である連想を言葉にすると、以上のように話がごちゃごちゃします。ごめんなさい。
図式的にまとめてみます。
坐る:「すわる」という和語。「すえる・据える」と「うえる・植える」から土に根を張るイメージを連想。坐位の仏像も連想。仏教的なイメージ。
坐る:和語の「すわる」に当てられた漢字の「坐」に、「巫」という形の漢字を連想。「巫」という漢字には、「かんなぎ」(神を凪ぐ)という和語が当てられている。「巫女」のイメージを連想。神道的なイメージ。
なお、この図式では仏教的と神道的という言葉をつかってはいますが、神仏習合(神仏混淆)という発想とはほど遠いものです。私の単なる連想であり思いつきでしかありません。
また、古井の宗教観を想像して述べたものでもありませんので、ご承知おき願います。
*
またもや、見立てをしてしまいました。言い訳になりますが、見立ては楽しいのです。
話を「闇・夜・黄泉」にもどします。
そこ、ここ
闇、夜、黄泉。
やみ、よる、よみ。
「そこ」では個人と故人のあいだの差はきわめて薄いのではないでしょうか。個人と多者のあいだの隔たりも淡い気がします。
個人の中に多者である他者がの声が層をなしているのです。
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そもそも、「そこ」には、さかい目も、うつり目もないようです。
境目も移り目もないとはいえ、「言語以前」とか、「言葉になる前」などという小賢しげな言葉でまとめたくはありません。あくまでも「そこ」です。
あける、明ける、開ける、空ける、赤、陽、日、白、月。
闇、やみ、夜、よる、黄泉、よみ。
座、坐、巫。
すわる、すえる、うえる。
坐る、座る、据わる、据える、植える。
座る・坐る、腰かける、腰をおろす。
つながっているようです。
「そこ」は「ここ」でもある気がします。そう信じたいです。
「むこう」や「かなた」も「ここ」と通じているにちがいありません。
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明日は祝福すべき、おめでたい日です。私がここで、この文章を書いているのも、あの日に産声をあげた人がいるからです。明日を待ちます。
※ヘッダーの写真はもときさんからお借りしました。