見出し画像

27歳。初めての転職先が潰れたことは、大きな「チャンス」だった。

転職エージェントをしていると、どのような軸で転職先を選んだら良いかということをよく聞かれる。

リスクはおいたくない。
失敗したくない。
この道が正解なのかな。

今でこそ、ある程度就職先選びのポイントは伝えることはできるけど、自分自身のキャリアを振り返ると、正直なんとも言えない気持ちになる。

気持ちはわからなくないけど、何がリスクで、何が失敗かなんて、正直誰にもわからないと思っているから。

今回は、今40代の私が、27歳でした「初めての転職」について書こうと思う。

偶然が重なり合ってできた自分のキャリア

「今の自分のキャリアの軸は何で作られましたか?」

そう問われたら間違いなく、20代後半から30代の13年勤めた会社での採用担当としての経験をいうだろう。
その間、社員数が20倍の4000名まで増え、上場も果たした。

でもそれと同じくらいに私にとって「大切な経験」となっているのは、27歳、1度目の転職の時だ。

新卒で入った大手警備会社を3年半で辞めた

大学時代、特に将来明確にやりたいこともなく、早く部活動に戻りたかった私は、今思えばかなり就活を適当にやっていた。就活落第生だった。
企業説明会に行くのが突然嫌になり、リクルートスーツのまま、ロマンスカーに乗って箱根に行ってしまったこともある。
呑気に、温泉まんじゅうを食べながら、温泉街を歩いていた。

そんな私は、「最初に内定をもらったから」という安直な理由で、大手警備会社に事務職として就職した。

特にやりたいこともなく「なんとなく、社会にとっていいことはできそうだ」くらいの、安易な決め方だった。

これにどうしても乗りたかった


でも、そんな決め方だったから、働きながらどんどん、モヤモヤする気持ちを抱えるようになった。

20年前は、転職もまだメジャーではなく、ずっと勤め続けることがまだまだ当たり前の時代。
高校や大学の同級生で、そのタイミングに転職している人はほぼいなかった。でも私はどうしても、その会社で自分が活躍する未来が見えなかった。
社内のほとんどが男性で、時代も時代で、女性管理職はほとんどいなかったせいだろうか。

女性はニコニコして、あまり前に出ることもなく、キャリアを考えるよりもかわいくお飾りとしてそこにいてくれたらいいよ。

直接そう言われたわけではないけど、うっすらとそんな風潮を感じていた。
会社の中心にいるのは、物事を決めるのはいつも、男性達だと感じていた。

幸い、周りの人には恵まれ、可愛がってもらい、いろいろなチャンスももらった。それでもどうしても、そこにいつつづけたいと思えなかった。
心底楽しそうに働いている大人がいないように見えたのだ。

悩みに悩んだ末、私は身一つで飛び出した。27歳だった。


無名のベンチャーに初めての転職

いくつか内定が出た中で、選んだのは10名ほどの小さな会社。
「大きい会社にいる方が安定」というのが今よりも強かった時代。
私の選択に、友人も家族も驚いていた。
でも私は「やっと自分の力を発揮しやすい環境にきた」と思った。

その会社は元々は広告代理店だったが、中小企業向けに経営支援をするという新規事業を始めていた。
面接は、初回から社長と専務の2人だった。

「子ども達が大人の背中を見て、働くのって楽しいと思える社会を作りたい」

私は2人に向かって、そう熱弁した。
教員の両親を持つ私は、教員にならなかったものの、人がイキイキと生きるというテーマとか、イキイキ働ける環境作りには興味があった。
2人は熱心に、聞いてくれた。
その後私は、オフィスに呼ばれ、何人かの社員と挨拶をすることになり、めでたく内定となった。

後々聞いたことだけど、社長は私のことを不採用にしようとしていたらしい。
理由はシンプルで、「営業経験がないから」
それを、専務と、当時の社員が「絶対あの子を入れたい。入れた方がいい」と説得してくれたと後で聞いた。

人からもらった「チャンス」だった。

初めての「営業」


そして私は27歳で初めて「営業」という仕事に就いた。
私以外に、3人ほどのコンサルタントと、5人ほどの法人営業が一緒に採用されていた。

私以外は、誰もが知っている有名コンサル会社出身者や、リクルート系企業出身で、営業の実績を持っている人たち。
会議で飛び交う言葉がチンプンカンプンすぎて「なんと場違いなところに来てしまったのか、、、」と思った。

みんな早口だし、なんかカタカナ使うし…
言ってることがさっぱりわからない…
一気に落ち込んだ。



一歩会社の外に出てしまったら、異業種に飛び込んだら、それまでの経験なんてこれっぽっちも通用しないんだということを、私は思い知った。

どんどん自信を失い、自分の殻に閉じこもり、他の社員との会話も減っていった。ありがたいことに優しい人ばかりだったため、そんな私を気にかけてくれた。
食事に連れていってくれたり、話しかけてくれたり、私が辞めないようにケアしてくれた。

ベランダで寝袋に入っての営業電話


1ヶ月経つと、少し環境にも慣れてきた。
しかし会社では新しいサービスでの新規顧客の獲得に苦戦をしていた。
前職で営業の実績を上げてきた人ですら、アポイントすら取れない。

私はとりあえず、手を動かすことにした。
当時のオフィスは、神楽坂にあるマンションの1室。
あまり広くなく、手狭だった。新人でスキルも何もない私は先輩達に場所を譲るべきと考え、冬の寒空の中、一人ベランダにてテレアポをすることを決めた。

しかし、日中でもそれなりに寒い。

オフィスに寝泊まりしていたデザイナーさん寝袋があったので、それを貸してもらった。
寝袋をきて、ミノムシのようになりテレアポをかけつづけた。

デザイナーさんは気にかけて、タバコを吸いがてら、毎日ベランダに遊びにきてくれた。

毎日のように割り振られるリストに電話をしまくった。
怒鳴られたり、電話をガチャンと切られる日々。
こんなにも人間らしい扱いをされないことがあるんだと、愕然とした。
さらに、私はベランダで寝袋を着ながら電話している。
なんだこれ。
そんな自分がちょっと笑えてきた。



数週間続けたのち、寝袋テレアポの甲斐あってか、神様は私にチャンスをくれた。なぜか「社長アポイント」が取れ始めたのだ。
他の社員達はいまだに苦戦していたが、営業未経験の私だけ、なぜか「社長」にアポが取れるのだ。

どうやって社長のアポを取るんだといろんな人に聞かれたが、自分でもわからなかった。
一つ言えることは、寝袋をきて冬の寒空で何百件もテレアポするくらい、プライドも捨てて、自分のやるべきことを粛々とやっていた。

私が30代でキャリアの軸を作ることになった会社は、そんなテレアポリストの中にいた。

5回目につながった電話

その会社のことは、わけもなく、どうしても気になっていた。
保育事業を行なっている株式会社で、創業4期のベンチャー。
子どもが好きで、教育や保育に興味があったからかもしれない。
毎日のように「代表はいますか?」とかけ続けた。

繋がったのは、5回目にかけたときだったと思う。
当時代表は38歳。毎日のように自分が営業として飛び回り、ほとんどオフィスにいなかった。
それでも偶然に、繋いでもらえた。

私はこれはチャンスとばかりに、サービスの概要を説明した。
ふんふんと一通り聞いたあと、彼は一言こう言った。

「うーん、怪しいっすね」

それなりに真っ当に生きてきた私は、初対面の人様からはっきりと「怪しいっすね」と言われることなど、この人生において一度もなかった。

「いえ、怪しくないです」

なんの機転も効かない、怪しい返答をした。
かなり怪しまれているのはビンビンに感じながらも、奇跡的にそのままアポが取れた。
そしてトントン拍子で契約が進み、その会社は私の初めてのお客さんとなった。
私の、どころか、会社にとっても初の新規顧客獲得となったのだ。

後日、契約をしてくれた代表に聞いてみた。
なぜ私に会おうとしてくれたのですか。

『怪しいっすねと言ったあと、あなたは「怪しくない」と言って迷わずに自分の携帯番号を教えた。アポイントの日までに、何かあればいつでもここにかけてください。その姿勢で、この人は信頼できると思った。
全ての営業電話は断っていたけど、興味を持ったし、この人には会ってみようと思った』

人生、誰に何が引っ掛かるかわからないと、そのとき思い知った。

それは自分がつかんだ「チャンス」だった。

初めての転職先で、給与が未払いに

ささきが新規顧客を獲得したぞ!
そんなお祭りムードも束の間。
私の会社では給与の支払い遅延、そして給与が支払われなるということが起きたのだ。
簡単に言えば、会社が倒産寸前になっていたのだ。

顧客と3ヶ月間の契約が決まっていた。最悪のタイミング。

当たり前のように、次々と人はやめていった。
特段残る理由がないからだ。

ただ、私には残りたい理由があった。
それは「怪しいっすね」から始まった、あの会社との契約があったから。
自分を信じてくれたお客さんを、裏切っていいのだろうか。

悩んだ末、3ヶ月間、私は無給でも残ることを決めた。
一人暮らしをしていたけど、なんとか貯金を切り崩せば生活できる。
無給で働くなんて、もはやボランティアだ。自分にとってはなんのメリットもないように思えた。

メリットなんてどうでも良かった。自分の正義だけを貫きたかった。

それでも、3ヶ月のプロジェクトが終わったらまた就活をすると決めていた。

私はまだ若い。どうにかなるだろう。

大きな変化の始まり


3ヶ月のプロジェクトを終え、無事に成果物を提出した。
やっと、転職活動ができる。
私は顧客であった代表に、全てを話した。

会社の事情で私は転職活動しようと思います。
ありがとうございました。

感謝を込めて伝えた。

その時、その代表はこう言ってくれた。

「うちで働きませんか?」

ささきさんのような人に来てもらいたいと思っていたと言ってくれた。
初回アポで「怪しいっすね」と言った代表は、その後ずっと、私がどういう人間かを見てくれていたのだ。

その日私は「この人に絶対に恩を返す。絶対に勝たせる」と決めた。

入社後、その会社はものすごい勢いで拡大した。
代表のビジョンと熱量に後押しをされ、人もチャンスもどんどん集まってきた。時代の流れも後押しした。

私は未経験ながらに採用担当を任された。
採用だけでなく、労務関係や職員フォローなど人事に関わることはなんでもした。朝から、夜は終電まで働いた。
休み返上で働くこともあった。無数の理不尽も経験した。

そして10年が経ち、その会社はマザーズ上場、一部上場を果たし、年商200億になった。
創業メンバーだった私は、金銭的にも少なからずその恩恵を受けることができた。
あの日、3ヶ月分の給与が未払いになってから、約8年が経っていた。
意外な形で、それ以上に返ってきたのだ。

何より私は、採用担当として、得難い経験を得ることができた。
40代になり、その時の経験や、そこで出会った人たちに、今助けられている。

どれだけお金を払ってももう得られない、貴重な経験だ。

寝袋に入ってベランダでテレアポをし続けた27歳の私にいいたい。
40代。そのときよりずっとずっと楽しいし、幸せだよと。


頭で考えることも大切だけど、それ以上に大切なことは

転職は人生の大きな節目。
その時々で行き先を選び抜いたとしても、いつだって、未来は想像がつかないことばかり起きる。

頭で考えた通りになるかどうかはわからない。
でも、その時々、心で感じ選択したことが、今の私を作っている。
そのほとんどは、頭では想像できなかったことばかりだ。
そう考えると、どんなことが起きても、無駄なことは一つもない。
ただ、遠回りすることはある。

それは、タイパもコスパも悪いことだろうか?
タイパもコスパも悪いと、誰が決めるんだろうか?

私は自分が体験したことと、心の目で見たことが全てだと思って生きている。
どれだけ情報が発達しようと、SNSで「誰かの経験」を見ることができようと、誰かが「正解のようなこと」を言おうと、それは「自分の経験」でもなければ「自分にとっての正解」でもない。

そんなの、人によって違う。
誰かからみたら、私の生き方は不正解かもしれない。
でも、別にそれでいいんじゃないかな。

そして、自分の知っている世界なんて、本当に小さいものだということ、自分の知らない世界など無数にあるということも、忘れずにいたいと思っている。

どういった軸で転職先を選んだらいいか。
エージェントとしてこの問いをされた時、私はいつも聞いている。

あなたはどんな人生を生きたいですか。
あなたが大切にしたいことはなんですか。
本当に得たいものはなんですか。

パッと出てこなくてもいい。
自分の心に問いかけてみることがスタートだ。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集