年の瀬は雪が積もる様

 今年は珍しく11月から雪が降った年。年の瀬のこの日も朝から雪が降り続いていて、既に10センチほどは積もっただろうか。年末年始休暇中の私は降り続く雪を窓から時々眺めながら、久方ぶりにnoteを開く。更新は家族についての記事で止まっており、もうあれからえらく時間が過ぎているなと思った。

 基本的に蛇行運転を繰り返すことで時間を浪費してきた私だったが、今年だけは全力疾走をさせられたような年だった。いきなり短距離走の選手に腕を掴まれ、延々と引っ張られながら走らされる―待って止まって、を聞き入れてもらえない、そんな感じだった。穏やかに、蛇行運転を繰り返していたいと思い続けるも、神様はそれを許してくれないんだなと痛感した。自分一人のわがままなんて、偉い人は聞いちゃいないのだ。

 しかし、無理矢理乗せられた絶叫マシーンから逃げられない今年の中でも、要所要所で立ち止まれる場所もあったような無かったような、気がする。

 今月の初め、祖母がホスピス病棟に入った。キリスト教系の病院で、病院であって病院でないような、そんな外観の建物の中で祖母は死ぬまでの数か月を過ごすのだそうだ。病棟の中にあるクリーム色の廊下や桜色のカーテンが、より一層空間を優しい物のように演出していた。建物の一端には礼拝室もあった。

 祖母はいわゆる、優しいおばあちゃん、ではなくて意地悪婆と表現するほうが正しい人だ(細かいエピソードは割愛する)。何よりも自分を飾ることが好きで、でも決して富裕層ではなく、まあとにかく自分が何かをしてもらったという記憶はあまりない。ただ近くに住んでいたという理由と、まああとは、意地悪婆がどんなみじめな姿になったか見に行ってやろうという、これもまた意地悪な動機で病棟に出かけたのだ(遺伝かもしれない)。

 病室に入ってベッドに横たわる老婆の顔を一瞥する。化粧品で塗装された昔の顔はそこには無く、骨格に皮が被っているだけの貧相な顔になっていた。これがホスピスに入る人間の見てくれかあ、と私はいたって冷静だった。薄情に思われるかもしれないが、私にとっての祖母は、祖母というよりは近くに住む老婆、という認識に限りなく近いのだから仕方が無いというほかない。祖母と目が合う。かすれ声で「今日は雪が降らなくて」と聞こえたので、そうだねえと返した。面会時間は15分だった。コロナウイルスの影響で従来より短縮されているのだそうだ。時間はあっという間に過ぎた。祖母はほとんどの時間を眠って過ごす。

 静かな空間と意外にも穏やかな時間だった。悲しみとか虚しさとかは一切湧かず、機械的に手順に従ってこなしただけのイベントではあったが、人生の経験として悪くはないと思った。また、怒涛に始まるであろう新年を迎えられるかもしれないと感じた。

 雪はまだ降っている。真っ白の新年に向かって、時計の針が回っている。

 

 

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