水底に都はあるか、あるわけ無いだろ

 22年間強。長いようで短くて、意味があるようで無いような自身の人生。近頃の私は、深海の奥底で生きている。死ぬほどの勇気がないことと、死ぬことすら面倒だということ、まだ匙を投げられないから、結局のところ自分は愚図だから、ひとりで呼吸を詰めている。

 来年、姪か甥が産まれることになった。新しい命の誕生、大変喜ばしいことである。きっと、ものすごく可愛いはずだ。きっと、望まれて、祝福されて、それで産まれるのだろう。そうでなければならないのだ、一般論で言うならば。

 ところで、私は長女である。ふたり姉妹、二十歳の妹がいる。まだ大学生だ。

 ここ数ヶ月の間に、何度か知らない家族が訪ねてきた。産まれてくる子の、父親になる大学生と、その家族だ。ガクセイケッコンをする?コンイントドケを書く?シングルで育てる?チュウゼツをする?ニンチはしてくれるの?…知っているはずなのに知らないような、異国の言葉みたいなものが何度も耳と脳を通り抜けては反響した。

 大学生が性行為をするなんて、珍しくもなんともない。ワンナイトだのマッチングアプリで知り合った人と寝ただの、浮気だのなんだの、よくある話だ。今では「エモい」の象徴なんかにされて、様々なコンテンツで語られている。でもその先には、当然ではあるが妊娠や出産があって、この出来事に遭ってしまった時、どう身を振るのか、選択をしなきゃならない。大きな選択だ。私は当事者では無かったが、明日隕石でも衝突して、全部無かったことになれば良いのにと思うくらい、ああ沈んでいく。

 おろしてくれ、と簡単に言って安い頭を下げる相手方を見てどうしようもなく吐き気がした。お金を出すわけでもなく、こちらが用意したお茶菓子を食べて、おろしてくださいと頭を垂れた。そのうちの一人は、教員をしているらしい。その歳になってもまだ自分の身が可愛いか、馬鹿かと叫びたくなった。

 週一の飲酒、飲む酒の量が明らかに増えたことを親から咎められた。それじゃあ、このどうにかなってしまいそうな自分をどこに逃がしてあげれば良いのか分からなかった。酒しか自分を受け入れてくれないのに、それすらも許されなくなっていく。息ができなくなっていく。

 ふとした瞬間にトチ狂って発狂しそうだった。それを抑えて、仕事に行き、職場でしつこくご飯に誘ってくる未婚男性を笑って受け流している。家に帰ると、情緒不安定な親を相手におどけてみせ、呑気な当事者には産まれてくるのが楽しみだねと言う。必死に、ただ必死に、自分のことを後回しにしている。絵を描くことや文章を書くこと、本を読むこと、ピアノを弾くこと、趣味に手をつけなくなってからもう随分と経つような気がする。

 今までも実家のことを嫌だと思ったこと、煩わしいと思ったことはあるが、それ以上に今はどこか遠くへ逃げ出したい。誰かのもとへ転がり込んでしまいたい。でも、どこかも誰かも自分には無くて、それで再び振り出しに戻されて押さえつけられる。呼吸ができない。

 文章に書き起こしてみたら楽になるかもしれないと思ったから、こうしてnoteを立ち上げて文字を連ねている。水底にも都はありましょう、平家物語の一説を思い出す。嘘つけ、都なんざ無い。水底は地獄だ。沈んだ私を離しちゃくれない。

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