僕らは常に、”ほんのり死んでいる”
僕のひぃおばあちゃんが死んじゃった。
僕の家系はみんな比較的若くて、俺は今年28歳で、おばあちゃんは70歳。お母さんは50歳。
ひぃおばあちゃんは、96歳だった。
ちなみに、死んじゃったひぃおばあちゃんは、僕のおじいちゃんのお母さん。
おばあちゃんのお母さんは、95歳でまだピンピン。
でも、死んじゃったひぃおばあちゃんは、10年くらい、延命治療をして生きてきた。
簡単に言うと、人工呼吸器とか栄養を送る管をつけて、言い方は悪いけど、”ただ生きてる”状態。
僕のいとこは、そんなひぃおばあちゃんに一番面会に行っていた家族だった。
いとこに「死んじゃったって」って電話で報告すると、「やっぱ、かなしいんだね」って。
「俺らって、”死”ってものを知らないじゃん。身内がみんなしぶといから笑」
無理をして冗談を言ってるってのは僕が一番知ってるけど、本当にそうなんだよなって思う。
「そうだよね。人が死ぬってこと、いまいちよくわかんないし実感ないよね」と僕が言う。
僕が身内の死を経験しているのは、お父さんのほうのひぃおばあちゃん。
でももう覚えていないくらい小さい時で、正直そのときはよくわからなかった。
ペットも飼っていないし、身近な人の死というのが正直良くわからない。
そんな二人が、初めて”死”というものについて語り合った。
「でも、死んだら忘れられるんだろうな。だって、ひぃおばあちゃんのこと、いまは悲しいけど1ヶ月も経っちゃえば忘れてると思うもん。
だから俺が死んでもきっとそんなんなんだろうな。
だってお前がもし死んでも、1週間で忘れるよ笑」といとこが言って。
「1週間は早くない?笑」
「まぁな笑」
「でも、リアルでそんくらいなんだろうな。」
そう。だって、志村けんや三浦春馬の死は、壮絶なものであったにもかかわらず、僕らは結局、僕ら自身の生活に戻っていく。
その瞬間悲しんだとしても、皮肉にも僕らには、戻るべき生活がある。
「まぁ芸能人とはいえ、あれだけインパクトがあった人だってそうなんだからさ。」
「そうだよな。そう考えるとほんと怖いよな。」
そこで僕は気付く。
今話しているのは、”忘れてしまうことの恐ろしさ”。
誰かが死んだことですら僕らは忘れていく。どんなに身近な人であっても。
それって、ふだんの生活でも常に起こっていることではないだろうかと僕は思う。そして、こう言う。
「でもさ、ある意味さ。たとえば俺、弟としばらく連絡取ってないけど、ふだん生活してて弟のこと思い出す時間って、実際少ないんだよね。1週間あったら、実際忘れてる時間がほとんど。結局ふだん会う人とか連絡取る人とかのことは覚えてるけど、連絡取らなくなったらほぼ忘れちゃう。」
1週間その人のことを考え続けるなんてことはまずない。
たとえ同じ屋根の下で暮らしていたとしても。
「身内ですらそうなんだから、たとえば高校の同級生とかってなるともうさ。」
「そう考えると、会ってない人って、自分からしたらほぼ死んでるようなもんなのかもな。怖いな。」
「今回、俺らが直面したのが、”本当の死”なのかもしれないよね。」
だから、ある意味僕らの周りは、常に”ほんのり死んでいる”ってことなのかもしれない。
そう考えると恐ろしい。
常に”ほんのり死んでいて”、直接会うか、連絡を取るかしたときに初めて、「あ、本当に生きてる」って確かめられる。
僕らにできることといえば、厳密に言うなら、「いまも生きてるんだろうな」と思うことしかない。それしかできないんだ。
だって悲しいくらい人間は、忘れていく生き物だから。
残酷な話に聞こえるかもしれない。
でもたとえば、中学や高校の同級生でほぼ連絡もとっていない人が、いまなにをやっていてどこに住んでいてどんな仕事をしているか、把握しているだろうか。
そもそも、その人、というかその人たちのことを考えた時間は、この1ヶ月いや、1年で、何回あっただろうか。
そのような人たちに自分ができることと言えば、「生きてるんだろうな」と考えることしかできないのではないか。
もちろん、誰かから連絡先を聞いて、実際にコンタクトを取ってみることはできる。
けれども逆に言えば、そうまでしないと、極端な話その人がいま”生きているか”を確認する方法はないと言える。
だからこそ、自分からコンタクトを取らない、またはふだんから会う関係でない限り、自分にとってその人は”ほんのり死んでいる”状態だと言えるのではないか。
すごい変な表現になってしまうけれど、”もうどうやっても確認できない状態”が、”本当の死”なんじゃないかなって思う。
* * *
と、ここまでバーっと書いてきたけれど、僕自身に感情がないわけではないのです。
僕はひぃおばあちゃんには1回しか会ったことないし、正直なところ実感がないというのが本音です。
いとこに関しては、僕の1歳上というのもあって僕の前ではほぼ弱みを見せないタイプなので、このような対話になったんだと思います。
この後、いとこはおばあちゃんに電話をしたみたいなので、そのときにめいっぱい思いの丈をぶつけたことだと思います。
今僕は、こうして文章にして思いの丈をぶつけているのわけですが…
ということで、この文章はある意味僕の思いを整理というか、感情の赴くままに書いたものでして、もしかしたら誰かを傷つけてしまったり悲しませてしまったりしたかもしれません。ごめんなさい。
そもそも最後まで読んでもらえてもいないかもしれないですし、ここまで読んでいただいた方がいるなら、それは本当に感謝です。ありがとうございます。
よかったら、なんでもいいのでみなさんの意見が聞きたいです。
お時間あったら、コメントでもなんでもお待ちしています。
ありがとうございました。