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これまでにおかした罪に対する罰が降りかかってきているのか、今まで他人にかけた迷惑のどれと相殺しようというのか、神様たちのお考えを伺いたい。

中島みゆきの古い歌に「孤独が怖けりゃ誰にも会わないことね。いい人に見えるのは他人だからよね」という歌詞があった。

「自己中心的なわからずやから受けるストレスが怖けりゃ、そんな変な人と関わらないことね」と歌うとかなりの字余りなのではあるが、字余りで受けるストレスのほうが、彼らから受けるストレスに比べると随分マシである。

「尊敬(そんけい)」とは「尊(たっと)び」「敬(うやま)う」ことである。
この熟語に濁音はひとつも入っておらず、尊の字も敬の字も威厳があってカッコいい。

その「尊敬」の対義語は「侮辱」。

「侮辱(ぶじょく)」という言葉をあらたまって分析(大袈裟…)したことはなかったが、「侮(あなど)り」「辱(はずかし)める」ということである。

濁音がふたつも入っているから音的にとても毒々しく聞こえるし(なにも濁音をディスっているわけではないんだけどそう聞こえたらごめん。まあ葡萄とかふたつ入っていても美味しくて好きだし)、分解して一つ一つ読んだらそっちも恐ろしい。

尊敬される必要はまあないけども、誰かに侮辱される必要はさらさらない。
本来そういうものだろう。

これまでにおかした罪に対する罰が降りかかってきているのかなあ。
そんなふうにも思ったりして、今まで他人にかけた迷惑のどれと相殺しようというのか、神様たちのお考えを伺いたくなる。

「おい、れんよ。そこまで言うならおしえてやろう。5歳のときの近所のおばさんたちに対するスカートめくりがこないだのこれこれじゃ。7歳から始まった書道教室でのおぬしの暴れっぷりがこれ。そして10歳のときのクラスメートに対する椅子引き尻もち遊びが今のあれじゃ。」なんつって分かるように言ってもらえば、忘れていることでも「ああ、そういえばあのときは相手に悪いことをしたなあ。」と気がつくというもの。

「そうか、何度も何度もズボンのチャックが開けっ放しになってたり、ケツが破れてたりするのはそういうことか。はあ(ため息) じゃあ仕方ない。近所のおばさん方、スーパーでスカートめくりしてすいません。今償ってます。ごめんなさい。」とか、

「え、そうですか。確かに書道教室行ってもちっとも真面目にお稽古せずに、怒られても怒られても言うことを聞かずにいたあれが、今日のこれなんですね。ああ、だったら仕方ないです。終わった後に全身の力が抜け去った状態になるほど疲れきるなんて、あのときの先生にはこんな極度な迷惑をかけていたんですね。ああ、ほんと申し訳ない」などと深く理解し、反省もできる。

こうして罰を相殺してしまったときが寿命の尽きるときなのかどうかわからない。何か人に喜んでもらうことをすれば寿命が延びたりするのかもしれない。

喜び具合によってポイントが違って、なんてことになると、神様も一人ひとりのポイントチェックにけっこう忙しいだろう。

神様になってまでそんなことしてたら天国にいる意味もあるんあだかどうだか…。

その辺のところも神様に伺いたくなるのである。


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