振り向いた俺の目に映ったのは、ガラスケースに入っている”OUT OF ORDER”のじいさんの姿だった。 南無…
世界中には人間が沢山いるが、大きく二つに分けることができる。
「パンツをはいている者」と「パンツをはいていない者」だ。
卓球日本代表の水谷選手も「パンツをはいていない」らしい(らしいというのは実際に俺は確認していないため)。
世界中に人間が沢山居すぎて正確な数を調査するのは困難だが、とにもかくにもそう分けることができることは断言できる。
さて、見合いの席に行ったことはないし、もう行く機会もなかろうが、「ご趣味は?」と聞かれれば「ボディコンバット」と答えるだろう。場合によっては三度の飯よりこっちを選ぶこともあろうかというくらい大好きである。
ある日のあるクラスが終わってロッカールームに戻ったときのこと。
シャワーを浴びるべく服を脱ぎ、タオルとパンツをもってシャワールームへ。
途中、大きく”OUT OF ORDER(故障中)”と書かれた貼り紙がしてあるガラス張りのサウナの中に、(おそらく中国人の)おじいさんが一人いて座っていた。
貼り紙、見えなかったんだろうか。俺は思う。
目が悪いのかな。俺は思う。
英語が苦手で読めないのかな。俺は思う。
もしかして貼り紙自体が扉全体のデザインに見えてるのかな。俺は思う。
いくらそこにいても温度なんか全く上がらない。
じいさん、タオル一枚でむしろ寒くなっていきはしないか。
そしてそのタオル、小さすぎやしないか。
そのときどこからともなく声が聞こえた(…気がした)。
「誰もいないスペースで自分を見つめ直したいんじゃ」
俺は心の声で返した。
「でもみんな見てるじゃないか。」
「いいんじゃ。見てもらいたいんじゃ。いやむしろワシを見せてやりたいんじゃ。いや、見せつけたいんじゃ。」
嗚呼、そうか。そうだったのか…(まさかそれでそのタオル?)。
「サウナ、機能してないよ」
そんな野暮な言葉はいらなかったのだ。
(言ってあげられない俺の心の弱さの問題ではない)
納得して通り過ぎかけた俺はあ、っと思って立ち止まった。
そして振り返る。
振り向いた俺の目に映ったのは、ガラスケースに入っている”OUT OF ORDER”のじいさんの姿だった。
南無…
ふうっ。
話が長くなった(いつものことだ)。
左に折れてシャワースペースへ。
いくつもあるシャワーボックスは、使う場所を決めてある。
ふふふ、いつも思うが、日本人にはこんなシャワースペースは作れまいな…。日本人が作れるのは所詮たったの一種類。どの場所も寸分たがわず均一に水/湯が出てくるシャワーくらいのもんだろう。
オーストラリアは違う。
同じ角度にひねっても、おりゃーーーっと死に物狂いで湯が出るもののあれば、ふざけているのかと思えるほどチョロチョロのシャワーもあるのだ。俺の汗の方が流れるのが速いくらいだ。
どうやったらそんな代物ができあがるのか、またそうできちゃったものを許容できるのか分からないが、兎に角それが通常なのだ。初めて使う者へのドッキリまで含まれたシャワーなのである。
で、水圧の強いのが二つある。俺はいつもそのうちのどちらかを使う。
そのどちらもふさがっているときはその次のチョイスまで準備してある。
日本なら(空いてさえいれば)先に浴びている人の隣のボックスには入らずに、一つ(かどうかは本人次第としてもとにかく)間をとって入る(だろう)。しかしここでは違う。
最初のころ、俺は不思議でならなかった。他が空いているのに、どうして隣に来るんだろうと。向こう行けよ、と。
しかしじきに納得する。そんなことをしたらチョロチョロに入らねばならないのだ。シャンプーが頭からちっとも流れてゆかない、永遠に流しきらないかもしれないと思わせるシャワーを、少なくとも俺は浴びたくない。
さて、ベストのシャワーボックスに入って、いつものようにパンツとタオルをひっかけよう…としたところ、信じられないことが起こる。引っ掛かり損なったパンツが床に落下したのである。見る見る間に床に広がる水分がパンツへと移動する。
急いで(当社比)拾い上げたが時すでに遅し。ありとあらゆる菌がウヨウヨしているイメージのその床の水が(俺はゴム草履をはいている)あっという間に俺のパンツを侵してしまった。
勢いのあるシャワーで洗ってはみたものの、濡れたパンツを履くのは「好み」か「好みでない」かで言えば、100%「好みではない」
付け加えれば、脱いだパンツも汗びっしょりで濡れたパンツに属すので結果は上と同じだ。
というわけで、シャワーを浴び終わった俺はパンツをはかずにロッカーに戻り、そのままスエットパンツをはくことにした。
いつもではないが、年に数回、やむを得ずこういう状況に陥ることがある。強調しておくが「やむを得ず」である。
というわけで、世界中の人間は大きく二つ、「パンツをはいている者」と「パンツをはいていない者」に分けられる、という話(なのかどうなのか)。
ジムを出た後は夕食を食べにチャツウッドの街をぶらり(「パンツをはいていない」のと掛けているのかと勘繰った方、考えすぎである)としたのであった。