日本でどのくらい「〇」の需要があるのかわからない。 特定のところ以外では、一般的にそんなにポピュラーではないという印象を持っている。
シドニーから北に電車でぐんぐん上っていったところに、ゴッスフォードという街がある。そしてそこにはなんと日本庭園があり、ギャラリーが併設されている。
そのギャラリーでイベントがあった。
観客もいるし撮影隊も入っている。
その一回目のデモンストレーションの結果は写真の通り。
尺八の演奏をバックに、紙(1m x 2m)に大筆を走らせる。
偶然だが、オージーの尺八奏者の名前もRenだった。
尺八奏者のレンと書家のれん。
初対面でリハーサルがあったわけでもないけども
まあまあ上手くいったのではないだろうか。
観客の皆様も楽しんでくださったように思う。
さて、日本でどのくらい「〇」の需要があるのかわからない。
特定のところ以外では、一般的にそんなにポピュラーではないという印象を持っている。いや、もう日本を離れて久しく経つのでそんなこともないのかもしれないが、この「〇」、「円相(えんそう)」という。
『禅における書画のひとつで、図形の丸(円形)を一筆で描いたもの。悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものとされるが、その解釈は見る人に任される。 』
ということらしい。禅からだとご存じの方はどのくらいいるだろうか。
たまたまかもしれないが、こっちではこうして何度か依頼が来ている。日本人の書家ならできるだろうと全く疑う様子なくオファーがくるのだ。
いや、書家って言ったって常に筆で正円なんか練習してはいないよ。ましてやそんなでっかい正円なんてさ。とその依頼者には言いたくもなるが、それを言っちゃあお終いよ、なので言ったりはしない。
仏法修行をしているであろう禅宗のお坊さんだってどのくらいの割合で満足いく「〇」が書けるか分からない。
ストレスで気持ちが乱れたり、寝不足なんかで集中できなかったりしていると、正円を書くのは難しかろう。最低限のコンディションとして、心穏やかに静まった状態が必要だと思う。そしてもちろん健康な身体であることも結果に大きな影響があると考える。
なのに、である。
俺なんかが撮影の本番一発で、2メートルの紙に大筆使って正円を書くことができたら、それはもう紛れもなく奇跡である。
とその依頼者に言いたいが、それを言っても仕方がないので言ったりはしない。