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専門家とは、技術・芸術・その他特定の職域に精通し、専門的な知識と能力のある人、と言う感じで定義されているようである。

専門家とは、技術・芸術・その他特定の職域に精通し、専門的な知識と能力のある人、と言う感じで定義されているようである。まあその通りだろう。

似非(えせ)も沢山存在してはいるだろうし、各分野での専門家としてのその人のレベルもあろうが、何らかの証明や実績があれば専門家は専門家であり、そこいらの素人連中とは一線を画していることは間違いない。それまで磨いてきた知識や能力、またその技術を誇りとして仕事をしているはずである。

前置きがグタグタ長くなった。
したかったのはこんな話だ。

ある一般患者に医師が診断の所見を述べたが、患者はインターネットでの自分の知識を頭から信じていて、医師の言うことを真面目にとらえる気もない。医師に向かってこう言い放ったのだ。

「先生のお見立ては、そうでしたか。
専門家の見立てと違うのが、面白いなと思いました。」

さてド素人の患者にこう言われたときの医師は、自分自身の気持ちにどう折り合いをつけたらいいだろうか。

患者はべらべらと見当はずれの自分の知識をひけらかすが、間違っていると思っていないので始末に困る。なんなら教えてやっている、導いてやっていると言わんばかりのときさえある。

「そこまで言うならそう思ったまま死なれたらどうですか。」とは言いたくても言えないだろう。ネットですぐ問題にされるに決まっている。

こういうふうに元々「他人はみんなバカ」と思っている人間には時々出会う。自分は頭がいいと思っているのか、ちょっとかじったことを信じてしまって、たとえ専門家がこうですよ、とアドバイスしても自分の視点を崩すことができない。

それはそうだろう。バカだと思っている人間に何を言われても自分が正しいと思うに決まっている。そういう自分が愚かだということには生きているうちには気が付かないかもしれない。とっても哀れだけど。

「先生のお見立ては、そうでしたか。
専門家の見立てと違うのが、面白いなと思いました。」

何度読んでも専門家をバカにした言葉に思えて腹立たしい。
少なくとも専門家を尊敬し称賛している言葉には、どこからどうみてもまったく思えない。

察しのいい方はこれが置き換えた話であることはお分かりだと思う。
察しのいい人というのはいるものである。

ああ、だめだ。
何度も読んだから頭に血が上って血圧が上がってしまった。
この人を馬鹿にした無礼極まりない言葉のせいである。

もしかすると医者はさっき餃子につけた醤油の塩分のせいだというかもしれないが、専門家の見立てと違うのが面白いと思う。


※写真は11月の初夏のシドニーの太陽と青空とジャカランダ


追記

以前なら直接本人に食って掛かるような場面も、グッと呑み込んで我慢できるようになった。抱えている事情というのは大きい(結局こういうところで吐き出しているのがいいことなのかどうかわからないけども)。そんなこんなで神様はいいようにコントロールしてくれているのだなと思うのだ。




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