見出し画像

「袴田事件」を終わらせない|冤罪と「再審」法改正を考える

 「袴田事件」の袴田巌さんの再審無罪が今日確定した。

 戦後、再審無罪となった死刑冤罪事件は、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件に続き5件目となる。

 先月9月の無罪判決に対し検察は控訴を視野に入れた声明を出していたこともあり、確定が先延ばしにならず率直に本当に良かった。

 袴田巌さん、88歳。今も拘禁反応によりほぼ妄想の世界にいるという。姉のひで子さん、91歳。弟の無実を信じ、巌さんの日頃の世話からの公判の陳述やマスコミ対応をこなし、驚異の気丈さを見せた。心ある弁護団の先生方々にも敬意を表したい。

 不当逮捕から58年、死刑確定から44年、奪われた袴田さんの人生は誰にも取り戻すことはできない。

  「袴田事件」は終わった。
 しかし、「袴田事件」をただ良かったと終わらせてはならない。

 かけがえのない袴田さんの人生を無駄にしないため、注目を集めたこの事件を通し、冤罪を生み出す司法制度のあり方について考え、改善していく契機としなければならない。

 取り急ぎ、考えるための入口としての材料をここにいくつか提示しておきたい。


◼️現在進行形の「冤罪事件」


 「冤罪事件」は、現在進行形で多数存在している。
 比較的有名なところでは、1998年7月、67人が死傷した和歌山毒物カレー事件の林真須美死刑囚は冤罪の疑いがささやかれている。現在、ドキュメンタリー映画、二村真弘監督『マミー』も公開中だ。この事件も現在再審請求中である。



 日弁連が支援している再審事件(無罪が確定していない事件)は、以下の通り(和歌山毒物カレー事件は同支援事件には含まれず)。

 名張事件、(袴田事件)、マルヨ無線事件、大崎事件、日野町事件、福井女子中学生殺人事件、鶴見事件、恵庭殺人事件、姫路郵便局強盗事件、豊川事件、小石川事件、難波ビデオ店放火殺人事件


◼️広がる再審法改正の動き
 

 再審制度の見直し、法改正を求める動きは、日弁連、静岡地方裁判所の元裁判長、村山浩昭さんらを中心に全国に広がっている。村山さんは、2014年3月、袴田さんの再審を認めるとともに「これ以上の拘束は耐え難いほど正義に反する」として、釈放も認めた。死刑囚の釈放を認めたのは初めてで異例の決定だった。

 刑事訴訟法の再審規定はわずか19条。70年以上改正されておらず、先に述べたように門戸を開く要件が極めて厳格であり、請求が認められても検察が不服申し立てできること、証拠開示など具体的な審理手続きが定められておらず審理が長期化するということなどが問題視されている。「袴田事件」の場合、1981年の第一次再審請求からから始まって、2023年3月再審開始決定まで40年以上の歳月を要した。これらは、早急に改正されるべきだろう。

 また、無罪を確信しながら死刑判決文を書いた元裁判官の苦悩もある。「冤罪」は、それにかかわる多くの人を不幸に貶める。

 
◾️身近にある「冤罪事件」


 冤罪事件は、軽微なものなら世の中には山ほど存在する。他人事ではないことを知らなければならないだろう。

 代表的なものが「痴漢事件」だ。誰もが冤罪の当事者になる可能性を知っておきたい。

 周防正行監督、映画『それでもボクはやってない』は、コミカルなタッチで冤罪の実態を描いた秀作だ。

 周防監督は、冤罪事件に関心が高く、1979年鹿児島大崎町での「殺人事件」大崎事件では、訴訟費用のクラウドファンディングを呼び掛けたり、「袴田事件」の問題性についても積極的に発言したりしている。

 起訴して、それで無罪などとなれば担当検事はお面丸つぶれ、その後のキャリア形成に影響を与えかねない。起訴した以上、99.9%有罪となるのが日本の刑事司法の現状だ。そりゃ、ゴーンさんも逃げるわ。

 痴漢事件の弁護など(「など」とは言うべきではないが、ここではあえてこう言おう)、金にもならず時間ばかりかかるのでさっさと認めて罰金払って出てきた方がいいと大抵の弁護士はアドバイスするだろう。否認して闘ったものなら勾留中され家にも帰れず、会社にも行けず、それだけで生活が破綻する。

◼️人が人を裁くことの危うさ

  
 人が人を裁くことの危うさ、テレビドラマで見るように検事はいつも「正義の味方」「ヒーロー」とは限らないということも心に留めたい。

 検察は犯罪の嫌疑があれば起訴することができる権限を与えられた唯一の存在だ。これは強大な権限である。

 一方、被疑者・被告人には一定の人権が保障され、適切な捜査手続きと証拠能力のある証拠に基づき裁きがなされなければならない。これは憲法上保障された権利である。

 人が人を裁くことに限界があることから、法は、検察の権限の行使を認めつ恣意的な判断を抑制し、被疑者・被告人の人権保障を担保している。

 単に怪しいレベルでは犯人性を認めない「疑わしきは被告人の利益に」という原則。苛烈な取り調べによる自白の強要を禁ずる(近年は取り調べの可視化が進んだ)。弁護士による適切なアドバイスの機会を担保する接見交通権などが代表的なところだ。

 刑事裁判は、真理の解明と手続き保障の拮抗のなかで行われ、このバランスが崩れたときに冤罪が生ずる。

 原田眞人監督『検察側の罪人』は、単なるアイドル映画かと思いきや、検察の「正義」とは何なのか、真理の解明vs手続的保障という刑事裁判手続きの重要なテーマに踏み込んだ内容でなかなか骨太な映画だ(アイドル映画を期待した人には大不評)。司法制度改革という一般には敷居の高いと思われる問題を考える第一歩になるかもしれない。

 

 袴田巌さん、ひで子さん、どうかこの先長生きされて安らかな日々を送られますように。

 この不条理に翻弄された苦悩の日々の想いを未来の良き世に繋げることができますように。

 検察は本日の談話において、控訴断念は袴田さんが「長期間法的地位が不安定になったこと」に配慮したことを理由とし、漠然と袴田さんの現状に対する「謝罪」はしたものの、証拠捏造と冤罪への直接的な謝罪と反省の弁を述べることはなかった。

 

いいなと思ったら応援しよう!