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「子どもを守る」ということー序ー

長い前書き

 表題について書くことは、noteをはじめる最も重要な目的だった。
 「子どもを守る」ことが戦争を含むあらゆる暴力のない社会をつくるための大切な実践であるとの思想を持つようになって10年程、このテーマを掲げ、自分なりのささやかな実践を試みてきた。群れて行動することが苦手なこともあり、一人でそっと続けてきた活動である。その中で見たこと、感じたことを言語化したいという欲求は常にあったが、当初他で忙しく過ごしていたこともあり実践できずにいた。
 この試みの中で、現代の子どもたちの多くがハラスメントや制度や環境の歪さから想像以上に苦しめられている様子を目にしてきた。児童福祉や学校現場に置かれている大人、親御さんたちのの苦悩も少なからず見た。残念ながら、一般にハラスメントと云わざるを得ない言動を平気で行い、不用意に子どもを傷つけている大人たちもたくさん見た。
 これらは現場にいたからこそ知り得たことであり、形式的な行政の現場視察では見えてこない風景である。現実は想定以上に混乱に充ちていた。この実情を何らかの形で改善しない限り、未来の国を担う健全な大人は育たないし、子どもたちの幸福はないという想いは日々強まった。
 子育て経験もなく、子どもに関わる専門的な知識もないものがこれを偉そうに語っていいものか、関連する職に携わる人々に対する批判めいたことも加わるから、真摯にそれに携わる人々を傷付けることにならないかなどの気持ちから今一歩踏み出せないでいた。
 しかし、わたしがこの一人一揆のようなものから見聞きしたことは、婚姻制度の外にあり、子どもを持たず、組織に属さず、時間や身のこなしに融通が利くわたしだからこそ見ることができた社会風景であり、その言語化が、子どもを取り巻く環境を考えるきっかけになるかもしれない。
 網野善彦氏の云うところの既存の社会制度や属性、規範から距離を置いた者の無縁の力を発揮するささやかな試みでもある。また、何より自分自身のために言語化しておきたい。
 はじめから設計図をつくってまとめていくのではなく、自動記述的に書きながら適宜修正、変更、組み換えなどをして構成する方法を取るため、各記事が散漫になることが予想されるため、もしお目に留めていただける方がいらっしゃった場合、また何か推敲しているんだな程度に生温かい目で通り過ぎていただければ幸いである。執筆のモチベーションアップのためにこの場を借りる。
 これまでのような投稿に時折交えながら、気長に書く。
 書いたものは「マガジン」に放り込んでおく。
 気分が向いたら書く。向かなかったらお蔵入り。
 なお、職務上の知りえた守秘義務にかかる事柄については、プライバシー権に配慮し、公益上必要な範囲での言論とすることに留意する。


 「子どもを守る」ことがより良い社会、戦争を含むあらゆる暴力のない社会をつくるため大切な実践であるとの思想を持つようになったのは、東京大学名誉教授・安冨歩氏の影響による。

 氏は、2019年、現参議院議員・山本太郎氏が立ち上げたれいわ新選組の立候補者として同年参院選挙に「子どもを守る」という公約を掲げて立候補した。結果は落選だったが、これにより多くの人々が氏の存在や思想について知ることとなり、わたしもその一人だった。

 以下は、2020年1月元日のラジオ放送による安冨歩氏と坂本龍一氏との対談である。この短い対談は、安冨氏の経歴や人となりを簡潔に知ることができ、「子どもを守る」思想についても触れられているので、まずはここに置いておく。

 氏は、世の中のあらゆる暴力の源泉は、幼児期の過度なしつけ、教育、虐待などによる「暴力」にあり、あらゆる暴力から子どもを守ることによってのみ、個人および組織的な暴力から人類が解放されると説く。

 アリス・ミラーアルノ・グリューンの思想からの影響、マイケル・ジャクソンが自らの幼少時代の虐待と向き合い、これを克服し、「子どもを守る」ことの勇気ある実践者であったとともに、福音を告げた者の定めであるかのように、「子どもを守る」という理念を掲げた故に子どもを虐待しているという過酷なバッシングに合う運命にあったと述べる。
 

 ※わたしはこの放送をリアルタイムで聴いていたが、最終部分のシューベルト「魔王」という歌曲と人類と原子力との関係性についての安冨氏の秀逸な発言があったが、YouTubeではすべてカットされてしまっているのが残念である。

 氏の思想に非常に感銘を受け、自分なりにこれを実践する方法を模索した結果、学童保育支援員(約3年半間)、学校児童支援員(約2年間)、障がい者児童支援(約2年半間)の職に就くことになった。
 はじめは半年、否、1か月でももてばいいと軽い気持ちではじめた仕事だったが、細々と今でも続いているというのが自分でも驚きである。

 一応付言すれば、残念ながら上記職は、やりがいがあり、資質を求められるものでありながら、一般に高給とは云えない。わたしは、編集者としての多少のキャリアと僅かばかりの専門知識があるので、これを活かした職のほうが経済という点においてはメリットが多く、子ども支援の職は、上記一人一揆のようなものが主たる目的という位置づけになる。

 職に就いたといっても、すべて正規雇用ではなく、週1~3回、短時間のパート勤務、現在は週1、2回、一回3時間とほんのお手伝い程度である。
 2014年くらいから数年間、司法試験予備試験の受験のため、ほぼすべての人生を捧げていたため、気分転換兼という意味合いもあった(もちろん、常勤では「気分転換」などという甘い気持ちでは務まる仕事ではない)。

 ちなみに、元々大学および大学院で美術史を学び、「美術科」教科書編集者として生きてきて、40代になってまったく畑違いの「法曹」国家試験、司法試験予備試験を受験するに至ったのは、東日本大震災の経験の影響が大きい。東北の母方の親せきを家族のように親しくしていた者も含め、両手程亡くした。震災直後現場に赴き、幼き頃長期休みを海山遊んで過ごした街が灰色になり、深い悲しみにくれる地元の人々を見て、思考のパラダイムが大きく転換し、より直接的かつ迅速に弱者にされてしまった人々に寄り添う実力が欲しいという気持ちに突き動かされてしまった。
 しかし、人が何らかの行動に出るとき、いつも理由はそれほど単純ではない。この件は別の機会に言語化してみたい。
 この無謀なチャレンジは達成目前(自分としては)で歯科治療をきっかけに稀な病を発症し、体調が激変するという想定外の事態に見舞われ断念せざる負えない状況となり、無念さと体調管理との葛藤は現在も自分の中の大きな課題である。

 さて、次回はまず学童保育に現場の入ってみたら、驚愕のハラスメントの温床になっていことあたりから書いてみようか。

アリス・ミラーは、スイス出身の心理学者で、特に子供時代の虐待や抑圧がその後の人生に与える影響について研究しました。彼女の思想は、子供時代の暴力や虐待が、その後の人格形成や行動に深い影響を与えるというものです1。

ミラーは、子供時代の暴力や虐待が、人間の暴力性や破壊的な行動の根源であると主張しました。彼女は、子供が抑圧された環境で育つと、その屈辱や悲しみを隠蔽しながら「正しい」人格を構築し、大人になってから他者に対する暴力として発揮されると考えました1。

彼女の著書『THE DRAMA OF THE GIFTED CHILD』(邦題:才能ある子のドラマ)は、特に有名で、多くの人々に影響を与えました。

copilotより

 

アルノ・グリューンの子ども時代の虐待に関する思想

アルノ・グリューンは、子ども時代の虐待が人間の感情や行動に与える影響について深く考察しています。彼の著作「人はなぜ憎しみを抱くのか」では、子どもが親の愛情に全面的に依存して生きるしかない状況で、親が無意識に求める要求に応えようとする過程で、本来の自分を排除してしまうことが述べられています2。

このような経験が、後に憎しみや自己否定の感情を生む原因となると考えられています。グリューンは、親からの虐待や過度な要求が、子どもの自己認識や他者との関係に深刻な影響を与えると指摘しています

Copilotより

 

網野善彦の『無縁・公界・楽』で述べる「無縁の力」とは

網野善彦の著作『無縁・公界・楽』における「無縁の力」とは、社会的なつながりや制度から自由になる力を指します。網野は、中世日本の歴史を通じて、無縁の力が個人や集団の自立性を高め、独自の文化やコミュニティを形成する原動力となっていたと論じています。

具体的には、農民や僧侶、商人といった人々が、既存の権力構造や社会規範から「無縁」になることで、新たな生き方や経済活動を追求できたことを示しています。無縁の力は、こうした自由な発想や行動を可能にするものであり、それが中世日本の多様な社会を支えていたという視点です。

この「無縁の力」は、現代の社会においても、既存の枠組みにとらわれない新しい考え方や行動を促す重要な要素として捉えることができます。

Copilotより


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