親指のないおじさん
私の幼少期に 親指のないおじさんが時にやってくる
母の兄だ。
いつも突然やってきて世間話をしながら数時間で帰ってしまう。
昭和50年代頃の話し。「およげたいやきくん」が大ブレイクした時代
親指のないおじさんが家に遊びに来ると、祖母も母もとても嬉しそうで
沢山のお菓子を用意して、店屋物をよく頼んだ
でも、おじさんは 出された料理を食べることは一度もなかった。
「いつも そうなのよ」と祖母と母は当たり前のように言う
幼い私は 好き嫌いが多いのかな、でも、美味しそうなお寿司や鰻なのにと思いながらもいつもの事なのでさほど気にとめていなかった
でも親指のないおじさんは、私にとって不思議なところがいくつかあった
親指がないのも不思議だった
そしていつも何人かの おじさんと同じ年齢の人が数人周りにいて、私の家には来ないのに、おじさんが帰るときには必ず子供の私でも分かるくらい高そうな車で迎えに来る。運転手は、若い人だった
みんな、おじさんには低姿勢で、私達にもとても優しかった。
長く話すことはなかったけれど、挨拶や態度はとても丁寧にされていた。
親指のないおじさんの家に家族で遊びに行くことがあった
普通の一軒家。でも、他と違うなと感じたのは、おじさんの家で
ワニの子供を飼っていた。
とても大きな水槽に入っていたワニは悠々と泳ぎ 私を飽きさせなかった
不思議なことはまだあり、私が小学生えの時、おじさんやおじさんの仲間
私の祖母、母、兄弟、いとこと海やプールにでかけた
おじさんやおじさんの仲間には背中や腕に絵がかかれていた
でも、プールではTシャツを必ずきて泳いでいた
私は祖母にきいてみた「背中の絵はなあに」
祖母は「昔の職人はね、土方関係の人は刺青をいれるんだよ」
と教えてくれた。
その時 私は納得したふりをした
でも、何か違う気がしていたが、あえて子供なりにそれ以上は聞かなかった
親指のないおじさんも祖母も大好きだったから
遊びにいけばおもちゃを買ってくれておこづかいもくれる
ご飯もいつも 今思えば料亭やステーキ屋でご馳走してくれる
あの頃の私には楽しみで仕方なかった
遊び相手にもなってくれてオセロをしたりもした
私にとっては普通の親戚のおじさん
不思議なのは親指がない
おじさんは金持ちなんだなと感じていた
一緒に旅行に行くとホテルの人が必ず入口に飛んでくる
「いつもありがとうございます」
「お帰りなさいませ」子供心に自分までお金持ちになった気分だった
おじさんの車も 見たこともないその辺に走ってない車だった
真っ黒で 中にミニ冷蔵庫があり座り心地は最高だった
「この車は日本に3台しかない車だよ」と教えてくれたけど
それが本当なのかは分からないけど、いまだにあんなに高級そうな
車には乗ったことがない
私が中学生になっても親指のないおじさんと家族、おじさんの仕事仲間と海に行った。バスを借りて、反抗期に入ってた私は行かないと言ってたが
友達を誘ってもいいと言われたので、友達と海に行きたくて仲の良い子を誘って、海へ行った。
いつもの楽しい雰囲気の中で、友達の様子がおかしい。学校ではとても賑やかで明るい彼女の口数は少なく緊張しているようだった。
まあ、知らない人が多いからかなくらいにも思っていた
でも、帰りにバスから降りて、言われた「いったいどういう人達」と。
私は昔祖母に言われた通りに「土方の仕事の人だよ」と答えたが友人は
本当にと何度も聞き確認してきた。
私が、なんとなく感づいてきた違和感が確かなものになった瞬間だった