流経大での地獄の2年間

まずは僕がビジネス・事業・起業に興味を持つまでの話をしていこうと思います。


僕は高校生まで熊本の実家に住んでおり、中学生の頃はソレッソ熊本というクラブチーム、高校生の頃は学園大学付属高校でサッカーをしていました。


一言でいうと「サッカーしかできないやつ」で、学校の勉強は全然やっていないですし、高校の時の成績は320番中310番だったので、テスト返しの時はクラスメイトから「どうせレンが最下位だから大丈夫」と笑われていたくらいです。


それでもサッカーは大好きでしたし、プロサッカー選手になってお金を稼ぎたいと思っていたので、当時2014年度の大学日本一を決めるインカレという大会で優勝した流通経済大学に行きたいと強く思っていました。


高校2年生の頃には、すでに流通経済大学の練習会にも参加させていただき、「絶対、大学は流経にいく」と進路を決めており、第2希望や第3希望は一切考えていなかったです。


当時、高校2年生の頃の担任だった椎葉先生にも進学面談の時に「僕は第一志望の流経大しか考えていません」とはっきりと伝え「そうか、頑張れ」と反対せずに応援してもらったことを今でも覚えています。


そして高校3年生の6月には合格をもらい、順当に流経大に入部することができたのですが、ここから地獄を味わうことをこの時は気づいていませんでした。


大学に入部してからは、サッカーや大学の授業だけでなく

・朝5時30分から食事当番
・夕方16時30分から食事当番
・夜22時からは毎日掃除
・審判活動、派遣のバイト
・深夜はバイクの見張り

これらを当番制で行っていました。


1回生の門限は21時20分という小学生のようなルールもあり、中には1ヶ月で大学を辞める人、脱走する人もいました。


ちなみに脱走したのは板垣という選手なんですが、もちろん、4回生の先輩たちに顔の形が変わるくらいボコボコに殴られていましたし僕らの代は連帯責任だったので、

・3ヶ月間、オフなし
・1ヶ月間、朝掃除

などの罰を受けたこともあります。


余談ですが、朝掃除は早朝6時からやってたんですが茨城の12月の6時なんてゴミも凍ってるくらい寒かったので、掃除時間中は龍ヶ崎病院の室外機の近くで長谷川というキーパーと一緒にサボってました。笑


いろんな辛いことを経験してきましたが、1つ下の代の満田誠選手(現サンフレッチェ広島)が流経大に入部してからは本当に辛かったです。


地獄という言葉では収まらなず、魔界と言ってもいいほど過酷すぎました。


実は満田選手とは小学生の頃からソレッソ熊本というクラブチームでチームメイトで一緒に全国大会に行ったり、一緒に試合に出ていたりしたので、お互いのことを知っている状態でした。


満田選手は1年生からトップチームで試合に出るけど、僕は3,4軍のベンチにすら入れない状況が続き、周りの同級生や先輩たちは

「お前は落ちこぼれ」
「本当に満田と一緒のチームにいたのかよ」
「満田はお前の100倍すごい」
「お前、満田に挨拶してこい」
「お前と満田は天と地の差だな」

と何回言われたか、分かりません。


最低でも300回以上は確実に言われました。


もちろん、実力がない僕が悪いです。勝負の世界なので、実力がなければ悪口を言われるのは当たり前ですし、逆に実力があれば優遇されるなんてことは、どの業界・業種にもあることですから。


寮生活でのキツさと、周りに誹謗中傷される日々が続き、徐々に腐っていきましたし、練習には仮病を使って休むことも増え、ストレスを解消するためにお菓子やジャンクフードを爆食いするようにもなっていました。


母にLINE電話で「サッカーを辞めたい」と大学の近くにある公園から泣きながら電話したこともあります。


今振り返っても本当に流経大での2年間は苦しいこと、辛いことが多かったです。


正直、「過去に戻るなら1億円あげるよ」と言われても絶対に戻りたくありません。


僕は流経大での苦しい出来事や周りとの圧倒的な差を痛感して、「プロサッカー選手になることは無理だ。だからサッカー以外で勝てる方法を探そう」と考えるようになり、寮の近くにある蔦屋書店に本を読みに行くようになったんです。


そして、年収1億円稼ぐ人の習慣や金持ち父さん・貧乏父さんや中卒から起業してお金持ちになった人たちの本に出会い、「ビジネス・事業だったら自分でも勝てるチャンスはあるかもしれない」と本気で思うようになり、そこから練習前や練習後は必ず本屋に行くようになり、お金稼ぎに目覚めます。


一旦、ここまでの内容で重要なエッセンスがあるのでお伝えしさせていただきます。


1つ目にお伝えしたいことは、「目標の叶え方は1つではない」ということです。


僕は「年収1000万円稼ぐ」という目標をたて、最初はプロサッカー選手としてガムシャラに目標を追いかけました。


ですが、プロサッカー選手として年収1000万円稼ぐことはできないと判断し、次の道を模索したときにビジネス・事業であれば年収1000万円稼げるかもしれないと思うことができました。


そして実際に起業して約4年目で目標だった「年収1000万円稼ぐこと」を叶えることができました。


この文章を読んでくださっている皆さんも何かしら目標を持っていると思います。

「月100万円稼ぎたい」
「女優やモデルと付き合いたい」
「日本1になりたい」
「有名になりたい」

目標の叶え方は1つではなく、複数あるということを覚えておいてください。


1つ目のやり方でダメだったとしても、2つ目、3つ目の方法なら簡単に叶えられる可能性は十分にあります。


2つ目にお伝えしたいことは、「敗北が次の道を教えてくれる」ということです。


もし僕が全力でサッカーに取り組んでおらず、流経大に進学せず、地元の熊本で友達と楽しく過ごしていたら、今の自分は絶対に無いです。


きっとビジネス・事業に興味を持つことすらなかったと思います。


全力で走り、壁にぶつかり「もうダメだ」という絶望を経験したからこそ、ビジネス・事業という次の道へ歩むことができました。


人は失敗を否定的に捉えてしまいますが、失敗や挫折は次の道を示してくれるコンパスだと僕は思っています。


むしろ失敗や挫折を経験しない成功なんて存在しないと確信しています。

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