デジタル・コミュニズム

デジタルの本質を分かってない人たちが増えるにつれ、元々それが何のために行われ出したのか、そして、何が良くなって、何が喪われたのか、全く分からない人が増えていく。

まあ、デジタルの本質は「情報の共産主義化」と言える。こんな妙なことを言ってるのは世界で私一人ではないのだろうか。

というのは、1950年代から1960年代にシチュアシオニストたちが予言していた未来が、本当に到来してしまったことを思うにつれ。そして、それを促進したのが「情報分野」が一番先だったということの痛烈な皮肉。

音声に限って言えば、ISDNが生まれた当初。

光で遠くまで声を届けようとするために、本来なら多くのものが含まれた音声情報から、一部の情報を間引いて、かつ、最小限の鮮明さを保つ。

ノイズ成分が減ったのだから、その分、鮮明に聞こえるようになったように思いこむ。けれども、欠落した側の情報にこそ、音が音であるための違いや風合いの部分が含まれたことに、思いを致せる人は少なかった。

元々、あの頃、レコード・プレイヤーなんてものを家に備えていたのは、一部の人たちなのであって、多くの人間にとってはカセットテープこそが音楽なんて人の方が大部分だった。それもハイエンドのカセットデッキなどではなく量販品のラジカセや、ウォークマンだけで音楽を聴いていた人たちが大部分だった。

ブルジョワジーたちが、CDという名の共産革命の前に屈したのは、それがためだった。多くの人たちにしてみれば、それが福音だったのだ。

だから、業界は、あんなに急速に、愛好家たちの声を無視してレコードを亡ぼす必要があった。情報の共産革命であり、新しい媒体を売りつけるための邪魔だったからこそ。

そんな規格を、RedBook とは良く言ったものだ。

赤い本

レコードよりかさばりません。音質もクリアです。手軽です。

当時のブルジョワジーの象徴たるレコード愛好家たちを追いやって、過去の存在にするための、労働者階級による音楽の共産革命ではなかったか。

レコードからCDに移行させられる人たちよりも、カセットからCDに移行する人たちからしてみれば、それは音質の劣化ではなく、向上に思えたのだ。

お買い得な共産革命。それから30年。

RedBookどころか、MP3だのflacを経て、究極のお買い得な共産革命。

iPhoneとApple MusicとAirPods

もはや、環境まで世界の人々は規格統一化され、完璧に横並びに揃ってしまった。スマートフォンという名の新たなRedbookを与えられ、思想まで統一されたかのように、一社が提供する同一品質の同じ音源を聞きあさる。

どこぞの共産党嫌いの人たち、息してますか?
大丈夫?

あなたは、とっくに共産主義革命を、知らず知らずのうちに受け入れてしまっているではないですか。


欠落した情報の中の成分にこそ、違いになるような情報の差があった事を知っている人間も減って行こうとしている。

生まれながらのデジタル・ネイティヴ世代は、あらかじめ損失された情報しか与えられていない。そこがスタートラインだから、損失する以前の情報は生まれながらに知らない。だから、彼らはそれを「Lost」とは思わない。

こんな話も、もう、10年以上前の今は、昔である。

彼らは、デジタル・ネイティヴなのではない。
生まれながらのデジタル・コミュニストであり、情報共産主義の申し子なのだ。

それが、僕は音楽で売れるのだ!資本主義と新自由主義に毒された、この日本社会を、必死に資本主義にひっくり返すために戦おうとしてる光景。

これは、何の悪い冗談なのだろう。
私は相当に悪夢のような光景を見ているに違いない。

彼らが知っているのは、あらかじめ「レンジ内に収め込まれた差異」だけであって、その差異こそが、全てだと思い込んでしまっていて。その外側に存在していた差異や欠落の存在を知らないのに。

彼らは、共産主義の申し子なのに、自分たちが資本主義の申し子だと思い込んで、時代をレコードに戻して持て囃している。

何のための30年間だったんでしょうね。

その30年間を、不毛な情報共産主義に包み込んで、「CD最高!MP3最高!俺らが時代の最先端!」とか言いながら、音圧戦争を勝ち抜こうとしてた人たちも含めて、今や、墓場の前で、生きながら棺桶に横たわりながら、間もなくご臨終を迎えようとしていて。

一体、何やってたんだろうね。悪い夢でも見ていたに違いない。
人って、こんなに馬鹿だったんだ。

つくづく、日本人は、パンクをなめ過ぎていたのだ。

パンクの裏側
には、シチュアシオニスト運動が存在していたことも知らず、その論文を深く研究を進めていたのなら、この喪われた30年を喪う事なく済んでいたかもしれないのに。

少なくとも、自分たちが、デジタルによる共産主義などとっくに受け入れていて。
なのに、その極めて狭くなった統一規格とレンジの中押し込められて行き詰まったような時代遅れの新自由主義と資本主義ごっこの醜い争いを繰り広げていたことに。

君たちは、デジタル・コミュニケーションどころか、コミュニケーションどころか、ディスコミュニケーションすら、陳腐な形で規格統一されようとしているデジタル・コミュニズムの世を生きている。

Communist Japan
Take me to heaven

共産主義日本
天国へ連れて行ってくれ



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