本の感想30『ヴィヨンの妻』太宰治
太宰治の物語にでてくる主人公は、常に死について考えていたり、女関係がはちゃめちゃだったり、酒飲みだったりと毎回共通点がある。俺はそういった主人公がどうやら好きみたいだ。
「神に怯えるエピキュリアン(快楽主義者)」
『ヴィヨンの妻』の主人公は、このように自身を表現する。
人生は快楽を求めるためにあるのだろうか?まあ正直答えはないかもしれないけど、これは部分的に、あるいは人によってはYESだ。そんな人が神の存在や自身の人生に疑問を持ち始めてしまったら、怯えるしかないのか?そして怖いから酒に酔う。女で気を紛らわす。
そんな人物を愛してしまった妻が、この物語の視点となっている。彼女はさぞ不幸みたいに描かれていると思いきや、すごく明るくて、旦那にも真摯に尽くす。夫に会えるがために、(主人公は何日も家に帰らないことが多かった)夫がかなり迷惑をかけている行きつけの居酒屋で働き始めもする。なんというか、夫の非行を知っていても批判や悲しみの気持ちが一切なく、常に前向きなのだ。
むしろ夫の行きつけのお店で働くという案を思いついた時なんかは、「私はなんでこれまでこんなこと思いもつかなったのかしら。馬鹿者だったわ」などととすら考える。健気だ。
そんな強さ?というか彼女のこの世に対する価値観をよく表す一言で、物語が終了する。
「人非人でもいいじゃないの。私たちは生きていさえすればいいのよ。」