【暦】新米は本来いつ食べる? 36/100
おはようございます!こんにちは!こんばんは!
今年の新米はもう食べ始めている糸柳です。(たぶんあんまり良くないと思います)
届いたお米があまりにも美味しそうだったものでつい……。
本来、新米は「新嘗祭(にいなめさい)」に、天皇陛下がその年の新米を初めて口にして、それから日本国民が食べるものとされています。
食べちゃったものは取り返しがつかないですね。
みなさんももう、飲食店などでも口にされているかもなと思います。
正しい新嘗祭の日は、旧暦の11月、2回目の卯の日です。
新暦の11/23になるのですが、勤労感謝の日です。
確かめてみたら11/23はちゃんと卯の日でした。(暦の読み方、間違ってたら誰か教えてください!)
とりあえずまず、お米ってどこから来たの?日本由来?という疑問ですが、実はインドのアッサム地方という説が、いちばん有力です。
インド、中国、日本……あれ?
歴史的に重要なものは、だいたいインド、中国を渡って来ない?と思ったのは、私だけでしょうか?
その謎はいつか解明したいものです。
そしてお米の語源は、「込める(籠める)」という言葉でもあります。
お米の中に神さまの力がこもっている、宿っている、という意味なんだそうです。
「小実」、「小目」などとも書き表わす説もあります。
どっちかというと「こめる」方が有力らしいです。
神さまが古代日本人にお米を授けて、古代日本人は明日の(天気の)心配をするようになったし、未来のことを考えるようにもなったそうで、そこには現代の経済の精神も流れています。
お米は一年、ないしそれ以上10年たっても工夫すれば食べ続けられる食糧のひとつです。
昔はきょうの食べ物を、お魚や貝やらたくさん採ってきても、痛んで臭くなるだけなので、大量になにかを採っても意味がなかったそうです。
あすという考え方がなかったんでしょうか。
力持ちがお肉をたくさん獲っても、傷ませてしまうなら意味がないですね。
そこで日もちのするお米を持った人は、だいぶ有利に生きられるようになりました。
それからお米の「米」の漢字を分解すると「八十八」となります。
これは、お米を作る過程で88回の手間がかかっている、ということなのです。
昔から、お米のひとつぶひとつぶには神さまがいて、「茶碗にひとつぶでも残すと目が潰れるよ!」と言われたものでした。
大切に大切に食べて、最後にお茶碗にお茶を注いで啜る、っていう教えもありました。
洗い物も楽になりますしね。
すぐ残す、すぐ捨てる……現代人には頭の痛い問題です。
食品衛生観点からみたら、仕方のないことなのですが、もう一度、ちょっと改めてみたいと、私は思っています。
最初から少なめに盛り付けるとか、洗い場の生ごみをなるべく増やさない、とかね。
余談ですが、飲食店でいちばん大変なのは、洗い場だと私は思っています。
厨房は作る楽しみ、ホールは人の笑顔にいちばん触れる場所、洗い場は???ってなります。
しいて言うならば、食器がピカピカになることに、生きがいを感じたらいいでしょうか(笑)。
家でも同じ、作るのはいいけれど、片付けはめんどくさい。
おそらくそれと同じかな?
私は飲食店における全行程、好きですけどね(行程なのか?笑)。
はい、余談は置いてー。
きょうのまとめとしては、
絶対ではないけれど、新米は11/23の新嘗祭以降に食べるのが望ましいです。
来年からちゃんとします!(鬼に笑われろ!笑)
お米には神さまの力がこめられていて、88回の手間をかけて作られています。
なので残さず大切に食べましょう!
というお話でした。
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みなさんの指の動きが、私のモチベーションにつながります(笑)。
またあしたも見に来てくださいね!
きょうのひとこと。
新暦と旧暦、両方の時空を同時に生きてるとか凄い!(笑)
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