殺す気はなかった。だが殺意はあった。
正直どうでもいい僕のお話。
でも、ここは僕が好きなことを書いて良い所。だったら僕の書きたいことを書く。
終わりに連れて話がどんどん変わっていく。
短編日記。
先月、ふっと2、3個アイデアが降りてきて、高校生を中心とした年齢の物語を作ろうとしているんです。
僕はお話を作る前に好きな言葉とか場面をメモしていって、登場人物の名前、性格とか諸々書き出しながら同時進行でタイトルとかも考えるんですけど、登場人物が多いと名前を忘れたり語り手を誰にするか迷ったりしてどうにもならなくなってしまうんです。
ひとつはもう内容もオチも決まっててさっさと終わらせられるように作ったんですけど。
内容は決まっててオチ未定とか、台詞決まってて内容、オチ未定とか。
そして色んな小説の設定考えると、名前被らないようにしたいな。と思ってもう苗字考えるのがめっちゃ大変。
で、ですよ。物語の話とか正直本当にどうでもいいんです。
僕はストレスとかがかかってくると耳痛がしてきたり咽喉痛がしてきたりするんです。
そしてストレスの原因を探すようにしたんです。なんやろな〜と思いながら考えてたら、最近睡眠時間が4時間で寝るの3時とかで起きるの7時みたいな。遅刻しないからいいけどまじで起きるの遅い。
寝不足とかは体にめっちゃストレスかかってるって言うけどこうゆうことなんだなって。
さて話が変わります。
自殺する時って遺書書くじゃないですか。
僕が初めて遺書を書いたのは中一の頃だったはずで、小さいメモ用紙にこれまた小さい文字で「気づいたら死んでました」みたいな事書いて首縊りました。まあ実際は失敗してここまで生きてるんですけど…
最近、遺書書くのすら億劫になってフラーっと死のうとし始めました。
そもそも、死にたいって感情の出処ってどこなんでしょう。自殺って自分の事を殺すんですよね。死ぬんじゃないんです。殺すんです。なんだか物騒な話になってきました。
死にたいって感情が生まれる場所は恐らく脳です。行動を起こそうとするのは体です。では、やはり出処はどこなんでしょう。同じく脳でしょうか。体でしょうか。分かりません。人それぞれなのかもしれません。
これからは自分の事を殺していかなければ上手に生きていけない。これは殺意の無い殺人。
今日、道路で死んだ鶏を見つけた。何故だか忘れてはいけない気がして目に焼き付け、心に深く刻みこんだ。何に対してかも曖昧になりながら、ただひたすらに心の中で謝り続けた。気を抜いたら目から溢れそうな雫を拭い僕は思った。何故あんな所に鶏が落ちていたのか。考えれば分かる。出荷中だったものが落ちて跳ねられた。僕は猫や犬でもそこまで思い詰めたのだろうか。鶏だったからなのではないだろうか。そう思っているとまた道路に死骸があった。今度は猫だった。それを認識した瞬間、拭ったはずの涙が零れ落ちてしまっていた。