自己紹介
はじめまして
ren です
renは恩人の名前
アメリカ留学時代の超天才くん
今も世界の第一線で活躍している彼
男の子が生まれたら
絶対 ren にしようと決めてた
でも
生まれなかったので
私が拝借(*^^*)
何だか ren のパワーが入っているみたいで
元気になる✨
小学生まで
引っ込み思案で幼稚園の時は
脱走犯(*^^*)
朝、母と幼稚園の門の前で
泣きながら別れた
その後は 先生方の目を盗み
ダッシュで帰宅(笑)
母より前に近道でたどり着いていて
玄関前で泣いていたみたい
母のため息が聞こえるよう(笑)
小学生になってからは
いわゆる普通のいい子ちゃん
低学年の時は
隣の席はいつも先生からはちょっと手のかかる
男の子
世話好きだから お世話するのが楽しくて
自分の仕度もそこそこに
隣の友達にお節介
頼ってもらえるのが嬉しくて
そんなお節介な子いたでしょ
周りにも
高学年になったら
学級委員長
なんでいつもなってたんだっけ
学級会に提案するイベントとかを考えるのが
楽しくて
給食前とか印刷用紙に
よく企画書書いていた記憶がある
一番覚えているのは
バレンタインデーの企画
今考えたらトンデモナイ(笑)
チョコ渡す予定の女のコに手を挙げてもらって
誰に渡すか聞いて(信じられないよね〜😅)
貰えない男の子に
あげる予定のない女のコがあげる
という斬新な企画(笑)
よく学級会で賛成してもらって開催されたな
みんな幸せになれるから?
昭和時代は良き時代(笑)
中学〜大学の頃
中学は入学する前の年に
新聞に載るような
校内暴力がすごかった公立
入学前にいろんなウワサが飛んできた
女子はショートカットにしないと
目をつけられるって
入学式は
女子全員ショートカット
今考えたらすごい
クラブはテニス部希望
なのに
一緒に帰る友達がみんなバレー部希望で
泣く泣くバレー部へ
でもバレー始めたら
楽しくて
バレー雑誌買ったり
実業団や日本代表の試合を見に行ったり
ちょうど
川合俊一さんが全盛期の頃
カチカチに固めた髪型
今でもよく覚えてる
ジャンプしてもレシーブしても
乱れないの(笑)
高校は県内有数の進学校
中学が荒れていた分
穏やかで
リベラルな自由な校風が大好きだった
国立理系コース
驚くことに男女比1対1
リケジョが多かった
背もみんな高くて
164の私が真ん中くらい
というか160超えてる子ばかり
そして美人が多かった😉
当時の私は
男のコと話すと真っ赤になっちゃう
純情な女のコ(*^^*)
大学は
なんちゃって理系
理系だからゼミは男のコばかり
一個上 一個下 みんな男のコ
同級生も私以外はみんなそう
純情な女のコだったけど
荒療治になって
逆に同化するくらい馴染んで
よくみんなに遊びに連れて行ってもらったな〜
地方だったから
講義の終わった夜は車で
ホタルが綺麗な場所へ遠出したり
ローリングばあちゃんなる人物が
出現すると噂のトンネルに肝試しにいったり
夜景スポットに行ったり
地学専攻だったから
マイハンマーを持っていて
崖を見ると
サンプルがとれるか考えてしまう
なんてことも
夏のフィールドワークは
恥ずかしかったな
海岸を長袖ハンマーヘルメット
年頃の女のコには…ねぇ😅
就職〜渡米
就職浪人して青年海外協力隊の
自治体バージョンみたいな活動に参加した
タイの奥地
ゴールデントライアングルと呼ばれる麻薬地帯
そこでは
子どもたちが売られてしまう悲しい現実が
逃げ込めるシェルターになる
学校作りのお手伝い
現地の方々と
川からバケツリレーでセメント作り
水道からは赤茶色の水
お風呂は雨水をためた壺から水浴び
近くでは
本物の協力隊が井戸掘りをしていた
子どもたちが
『井戸ができるんだよ』
目をキラキラさせて話していた姿が
忘れられない
コップ一杯の透明な清潔な水の有り難さと共に
就職したけど向いてなくて
やめたいけど
親に心配かけるし無職になるしできなくて
やるからには
ちゃんと出来るようになりたくて
勉強サークルに入り
近県のセミナーに通った
専門書も読み漁ったっけ
なんやかんややっていたら
それなりにはなってきて
でも天職じゃないの
と感じられる同僚を見ると
切なくなったな
仕事ばかりだったから
結婚 出産は人より遅くて
渡米する主人について行くには
辞めなくてはならなくて
残念だけどホッとしたのも
半分半分だったな
渡米〜現在
ここからは盛りだくさんなので
記事でボチボチ書いてみようかな
良かったら
読んで頂けたら嬉しいな💕
気ままに徒然なるままに
その時その時の想いを
綴ってみようかなと思います
文章を書くのは楽しくて
ここを教えて頂いて感謝しています
皆様の今日が良い日になりますように💕
いい事いっぱいありますように💕