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本屋をやるなら責任を意識したい

今日は猛烈にやる気が出なかったので読書して昼寝していたら1日終わっていた.修論締切直前に後悔しそうだけれどしょうがない.そういう日は必要だ.

今日読んでいたのは昨日購入した本の雑誌.本屋lighthouseの店長関口さんのインタビューのあたり.気になってネットで検索してみると関口さんのnoteにたどり着いた.

”これから本屋lighthouseでは、「僕が」「腐った本だ」と判断した本を出している版元の本は、その売上を、その「腐った本」によって傷つけられているひとたちを支援するために使うことにする。もちろん腐った本そのものは仕入れない。”

こないだついに地元の本屋にもいわゆるヘイト本が大々的に展開されるようになった.「ついにこんなところにも波が押し寄せてきたんだな」といつかは来ると覚悟していてもやっぱり悲しい気持ちになる.僕がその本屋に行くことも少なくなると思う.僕はヘイト本を扱っているかどうかという基準だったけれど,たしかに関口さんの言うように「ヘイト本を扱わないのはもちろん,その本を扱出している版元の本を扱っているかどうか」という視点もある.自分が客の立場なら「大きな版元なら扱わないとしょうがない」と割り切ることはできるかもしれない.だたもし自分の店として本を扱うとなるとそうあっさり受け入れられない.自分がそうした差別や偏見に少しでも力を与えてしまっていることを想像すると苦しくなる.ただそうした版元の本を扱わないのは現実問題難しい.だから,売上を寄付に当てるというのはすごくいいアイデアだと思った.

最近,本屋とニュースサービスは似ているんじゃないかと思っている.(ニュースは単純に自分が今度入る会社でどのサービスに関わりたいかとぼんやり考えていた流れなだけなんだけど.)ニュースサービスは利用しているユーザの考えを作る素を提供しているから間違った情報や偏った意見はユーザの考えを少しずつ歪めてしまう.これは本屋にももちろん共通する.あと,本屋もニュースサービスも責任を持たなきゃいけないんじゃないか.そのニュース(本)を扱うことでその報道社(版元)にお金が入り,その方針を肯定したことになってしまう.ぼんやり本屋をやりたいと思っていたけれど,やるとなるとその責任を意識しないと.しょうがないで割り切っちゃいけない.より良い方法をずっと考えていかないと.会社でニュースサービスに関わることになってもその思いは強く持っていたい.

ここ一ヶ月くらい内沼さんのこのツイートのことがずっと頭から離れない.たぶんうまく消化できていないからだと思う.そのうち自分の解釈というか考えを言葉にしておきたい.

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