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自信を完全に失った話

23年間、結構器用に生きてきた。
常に人に恵まれていて、人間関係で悩んだことなど一度もなかった。
ストレスなんてほぼなかった。

そしてこの事実に気付いてすらいなかった。当たり前だと思っていたから。

もちろんサッカーが思うようにいかない。
学校の勉強が難しい。
そんな悩みはあった。

ただ

「生きづらい」


そう感じたのは人生で初めての感覚であった。


サッカーが上手くいかないなんて正直どうでもいい。そう感じるほどに生きる上で追い込まれた。

家が見つからない。
仕事がない。

相手の言っていることが理解できない。
自分の意思すら伝えられない。

炊飯器も電子レンジもなく米すら食べれない。
パスタとパンばかりを食べて体調を崩す。

鬼潔癖な大家に訳もわからず怒られる。

日本では何も考えずに生きてこれたが、
こっちに来て全てが上手くいかない。

とにかく無力だった。
呆れるほど弱かった。
雑魚だった。
本当に情けなかった。

圧倒的に人間としての能力が低いことを痛感する。

ドイツという異国に来て、自分が弱くて、無力で、雑魚だということを突きつけられた。



ネットなんかでよく目にするワード。

・自信を持つ方法
・ポジティブ思考
・自己肯定感

バカみたいな考え方。
なんだよそれ。
そんなものクソの役にも立たねぇよ(笑)

自分が本当に無力となる環境に行けば、取ってつけたようなもので身を武装しても使い物にならない。何の意味もない。


自力をつけるしかないのだ。

でも自力ってなんだ?


そもそも日本にいた時の自分は何だったのか?
何となく器用に生きる自信があった。
不安など感じていなかった。
ストレスという言葉とは無縁だった。

すごく傲慢に思えた。
「何様だよ。」
居心地良い環境にいただけじゃん。


今は圧倒的に弱者。
何もできない。
超ヘボい。




でも

「この感覚悪くねぇな」

そう思えた。

なぜだが自然体になれる。
謙虚でいられる。
もがけている。
成長しようとしている。

だから今の自分の方がいいのでは?

「自信がない。ネガティブ。」
これらは必要以上に悪者にされる。

人は本来ネガティブな訳で、不安を感じるもの。自然と発生する。だからどうしようない。

自信のなさや不安、迷いを無理に取り除く必要なんてない。

大切なのは不快感を取り除くことではない。
むしろ取り除いてはいけない。


弱くて、脆くて、未熟な自分も含めて受け入れる。


最も重要なのは、
「それらがある中で前を向いて歩く力。」


日本にいたら心地良くてネガティブが登場する場面すらなかった。

「快適で、自信を持ち、楽しく生きられる。」
響きは良いがすごく危険な気がする。


ドイツに来て3ヶ月半。
すげー大変。何もうまくいかない。
自信なんて1ミリもない。

でも結論。

「別に自信なんていらないじゃん。」

「弱くて情けない自分でいいじゃん。」

この感じが大切なのだと。


これさえ理解できてしまえば、
また少し居心地が良くなってきたら、

自分が無力となる環境へ移ればいい。

自分の弱さを受け入れる勇気。
それを踏まえて一歩踏み出す勇気。

これこそが今考える「自力」
それだけで十分戦っていける。


日本へ帰る時、行く時より弱くなって帰るかもしれない。でもそれが本望だ。

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