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ひとりの人によって罪と死が入り、ひとりの人によって救われました

『もしひとりの違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。』ロマ5:15

ひとりの人アダムが創3章の事件を犯したことによって、産まれた時から『神を離れ、罪、サタンの支配』にいることは悔しいではないでしょうか?
私は何もしていないのに…。

『そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、』ロマ5:12

しかしイエス様が十字架で死んで罪を赦し神に会う道を開かれ、復活して悪魔のしわざを打ち砕かれたことによって『こういうわけで、ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。』ロマ5:18

私たちは義人とされ、永遠のいのちが与えられました。

しかも私たちがまだ罪人であった時から神様は愛しておられ御子を十字架につけられたのです。

福音を知る前は十字架を見ると申し訳ない気持ちになっていましたが、福音を悟った後からは感謝に変わりました。十字架は神様の愛なんだと悟ったからです。

そして私が神様の子どもとしての祝福と権威を味わう時、創1:27~28が回復され、神様のかたちとして万物を支配し従わせる祝福を味わうようになります。神様はキリストを通して、アダムの時に下さった祝福より更に大きな祝福を下さっているのです。

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