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「かくしごと」と「かくしごと」
とある雑誌のバックナンバーを眺めていたとき「かくしごと」という文字に目が止まった。映画の紹介記事だった。
辞書作りへの情熱を描いた「舟を編む」みたいな、ニッチなジャンルのお仕事ものかな?とか思いながらざっと目を通す。……ちがう、”書く仕事”じゃない。”隠し事”のほうの話だ、これ。
書く仕事と隠し事、読みがどっちも「かくしごと」っていうただそれだけの発見なんだけど、妙に面白く感じて。私が書く仕事をしていて、「書くパラレルワーカー」なんて肩書を付けているから「かくしごと」を「書く仕事」と瞬時に脳内変換したけれど、人によっては「隠し事」がパッと浮かぶんだろう。
なんなら、「書く仕事」の方は思い浮かぶことすらないのかも。
自分の見ている世界って、やっぱり自分の見たいように見ている世界なんだと改めて思ったし、無意識のフィルターってこういうことでもないと気づかないなって思った。
「書く仕事がしたい」の著者である佐藤友美(さとゆみ)さんは、エッセイ集「今日もコレカラ まだ、全然間に合う」の中で、
書くことは、減らすこと。何を書くのかを決める時、何を書かないかを決めている。(意訳)
というようなことを言っている。例えば景色について書くとき、その場にいて得られる情報全てを書けるわけではない。見ている景色、肌に触れる空気、聞こえてくる音、匂い、感情。書けるのはその中のほんの一部の情報だけ。だからなるべく本質を射抜けるように、豊かに減らす方法を考える、と。
これって見方を変えれば、書くことで隠れてしまう情報があるってことだよね。自分に都合の悪いことに目がいかないように書くことはいくらでもできてしまう。書くことは、隠し事がしやすい。
「感動した」「心が震えた」みたいな言葉がすらすら出てきたとき、果たして本当にそう感じていたのか、と疑うようにしている。(めっちゃ意訳)
たしかこんなことも書いていて(「今日もコレカラ」の目次を眺めて目星をつけた文章を探すことを3周したのだけど見つけられなかった)、インタビューする相手がこういう表現をしたら、その時どんな行動をとったか細かく聞くことにしているとか。
たしかに、自分の本当の気持ちや感じたことって、よくある表現の中に簡単に隠れてしまうなと思ったことを思い出した。使いやすい言葉でラベリングするのって、簡単だから。
「書く仕事」が「隠し事」にならないようにしたいな、なんてところまで思考が発展していったことも、妙に面白く感じた理由の一つ。仕事で書く文章だけじゃなく、noteのように好きで書く文章もね!
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