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#建築 まとめマガジン

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#住宅産業

モクチンメソッド|危機を好機に転換する現代版「計画的小集団開発」

木賃アパート。ハウジングの戦後史を辿るとき必ず出てくるこの言葉。たしかに老朽化して空室も目立った状態であちこちに見かけるよなぁ~。これは社会問題にもなっていくよな~。などなど他人事に思っていたのですが、ある本を読んで「あ、そうか!いま自分が住んでるアパートも木賃アパートだ!」って、にわかに自分事になってオドロキました。 そんなキッカケとなった「ある本」とは、『モクチンメソッド:都市を変える木賃アパート改修戦略』(連勇太朗・川瀨英嗣、学芸出版社、2017)。 オレンジ色の表

住宅営業についてのメモ【3】|家を「売ること」のこれから

職場の先輩F主任とOさん。ベテラン住宅営業ふたりは、それぞれにお客さまの信頼を得て契約を獲ってくる「高い営業力」を持っています。でも、契約に至ったお客さまが実際に建てる住宅は、意匠的にも計画的にも構法的にも「ヒドイ提案」でした。 そんな「営業力」と「提案した住宅」のあいだにある深い溝について「住宅営業についてのメモ【1】」で書いてみました。 そして、前回、「住宅営業についてのメモ【2】」では、その深い溝が、実は「産業」「木造」「注文」「営業」の計4本でできている構造的な問

住宅営業についてのメモ【2】|「売ること」と「つくること」のあいだ

職場の先輩として住宅営業のなんたるかを折に触れて教えてくださったF主任とOさん。二人がそれぞれにお客さまの信頼を得て契約を獲ってくるその「高い営業力」と、契約に至ったお客さまが実際に建てる住宅が、意匠的にも計画的にも構法的にも「ヒドイ提案」だったというお話しを前回、「住宅営業についてのメモ【1】」として書いてみました。 その「高い営業力を持つこと」と「住宅提案がヒドイこと」の間に横たわる深い溝は、実は「木造注文住宅」を手がける「木造住宅産業」が持つ性質に由来すると思うのです

大工・職人文化とデザインサイディング貼り・新建材まみれ住宅の密な関係

「その会社の技術力を見極めるポイント、ご存じですか?たとえば、この和室をごらん下さい。この長押という部材がぶつかり合った部分、「留め」といいます。ここがキレイにつくれているかどうかに腕の差が出るんですヨ」的な営業トークがあります。 それは、住宅展示場のモデルハウス案内で、自社の技術力をアピールしつつ、そうなっていない他社のモデルハウスを暗に批判する効果も持つトーク。住宅は「つくられるもの」なので、いかに上手に「つくる」ことができるかは業者選定を促す重要な訴求ポイントになる。

住宅営業についてのメモ【1】|「営業力」と「住宅の質」のあいだ

一生に一度か二度の買い物である「住宅」。高額ゆえに多くの人がウン十年という返済期間のローンを組んで、文字通り「命がけ」での購入となります。しかも、住宅を新築あるいは建替えするともなれば、家電や自動車のように実物をあらかじめ確認して契約・着工するわけにはいきません。 建てる場所や要望、法的条件などによって建てられる住宅は異なるゆえに、住宅会社は「ちゃんと住宅を完成させます!」、施主であるお客さまは「ちゃんとお金を支払いますヨ」とお互いに約束する。いわゆる「請負契約」を結んで前

ミサワホーム(バック・トゥ・ザ・)フューチャーホーム2001

1987年、森高千里が歌手デビューした5月、東京・晴海で開催された国際居住博覧会にヘンタイ感あふれる趣向を凝らした住宅が出展されました。その名も「フューチャーホーム2001」(1987)。大手ハウスメーカー・ミサワホームが提案する未来型住宅でした(図1)。 図1 フューチャーホーム2001(文献2) この未来型住宅、なにがヘンタイ感あふれるかって言いますと、世界で初めての「回転する家」だったのです。回転する展望台やベッドは昭和のおなじみですが、この「フューチャーホーム20

ミサワホームO型|オイルショックと三澤千代治が開けたパンドラの箱

「企画住宅」って言葉をご存じでしょうか。 音が同じで紛らわしいのが「規格住宅」。「企画」と「規格」、読みは「キカク」で同じですが、指し示す内容は随分と異なります。でも根っこは同じだったりするのが、これまたややこしや~ですが。 「企画住宅」とは、プランや仕様を限定することで価格を抑えながらも、独自のアイデア提案=「企画」を盛り込むことで魅力をもたせた住宅を指します。日本では、良くも悪くも間取りや仕様をあれこれと迷った上で決めていく「注文住宅」が親しまれており、間取り・仕様が

屋根なんて飾りです|大野勝彦・セキスイハイムとM1の「あいだ」

「足はついていない」と心配する大佐に整備兵が言った「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ」というセリフは、発言の主旨に反して、新技術が受容されるときに「飾り」が必要となることを再認識させてくれます。 「従来のモビルスーツが持つイメージとのギャップが受け入れがたい」という上層部と、その見解の不合理性を嘆く技術者という対立図式はあるある感がハンパありません。両者のギャップを埋めるため、やむをえず「飾り」である足を付ける予定になっていたのだけれども、悪化する戦局はそ

建築学者・延藤安弘【2】|1964年、絹谷助教授の死が京大西山研にもたらしたもの

東京オリンピックを翌月に迎えた1964年9月、京都大学西山夘三研究室に一大事件が起きます。西山の後継者として将来を嘱望された助教授・絹谷祐規(1927-1964)が遥かオランダの地で不慮の事故により客死したのです。 そのショックと悲しみがどんなに大きなものだったのかは、絹谷の死の翌年に刊行された遺稿集『生活・住宅・地域計画』(勁草書房、1965)に収録された西山夘三(1911-1994)による「あとがき」を読むとヒシヒシと伝わってきます。西山は50頁弱にもおよぶ、愛情と無念

工業デザイナー・秋岡芳夫のすまい論|住み捨てる習慣の国に生きる

学研の教材を手がけたことでも知られる工業デザイナー秋岡芳夫(1920-1997)。彼が監修した「『悪魔の住居』学」が今は亡き雑誌『ダイヤモンド・ボックス』の創刊号(1980.4)に掲載されています。 なんとも物騒なそのタイトル。「『悪魔の住居』学」であって「『悪魔』の住居学」ではない。秋岡は建築家ではないけれども、すまいについてあれこれと語っていて、自らの工房を設計したりもした人物です。それでは、秋岡のすまい論とはどんなものだったのでしょうか。 昨年で没後20年。あと2年

隈研吾が50周年記念展示場を手がけた理由|東日本ハウスのジレンマ

木造住宅メーカー・日本ハウスHD(旧・東日本ハウス)の50周年記念展示場はご覧になりましたでしょうか(図1)。 図1 50周年記念展示場 良し悪しはとりあえず置いておいて、その衝撃的なデザインは建築家・隈研吾(1954)が設計監修したもの。1969年に創業した木造住宅メーカーの歴史と誇りを世に問うた姿がこのモデルハウスというわけです。 最近の家づくりトレンドとしては、ムダにヒーロー・ショーとか開催する総合住宅展示場や、ハイスペックなモデルハウスに疑問が投げかけられ、実際

セキスイハウスB型|工業化住宅の大量販売を下支えした「お客様第一主義」

建築家・前川國男(1905-1986)について、前川建築事務所で働いたキャリアを持つ建築家・大高正人は、こう証言しています。この証言は、戦後日本を代表する建築家・前川の設計による木質パネル量産住宅「プレモス」がなぜ売れなかったのかを語る場面での言葉です。精魂込めて日本の復興を託し設計した「プレモス」は、100万人の住まいをめざした高いクオリティを持ちながら、惜しいことに「売ること」へ関心が及ばず、広く普及することはなかったと語るもの。 同じくプレモスに関わった建築家・田中誠

新潟地震と「バス団地」|災後にあらわれた最小限工業化住宅の夢

1964年6月16日13時1分に発生した新潟地震後にあらわれた風変わりな仮設住宅を、雑誌『暮しの手帖』が取り上げています(1964年冬・第77号、暮しの手帖社、1964.12)。題して「バス団地」。 新潟県粟島南方沖40kmを震源とした地震が発生。後に「新潟地震」と呼ばれるこの災害は、家屋全壊1,960棟、半壊6,640棟、浸水15,298棟という被害を出しました。 新潟交通の社員たちが古いバスを改造して仮設住宅としたもので、「新潟交通応急住宅」と呼ばれたそう(図1)。さ

ミサワホームはプレモスの子孫?|戦後復興期からいまに続く住宅産業化の夢と失敗

「我々は『プレモスの子孫』なんです」   そんなミサワホーム社長・磯貝匡志の言葉ではじまるフォーブス・ジャパンの記事「ミサワホーム社長が受け継ぐ、先人たちの『創意工夫への知恵』」(堀香織、2017.12.12)。2017年6月、社長に就任した磯貝氏がミサワホームのこれまでとこれからを語る興味深い記事です。 というか、そもそも「我々は『プレモスの子孫』なんです」ってフレーズに驚きました。ミサワホームがあの戦後復興期の量産住宅「プレモス」の子孫なの??? プレモスという建築課